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〔シリーズ〕私のモンゴル(4)

−首都ウランバ−トルは今(1)−

三秋  尚

首都の無機的素顔

 モンゴル高原のほぼ北半分を領有するモンゴル国の面積は156万4千h,わが国の4.1倍の広さである。首都ウランバ−トルは広大な国土の中央部より北東寄りに位置し,地球儀でみると北緯47°55′(稚内45°25′),東経106°55′(那覇127°41′)の交差点上にある。
 標高1,350m(国土の平均標高1,580m),最暖月(7月)の平均気温16.9℃(稚内の最暖月8月19.2℃),最寒月(1月)のそれは−21.8℃(稚内2月−5.7℃),年平均気温は−2.9℃(稚内6.4℃)であり,年間降水量259o(稚内1,124o)の大部分は夏に集中する。
 首都の面積は4,700ku(京都府4,612ku)で,このうち都市区域は1,359ku(札幌市1,121ku),残り3,341ku(鳥取県3,507ku)は郊外区域で,草原とわずかな農耕地に覆われている。地形的には四方を山で囲まれた盆地で,モンゴル高原の烈風から護られている。しかし,無風時には巨大な火力発電所の排気ガスが市街地上空によどみ,首都の南に迫る聖山ボグド山系の山腹(標高1,780m)に登るとしばしば強いガス臭を感じる。

写真1 首都の遠景

聖山ボグドの山腹から望む。排気ガスが市街地上空をよどむ。1998年8月。

郊外区域の牧畜模様

 首都人口は78万6千500人(全国人口の約33%),世帯数は16万7千200戸である。このうち郊外区域の遊牧労働人口は5千206人,戸数は2千243戸と記録されている(2000年末現在)。10年前(1990)の社会主義時代,遊牧民はネグデル(旧ソ連のコルホ−ズを模範にした農牧業協同組合,すなわち遊牧民の集団化による牧畜共同経営組織体)に加入し,郊外区域の遊牧労働人口は495人,世帯数は401戸であった。しかしネグデルの解体3年後,1995年には遊牧労働人口は6千217人,戸数は2千327戸に増加し,その水準は今日までほぼ維持され,この10年間の増加率は人口10.5倍,戸数5.6倍である。
 この増加は,ネグデル体制崩壊後の市場経済化に誘発されて地方から移住してきた遊牧民によるものである。一方,首都の都市区域への人口移動も活発であり,この10年間に人口は1.4倍,戸数は1.5倍に増加している。しかし,郊外区域への移動速度の方が激しい。
 20世紀は,都市化現象(ア−バニゼ−ション)の時代であったともいわれ,先進国と後進国とを問わず,世界的に共通してみられた現象である。都市化とは@農村から都市への人口移動集中,A都市産業への就業人口の増加,B都市的生活様式の普及である。
 今,首都では上記@の都市化現象が郊外区域にまで押し寄せている。遊牧社会の人々の価値観は,市場経済化,グロ−バリゼ−ション,あるいはIT革命など時代の潮流によって大きく変わりつつある。彼らは一先ず郊外区域に移り,牧畜を営みながら,都市区域への移住の機会をうかがっている。私が通いつめているゴビ山岳部の遊牧民の中にも首都を目ざす人々は皆無ではない。
 郊外区域の草原において,遊牧民たちは家畜23万600頭(馬2万頭,モンゴル牛4万9千頭,羊10万3千頭,山羊5万9千頭)を飼育している。これら家畜の中で牛と馬はミルク用,羊と牛は食肉用として首都市民の台所に運ばれ,山羊はカシミア用で首都にある工場で製品化される。また,農耕地2千98haでは馬鈴薯と野菜類が栽培されている。

写真2 森林性草原の景観

シベリアから運ばれる湿潤大気により北斜面や谷間に樹木が育つ。首都から20km、馬飼養牧家の集団。2001年8月

 昨年8月6日,郊外区域の草原へ出かけた。道中は緩やかな丘陵地帯で,谷あいや北斜面にシベリア松が茂る森林性草原の景観が続き,牧地は干ばつで茶色に染まっている。首都中心部から20q地点で15戸ほどのゲルの集団地を通過した。各牧家で馬を飼養し,馬乳の生乳と馬乳酒を首都に出荷している。なお,この付近では都市住民が病気療養のため夏の2週間ほどをテントで暮らし,毎日牧家で馬乳酒を仕入れて飲用するという。馬乳酒は肺,胃腸,心臓の疾患に効用があるとされている。
 この場所から10qほど離れた地点で草刈りの夫婦に出会った。夫トルゴ−シはレントゲン技師,妻ルハムスレンは社会主義時代に国営農場で運転手として働き,ともに定年を迎えた8年前からこの場所に住み,牛10頭(母牛6頭,子牛4頭)と30頭の羊・山羊を飼育している。彼女の話では「子供4人はそれぞれ家庭を持っているが,息子が毎日搾る9rほどの牛乳を週3回車で首都市街地に運び,販売する仕事を引き受けている。また,近くに下営する牧家との間で,牛乳販売用の車の共同購入や井戸掘りを話題にするが,実行段階で前に進まない。困ったことだ」と。
 ここからさらに20q離れた場所で,馬牽引用草刈機で干草作りに精出す3人の青年に出会った。その青年の1人オ−ガンバヤル(21歳)は次のような内容を話してくれた。
 国営農場財産の私有化で手に入れた草刈機2台と集草機1台を3戸で個別に所有している。乾草調製は3戸の共同作業で,青年3人,子供3人がテント生活をしながら働き,子供は半日予乾草を円錐状に堆積する。7〜10日間の堆積で乾燥し,乾草の仕上がり総量は30トン,自宅に運ぶ3戸分のトラック代は乾草6トンの物納で済ませ,残りを3戸で均等分配している。
 彼の家では16頭の牛から1日25r程度の牛乳を搾り,首都市街地で訪問販売している。1rの乳価は約300トゥグルク(1円=8.7トゥグルク),総乳代は7千500トゥグルクくらいになるが,首都市街地までの距離は50qあり,ロシア製ジ−プかマイクロバスの相乗り車代に往復2千トゥグルク支払っている。また,昨年は牧草(野草)の生育が悪く,越冬用乾草400梱包を32万9千トゥグルクで購入した。冬期間は搾乳しないから,この期間にこれを埋める収入はない。彼は,こんなにコストをかけて,何をしているのだろう,と思案顔であった。彼の家の家計収入は175万4千トゥグルク(牛乳粗収入109万6千トゥグルク,両親の年金収入65万8千トゥグルク)である。ちなみにモンゴル国立大学教授の平均年俸は96万9千トゥグルクで,この国の教師の待遇は悪い。

写真3 干し草作りの風景(1)

森林性草原は干し草作りの適地で、ゴビ地域の砂漠性草原では見られない風景である。作業者は作業期間中テントで暮らす。2001年8月。

写真4 干し草作りの風景(2)

社会主義時代、国営農場や農牧業協同組合では干し草を盛んに作った。現在は家族遊牧経営体が主役である。

写真5 干し草作りの風景(3)

子供達もテント暮らしをしながら干し草作りに精出す。遊牧民家族の子供達は仕事や家事をよく手伝う。

 最大消費地ウランバ−トルの郊外区域は,生鮮食料の供給基地であり,「比較有利性」の法則が働いて,地方の遊牧地域より畜産物の販売において優位に立ち,また乾草や混合飼料の外部調達でも有利である。しかも,牧地生産力は,@夏営地と冬営地間の移動距離は5q〜8q,A牧草生産量(風乾物)は10a当たり120s,対するゴビ地域は@25q〜40q,A20sであるから,はるかに上位にある。しかし,落とし穴もあり,先述のように生乳の輸送コスト負担は大きい。また,近年の異常気象は乾草自給量を左右し,その購入は生産コストを押し上げている。
 昨年1月,モンゴルの有力新聞「ウドゥリンソニン」は,ある識者の「遊牧的牧畜の定住型牧畜への転換」,つまり遊牧の定住化論を紹介していた。牧畜の近代化を指向する一部世論の後押しもあるようだ。これは草原社会の近代文明化と自然環境保全の両面から論議すべき,とても重要かつ難儀な問題である。豊饒な牧地に立地した首都郊外区域の牧畜を観察しながら,私自身もこの課題に真剣に対峙し解答を得なければ,モンゴルへの旅は終わらないと思ったのである。

限りなき山羊の蹄跡(つめあと)若草野