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〔特別寄稿〕

畜産課の創設について

岡山市 浅羽 昌次

 岡山県政史によると,岡山県にはじめて畜産課が設置されたのは昭和15年7月8日である。昭和14,5年といえば,日中戦争は中国全土に及び,我々の故郷にも戦死者や戦傷者の広報が届けられたり,また生活必需物資や食料品の配給あるいは価格統制が厳しく行われ内外ともに騒然とし,第二次世界大戦への足音が次第に高くなっていた頃であった。
 岡山県政史によると「岡山県は時局に対処して県の一部機構改革を行い,経済部農務課の中にあった畜産,蚕糸両部門を独立昇格して畜産課,蚕糸課とし,また土木部に都市計画課が新設された」とある。
 当時の県庁舎は岡山市石関町天神山(現在の県総合文化センターの位置)にあり,昭和20年6月29日,岡山空襲により焼失するまでの67年間,県政の府として天神山にそびえ立っていた。古い資料によると新築されたのは明治12年5月12日,建築費は13,599円86銭7厘であったという。当時の物価からすれば13,000円はかなりの金額であったに違いない。(当時の物価は米1石10円90銭,麦1石6円80銭,清酒1升10銭5厘,大工日当35銭であった)(物価は「岡山経済文化史」岡 長平著)
 岡山の県政史(単行本,逢郷 巌著)によると「…洋風木造2階建ての本館を中心に,両翼に付属建物を配した庁舎は,明治の文明化開花を象徴してその威容を誇った…」
とあるが,その庁舎も時代の流れに従って県のたび重なる機構改革により課や人員の増加のため,威容を誇った庁舎も次第に手狭になっていたものと推測される。
 当時の畜産課は1回正面右側の1段下がった所にあったという(瀬島,松尾両氏談)
畜産課発足当初の畜産関係職員は次のとおりであった。

 昭和15年頃は,ちょうど4,5年前から「牛のトリコモナス病」が県下各地に蔓延し,特に県中北部の和牛生産地帯の被害は甚大なものがあった。県はそのため多くの家畜防疫員を任命し,同委員はもとより畜産課技術者もそれぞれ郡を担当して出張,郡畜産組合技術者と共に本病の検査なり治療に日夜奔走してた頃であった。当時の交通手段は専ら自転車のみ,今でこそどんな田舎に行っても道路は立派に舗装されているが,この頃の田舎道は「アバタ道路」,しかも急坂が多く,重たい検診機材を積んでの往復は並大抵の苦労でなかった。
 私も第2部獣医科嘱託時代,夏期休暇を利用して,真庭郡に出張されていた柏瀬技手のお供をして,郡北部の村へ2,3日,検診の手伝いに行った事があったが,自転車を踏むだけで尻りや足が痛くて閉口した苦い思い出がある。
 初代畜産課長に就任された中島周蔵氏は昭和13年3月30日付けで山口県から赴任され,畜産課設置にともない初代課長に就任。在職5年,昭和18年4月26日付けで陸軍司政官として遠くヒリッピン方面へ転出されたのである。(岡山県政史)
 畜産課創設当時の先輩諸氏の多くは既に他界され,健在なのは村上邦夫,瀬島源喜,村角 巌(旧姓,平松)の3氏位いではなかろうかと言うことである。(松尾氏)

「村角氏とは軍隊時代(姫路,輜重隊)の同年兵,しかも同室で初年兵時代の苦労を共にした数少ない仲間でもある。復員後は衛生部関係に勤務され,最後は食肉衛生検査所長を勤め退職された」

 昔を語る先輩諸氏が亡くなることは一抹の寂しさを感じるが,これも時代の流れ,致し方ないことである。ここに他界された方々のご冥福をお祈りすると共に,今もご健在な3氏の方々のより一層のご多幸をお祈りいたします。
 なお,最後に本稿を起草するに当たり,松尾,瀬島両先輩のご指導を頂いたことを付記し,衷心よりお礼を申し上げる次第である。