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〔シリーズ〕私のモンゴル(5)

−首都ウランバ−トルは今(2)−

三秋  尚

急増する首都人口

 1991年から2000年まで10年間,首都の人口増加率は4.5%,これに対し総人口のそれは1.5%であるから首都の方が著しく高い。この高い増加率は地方からの定住民や牧民の移住によるものである。ちなみに東京都の上記期間の人口増加率は1.8%である。昨年11月7日,首都議会は記者会見で「現在,首都には85万人が居住しているが,無許可で住み着いている者が約15万人おり,合計すると首都人口は100万人となる。首都に移住する者については5万2千トゥグルク(円換算5980円)を徴収しているが,再考の必要がある」と発表している。
 この国の有力新聞「ウドゥリンソニン」は昨年11月から“国内移民”というテ−マで首都への人口流入問題を取り上げている。1992年制定の新憲法は居住の自由を認めているが,首都の住民票を得るためには手数料が必要である。この手数料は1995年に大人1人当たり1万3千トゥグルク(円換算1494円),未成年者は半額と決まっていたが,2001年から値上げとなった。その値上げの理由を当局者は,首都に移住して来る者は中流以上の国民だからと説明している。しかし貧しくて手数料を支払えない「もぐり」者も定住しており,彼らは住民証を持たないため,健康保険や高齢者福祉制度を適用されず,そのような暮らしゆえに“国内移民”と呼ばれるようになったらしい。
 そこで,《“国内移民”に恩赦を》,と彼らへの支援を求める意見がメディアによって取り上げられている。上記の新聞は,首都に先に来た者が,後から来た者を“国内移民”呼ばわりしてののしっている。首都に移住して来る人々は,先人と同様に,学問を修めたり,仕事や生活のために来ているのだ。彼らを疎外することはやめよう。そして首都に移住して来た人々に対し,恩赦の月を設け,一定期間無料で住民証を渡したらどうか,と提案している。そして,今後20年間に地方から100万人の移住があるとういう大まかな予想があり,今すぐ違法滞在している地方の人々を正式に都市住民として認め,同時に100万人の移民を受け入れる体制に取り組む必要があることを強調している。

首都のモ−タリゼ−ション

市街地目抜き通りを走る車。現在,国内の乗用車台数は10万台,うち4万台は首都に集まる。車が吐き出す騒音と排気ガスは著しい。この10年間に乗用車は急増し,車の便利は「負」の世界を引きずっている。2001年夏に写す

首都の地方空間

 首都の推定人口100万人の約半数は,ゲル団地(ゲル・ホロ−ロル,ホロ−ロルとは「囲いをする」の意味)に住んでいる。ゲル団地はウランバ−トル市街地北部の主に丘陵地帯に広がり続けている。板塀で囲い込んだ土地にゲルや木造や煉瓦積みの家屋が建っている。土地は国有であるから住民は借地利用である。借地期間は一般に30年,その期間の借地料は750u(25m×30m)の広さでおよそ9千トゥグルク(円換算1034円)である。木造小屋と板塀を合わせた価格は一般に50万トゥグルク(円換算5万7千円)であるから,高層アパ−トの1DKの価格900万トゥグルクに比べると非常に安い。
 ゲル団地の住民は,市街地の高層アパ−トを経済的理由から入手できない家族,高層アパ−トに自宅を所有しセカンドハウスとして利用する者,外国からの一時帰国家族,事業に失敗した者,地方からの移住者など様々である。
 ゲル団地のライフラインは遅々として進まないが建設中である。電気は来ているが,新興団地ではロ−ソクを使用している場所もある。生活用水は井戸や給水車に頼り,燃料は購入の石炭や薪である。バス路線に近い団地でも運行回数は少なく,一般に交通は不便である。しかし,ゲル団地に住む家族は,高層アパ−ト住民と違い,日常的に隣家と温かく付き合い,子供たちは家事を分担し,懸命に働く。この団地には遊牧民が現代に伝えている家族の助け合いと隣保の心が息づいている。
 市街地から抜け出し,草原への慕情漂うゲル団地に一歩足を運ぶと,モンゴリアンブル−の大空を吹き抜ける風に草原のハ−ブの香りを濃く感じる。私には,ゲル団地とはまさに首都の地方空間,都市住民の原点ともいえる遊牧の故郷のように思えてならない。社会主義時代には,都市政策の一環として市街地のゲル住民を高層アパ−トへ転居させる政策が進められた。今はしかし,膨脹する人口がゲル団地の復活に力を貸している。時代の流れは皮肉なものである。

社会主義時代のゲル集団

社会主義時代,都市住民の住居はゲルからソ連の支援で建築された高層アパ−トへと移っていった。写真はゲル集団で,個々のゲルは板柵で囲い込まれている。この団地はその後解体され,今は草原となり,夏にはムンフツェツェグ(エ−デルワイス)が咲き乱れている。1982年冬に写す。

ゲル団地

首都市街地に隣接する丘陵地帯にゲル団地がガン細胞のように増殖を続けている。写真右手の高層ビルはアパ−ト,左手丘陵地の建物群はゲル団地。2001年夏に写す。

ゲル団地の一部

板塀に囲まれた借地にゲルや煉瓦積み家屋,木造小屋が建つ。2001年夏に写す。

別荘文化

 市街地から北へ約15キロ,セルベ川に沿ってサンザイ保養地に向かう舗装道路の両脇に広がる樹林に恵まれた丘陵地に,最近になって別荘地帯が形成されつつある。我先に借地を板柵で囲み,ログハウスなどの建築が流行している。今岡良子助教授の夫君エンフジャルガルは,1年前に来た時はこれほど別荘は建っていなかった,と驚くほどである。ウランバ−トル市内に,青空ホ−ムセンタ−と言うべき巨大な建設・建築資材市場ができ,室内装飾の様々な材料が販売されている背景には別荘ブ−ムが関係しているようである。
 モンゴルの別荘文化は,10年前まで70年間続いた社会主義時代の遺産かもしれない。当時,都市住民は,労働者の権利として夏休みを手づくりの小さな別荘で楽しんでいたのである。現在,この国では7月から8月にかけて1か月以上2か月に及ぶ夏休みをとる制度が政府・地方行政機関,議会,司法や教育機関の職員に適用され,当番の看護婦や警官等以外の者は休暇を取り自前の別荘に出かける。また,一般人も別荘で夏休みを過ごす人は多い。彼らの別荘は社会主義時代から首都近郊の草原にあり,多くは簡素な木造家屋である。

新興別荘地に建築中のログハウス

首都を貫流するセルベ川上流域の丘陵地に大小の別荘が並び建つ。急増する住宅建設で,河川の流水が激減し,下流域の住民から苦情が出ている。2001年夏に写す。

 セルベ河畔丘陵地帯での別荘建築ブ−ムの火付け役は,市場経済における勝ち組で,4千ドルのベンツを持ち,月収5千ドル級の企業者達である。彼らは5千ドルのログハウスを建て,2か月間の夏休みを存分に楽しんでいる。しかし,月収1千ドル級前後の人たちも負けてはいない。彼らの多くは500ドル程度の小さなログハウスで我慢し,セルベの新興別荘地の住人として満足している。
 この国の別荘住人は誰もが1〜2世代前まで両親や祖父母の営んできた遊牧生活への郷愁をにじませながら夏の日々を過ごすのである。今日,市場経済の勝者も敗者も首都の高層アパ−ト内に閉じ込められ,その狭い空間を息苦しく生きる人々は,別荘を温かく抱擁する草原の風に触れ,軽やかに流れる馬蹄の響きや家畜の鳴き声に耳をそばだてながら至福の時間に浸るのであろう。
 私は10年ほど前,牧畜経済学者で国会議員を勤めるツァガンフ−の別荘に招かれ,少年時代を過ごしたゴビの風土やラクダ飼いの苦労話などを拝聴したことがある。この時の草原の暮らしを語る彼の表情には,高層アパ−トの自宅で感じた理論家として相手を威圧するほどの凄みと鋭い眼光は消えていた。
 遊牧草原を流れるゆったりとした自然のリズムが都会人の心を和ませ,遊牧の心の故郷へ誘うのであろう。この国の別荘文化とは,社会主義時代の遺産とも言えるけれど,実は都市住民が悠久の時空を超えて受け継いでいる遊牧民族の遺伝子に違いない。

若草の地平線まで埋めけり