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〔シリーズ〕私のモンゴル(2)

−束の間の首都暮らし−

三秋 尚

 私は昨年の夏から初秋にかけて,今岡良子助教授(大阪外国語大学,遊牧地域論専攻)と50日間ほどモンゴル国南部ゴビ遊牧地帯から北部ハンガイ地方でバイカル湖に注ぐセレンゲ河流域の農耕地帯まで3千キロを旅した。その目的は2年続きの大干ばつに襲われているゴビ山岳部遊牧民を見舞い併せて1989年以来継続の遊牧民社会と牧畜の調査,そして農耕地帯での国営農場解体後における自営小麦耕作農場の経営調査であった。

アパートを借りる

 ゴビとハンガイ両地方へのそれぞれ出発前と帰国前に2週間余り首都ウランバートルに滞在した。旅の準備,表敬訪問,資料収集などのためである。これまで調査旅行の前後には外国人専用ホテルに宿泊していたが,今回は今岡助教授の夫君エンフジャルガル(敬称省略が習慣)の世話で借りたアパートで自炊生活をすることになった。
 1992年の社会主義体制崩壊以降,市場経済化の波がひたひたと押し寄せ,最近では首都に古くからある2つの外国人専用ホテルのほかに高・中級ホテルが20ほど建設され,安宿を加えれば40近くもある。ホテルの宿泊料は観光客目当ての設定のようで,一般に1泊70〜80ドル(朝食込み)前後であり,首都の物価水準に比べると異常に高い。
 ちなみにモンゴル国の公務員サービス職(守衛,看護人,経理士,機械オペレーター,運転手,看護婦など)の月給はUSドル換算で32〜34ドル(日本円にして4,000〜4,300円)である。この給料では物価高の首都で一家を養うことは容易でないという。現代のモンゴル社会では女性の社会進出はごく当たり前である。それは社会主義時代の遺産であり,いわゆる夫婦共稼ぎで何とか生計をたてている家庭が多い。
 エンフジャルガルは私が年金生活者であることを先刻ご承知で,私の懐具合を考え,1泊10ドルのアパートを用意してくれた。彼は30歳半ばの気配りが行き届く,学生時代にレスリングをやったスポーツマンで,これから始まる迷路もある草原の道をロシア製ジープで案内してくれる旅の演出者である。
 首都を貫流するセルベの河畔に立つ9階建てアパートの3階にある約64uの2DK(居間18.4u,寝室11.9u,食堂兼台所10.2u,浴室3.3u,WC1.4u,ベランダ9.6u,廊下9.4u)の部屋は内装を済ませ快適空間を用意していた。家主家族はドイツへ長期出張中で,部屋には電気コンロ,冷蔵庫,テレビ以外に家財道具は何一つないが,社会主義時代に整備された都市集中暖房システムにより熱水が24時間使えるのは有難い。

セルベ河畔のアパート群

 市内に林立する社会主義時代に建設された高層住宅(アパート)は現在では個人に分譲されている。その価格(2001年現在)は一般に1DKが円換算で103万4千円,2DKは160万9千円,3DKは206万8千円程度である。この分譲価格も入居希望者が多く値上がり傾向で,1999年の2DKは57万5千円くらいであった。

アパートのDKの一部
エンフジャルガルは羊肉を使わない料理はモンゴル料理ではないという。

 ショッピングセンターにて

 私が借りた南向きアパートのベランダに出ると,東方に近代的外観の高級ホテル(チンギス・ハーンホテル,韓国系資本)が目に入り,徒歩10分の距離にある。そのホテルに付設の2階建て建物はスカイ・ショッピングセンターと英語名の看板を掲げている。
 店内には食料品,日常雑貨品,衣類,電化製品,IT関連機器,その他の商品が並び,
食堂はもちろん美容院もある。わが国のデパートにいる錯覚に襲われる。市内各所にカフェの看板が目立ち,そこで昼食を済ませ,朝飯と夕食を自炊し,その食材をこのショッピングセンターで買うことにして,週1回程度訪れ,物珍しさも加わり,ささやかなショッピングを楽しんだのである。

チンギス・ハーンホテル
このホテルの南側にスカイ・ショッピングセンターはある。
ショッピングセンターの果物コーナー
すべて輸入品である。ふじ林檎(大玉1個230円)が仲間入りしていた。

 モンゴル国の人口は237万3千人(2000年1月現在),そのおよそ3分の1に相当する85万人が首都に住んでいる。市内には大小のショッピングセンターや常設自由市場があり,零細な食料品店の看板も目立つ。首都の巨大な胃袋をまかなう食料供給装置は完備されている。
 スカイ・ショッピングセンターの食材,嗜好品,電化製品など一部の値段を示すと付表のとおりである。モンゴル人が主食とする肉類の中で最も好む羊肉1キロの値段は上述した公務員月収平均33ドルの4.4%,牛肉では4.2%,豚肉では1.0%,同じく主食の小麦粉では0.9%に相当する。ちなみにわが国の場合,主食の米(5キロ1880円)の値段は月収25万円の場合は0.15%に相当する。こうした数字から,首都の主食の値段は高く,エンゲル係数が家計をおびやかしている実態を垣間見ることができる。
 ショッピングセンターや零細な食料品店には地場産の野菜類や生乳などを除けば輸入産物があふれており,この数年間の食料品に限らず外国商品の進出は段突である。まさに首都の市民経済は市場経済システムに完全に組み込まれている。首都圏における産業の展開は非常に遅く,そのため就業機会が極めて少ないにもかかわらず市場開放が超速度に進行している現状は重大な問題である。市場経済の開放に長い期間をかけ,しかもその後遺症に苦労しているわが国の現状を考えると,モンゴル国の経済や首都民の暮らしの先行きに心配が残る。
 市場経済至上主義路線をひた走る首都民の間に著しい貧富の階層分化が起こり,ショッピングセンターの陳列商品とはまったく無縁の人々が多いのも現実である。貧困層の彼らは肉専門の自由市場に出かけ,羊の頭部を1頭23円で購入する。頭部に付着の肉をそぎ取り,ボーズ(肉まん)の食材に使うためである。1頭からボーズ30個分の肉が得られるという。肉を買えない人々は市場の片隅に積まれた羊の骨をスープ用に買っている。もの悲しいショッピングである。
 スカイ・ショッピングセンターには,付表に示していないが,白菜,大根,キャベツなどの野菜類が豊富にあり,豆腐や漬け物,そして冷凍の水産物,鮨たねまでも並んでいる。トレイに盛った米飯,炒め肉とハルサメの弁当に海苔巻き4切れが添えてあった。弁当の値段は日本円換算172円で,夕食用に持ち帰り海苔巻きを口にしたが,酢味がなく驚いた。乳・肉食文化のこの国には酢の文化は育っていないのである。
 旅先での食べ物は,人情や風景や文化などと同じようにその土地への愛着を誘い,腰を落として暮らしてみたい気分にさせる。遊牧草原の涼風に吹かれながら,あるいは凍てつく寒気に包まれたゲルの中で食べる山羊の骨付き肉の蒸し焼き(ボードク)や羊肉と薬味のフムール(ねぎ属)が詰まったボーズの素朴な味がこの国への旅心を掻き立てる。しかし,農耕民族の出自のせいか,年がら年中,野菜なしの乳・肉の食べ物ではその土地で暮らしたい気分を大いに盛り上げてはくれない。
 ところが,セルベの川面が夕陽でいぶし銀のように輝き,ポプラ樹の立ち並ぶ河畔に寄り添うチンギス・ハーンホテル周辺の静寂な雰囲気とスカイ・ショッピングセンターの菜食の食材は,この国の首都に居を構え,四季折々に遊牧草原に出かける贅沢な暮らしをしてみたい思いに駆り立てる。それはしかし,燃えつきる一瞬,明るく照らすローソクの炎のような思いになるかもしれないが。

未知なる人に会う

 モンゴル国では1ヵ月以上滞在の場合,外国人登録所に登録しなければならない。ところが登録所で,運悪く,その担当者が社会主義時代の悪しき遺産を背負い込んでいるためか,横柄きわまりなく,手続きの書類にいちゃもんをつけたのである。傍らにいたエンフジャルガルはごうを煮やし,私たちの旅行の理由をまくし立て一見落着した。日本からの老人と若い婦人を甘くみたらしい,と彼は言う。
 しかし心なごむ話もある。9月中旬,私たちは都合で帰国を早めることになり,モンゴル航空会社に出かけ航空券の予定日変更を頼んだ。その理由を聞かれ,長旅で疲れた老人とその付き添いということにした。この時期,首都と関西空港を結ぶ週2便の搭乗者は多く,キャンセル待ちも多い状況である。対応の女性は長く感じられる時間を上司と相談し,1週間後の席を予約してくれた。予約切符の変更には10ドルの「まいない」を渡す習慣があるが,それは不要であった。私はカウンター越しに古くから伝わるモンゴル人の心優しい情の風景を見る思いであった。
 外国人登録所を嫌な気分で出て,白雲一つない茄子紺の空の下,目抜き通りを走っている時携帯電話が鳴った。相手はナチンと名乗り,私に会いたいという。私には未知の人であり,狐に摘ままれた様な気分で応答し,2日後の日曜日に私のアパートで会うことにしたのである。
 彼は首都で10日ほど前,大阪外国語大学大学院在学のT嬢(今岡助教授の教え子)と会い,私たちがゴビ地方へ出かける予定を聞き,かねがね会いたいと思っていたので電話したと言う。彼は中国内モンゴル自治区出身で,現在は東北大学大学院へ留学中,モンゴル草原の植物群落の構造と環境との関係を研究しており,1999年からはモンゴル畜産科学研究所S.ツェレンダッシュ教授と共同研究を行っているという。私とはモンゴル草原に関する研究仲間になるわけである。そこでモンゴル草原や遊牧の定住化などの問題を内モンゴルの事情を聞きながら半日以上話し合ったのである。そして翌日,私たちは彼の研究現場の1つ,首都から北西約40キロの森林性草原に案内してもらうことになった。
 私は彼の研究現場を訪ね,ゴビ地方とは比較にならない牧地の豊かさと豊饒な牧畜風景(牧畜風土の具現形)を見聞し,思わぬ収穫を得たのである。それはこの10数年来,ゴビ地方山岳部での草原と牧畜調査に集中し,1989年に調査した北部ハンガイ地方の森林性草原をすっかり忘れてしまい,モンゴル即ゴビという短絡的思考に陥いっていたのである。そのため迂闊にもゴビの牧畜像をモンゴル国の牧畜像と思い違いしていたことに気づいたわけである。モンゴル国の風土は際立って多様であり,牧畜の有り様もまた多彩に考えなければならないことを痛感したのである。彼には心底より感謝しなければならない。
 テント,寝袋,食料,燃料,遊牧民への土産物などを積み込んだジープは3日後の8月12日ゴビ地方へ向かって出発したのである。

駆け抜ける馬群の行く手蜃気楼