ホーム岡山畜産便り > 岡山畜産便り2001年10月号 > 岡山県における最初の獣医師の採用について

〔特別寄稿〕

岡山県における最初の獣医師の採用について

岡山市 浅 羽 昌 次

 現在の岡山県畜産関係職員は200名を超える大世帯である。これらの職員は畜産課を始め地方振興局や総合畜産センター,家畜保健衛生所,その他の県出先機関に配置あるいは出向して日夜岡山県畜産振興のために精進されている事はご同慶に耐えないところである。
 一体,岡山県はいつ頃から獣医師の採用を行ってきたのであろうか・・・・その経緯を探ってみたのでここに紹介したい。
 それは明治19年12月15日,当時の農商務次官の通達に始まる。本邦最初の「獣類伝染病予防規則」(M19.9.15 省令第11号)が交付され,これにともなって農商務次官名で各都道府県長官あて獣医師の採用を勧奨したことである。

 「来年明治20年3月15日ヨリ施行スヘキ省令第11号「獣類伝染病予防規則」発布ノ主旨タル獣類ノ伝染病ヲ予防撲滅シテ其生命ヲ完セシメ,以テ国家ノ一財産ヲ保護スル事ニ在ルコトハ今更意ヲ俟タサルノ義ニシテ,之カ目的ヲ達セントスルニハ固ヨリ適当ノ獣医ヲ要セサルヘカラス。殊ニ人体ニ感染スヘキ獣類伝染病予防規則ノ実施及ヒ乳肉ノ善悪適否ヲ検定スル等ノ事ハ人身ノ衛生上ニ関シ最緊要ニシテ一層ノ注意ヲ加ヘサルノミナラサル義ニ付,此際其庁ノ於テモ可成適当ノ獣医ヲ採用シ,以テ獣医ニ関スル諸般ノ事務ヲ担当セシムベシ。此旨内訓ス。

(S30.12.7農水省編 農務顛末)

 残念ながら岡山県においてはこの内訓は一顧もされなかった・・・・というより獣医免許規則(M18.8.22 太政官達第22号)に該当する獣医師が居らなかったのではなかろうか。
 こうした内訓が達せられてから5,6年を経た明治26年11−12月,県議会で上道郡選出の県議会議員大森馬之助は千坂高雅知事に対して次の口頭建議を行ったのである。

 「県下全体ニ於テ獣医ノ欠乏セルコト甚タシク,飼育農家ハ不安ノ状態ニアリ。
 故ニ県知事ハ速ヤカニ之カ救済ノ方法ヲ講シ獣医推奨ノ方針ヲ採ラレンコトヲ望ム」

(岡山県議会誌)

 農商務省次官の内訓に対しては何らの反応を示さなかった岡山県も,ことここに至っては遂に重たい腰をあげ,真剣に獣医師の採用を考えたものと思われる。その結果,明治28年度より始めて獣医師2名が採用された。その2名とは秋山直三(埼玉県),橋本正(和気郡日笠村日笠上103)の両名である。
 秋山氏については,明治28年4月20日付中国民報へ次の記事が掲載されている。
 「非職農科大学助手秋山直三氏ハ本官儘ニテ岡山県雇,月報35円ヲ給セラレ,第5課農商務掛勤務ヲ命シラレタリ」とある。
 橋本氏についての新聞記事は見当たらないが,採用されたことは間違いない。「岡山県畜産一班」(M42.5.30刊岡山県種畜場編)には次のように記載されている。
 「本県に於ては明治27年,県会の建議と実際の必要に迫られ,明治28年度より獣医2名を雇入れ,牛種改良,獣医教育,獣類伝染病予防,畜産保護に関する諸件,公衆衛生上の屠殺検査の監督,牛乳検査等をなさしめたり」とある。
 さらに明治28年5月7日付,中国民報には秋山,橋本両氏の警察部保安課兼務の辞令が掲載されている。

  警察部保安課兼務を命す

岡山県雇  秋山直三
岡山県雇  橋本 正

 屠殺検査及び牛乳検査は警察部の所管業務であり,当時の世相は斃死牛の肉を販売したり,また牛肉と称して馬肉を混ぜて販売するなど悪質業者があとをたたず,警察もこうした徒輩の取締りに手を焼いていたのであろう,知事名で度々こうした業者の取締りについての諭告が出されていたから容易にうなずかれる。
 警察部は内務部第5課において獣医師2名を採用したのを知り,早速「警察部保安課兼務」の辞令をだして応援を求めたのであろう。
 秋山氏は明治17年7月,当時の駒場農学校に入学,卒業後さらに農科大学に進学されたものと推測される。「馬事年史」(S60.6.30 大友源九郎著)によると「明治17年7月,別科第1学年補欠トシテ埼玉県秋山直三外4名入学ス」とある。この年(5月)獣医科一般入学者数は24名であった。
 その後,駒場農学校は東京山林学校と合併,東京農林学校と改組され,さらに明治23年には東京帝国大学の分科大学として「農科大学」に改組昇格されたのである。秋山氏は農科大学卒業後,助手として勤務されていたのであろう。
 一方,橋本氏については県総合畜産センター及び県人事課に尋ねてみたが経歴などを詳細を知る資料はないということであった。もし皆さんの中に橋本氏について,県に入るまでの経歴などをご存知の方が居られましたらお知らせください。
 なにしろ明治27年までは畜産専門職員が居らなかった岡山県の畜産行政,しかも僅か2名で農事講習所の設立(秋山氏は設立後,主任技手として同所に出向),種畜場の設立(秋山氏は場長兼務)獣類伝染病(牛疫,牛の結核,牛の気種疽,狂犬病など)の防疫,畜牛改良方針の策定,県外先進地からの優良種畜の導入,牛馬去勢の普及奨励,産牛馬組合の設立指導,共進会,品評会の奨励などに孤軍奮闘されたものと思われる。
 秋山氏は在職14年,多くの業績を残し明治41年5月,惜しまれつつ愛知県技師に栄転され,また橋本氏も大正12年4月,岡山県種畜場千屋分場長を最後に岡山県を定年退職されている。
 我々畜産の道にあるものは,こうした先人の業績をしのびつつ日夜研鑽に努め,岡山県畜産振興のため尽くさねばなるまい。