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〔シリーズ〕私のモンゴル(8)

−2002年夏・再訪(1)−

三秋 尚

 旅立ち

 02年8月5日17時30分,成田空港を飛び立ったモンゴル航空OM502便はソウル,上海,北京の上空を経てゴビ砂漠を北上し,23時03分首都空港ボヤント・オハーに着陸した。時差は1時間であるが,モンゴル国は夏時間制のため日本と同時刻である。空港の外気温は13度,岡山との気温差は20度前後であろうか,草原の冷たく乾ききった微風が湿潤暑熱で痛んだ老身にやさしく触れ,心地よい。
 今回のモンゴル国再訪は,昨年と同様に大阪外国語大学今岡良子助教授(遊牧地域論専攻)に同行し,ゴビ山岳部ツェルゲル村に設定してある牧地の植生調査を行うためであった。昨年夏の調査では,前年(2000)の旱魃と翌年春の砂嵐による家畜の大被害に仰天し,そしてこの夏の調査では,またも襲来した旱天は厳しく,牧草は枯れ上がり,行く先々の草原は緑を失って,茶褐あるいは黄一色に塗りつぶされ,その荒涼とした光景を語る言葉に窮したのである。
 昨年の調査で,冬営地に備蓄される夏草の量の,大仰に言えば限り無く零に近い状態の牧地が各所で見うけられた。このため牧民たちは迫り来る冬を目前にして,越冬用飼料の調達に追われ,新しい冬営地探しに四苦八苦し,あるいは家畜頭数を減らすなど,その対応に努めてはいるものの,予測し難い自然災害への不安な思いが付きまとっているように感じられた。したがって今回の調査では,牧民たちが厳冬をいかにして乗り切り,今年の夏を迎えているか,そして厳しい自然の摂理に従い,今を生きる彼らの心の声を聞きたいと思ったのである。さらにまた,砂嵐と旱魃により二重の大打撃をうけた牧地の植生が,この夏どのような状態にあるのか,草地学専攻の私にとって非常に関心のあるテーマであった。

首都空港ボヤント・オハー(1)
写真1 首都空港ボヤント・オハー(1)
草原の真っ只中の空港建物の正面

写真2 首都空港ボヤント・オハー(2)
写真2 首都空港ボヤント・オハー(2)
国内線(首都−県都間)就航機。国際線(夏期スケジュール)は成田,大阪,北京,ベルリン,フフホト(内モンゴル),イルクーツク,モスクワ,ソウルへ就航。

 遊牧文化とマスメディア

 モンゴル国では99年12月から00年4月にかけて大雪による災害が各地に発生した。この時わが国でも新聞やテレビが幾度となくその状況を報道し,特に日本人取材記者2名の遭難による不慮の殉職という惨事に人々の目が注がれたのである。しかし,その後に続発している気象災害とそれに立ち向かう人々の暮らしなどについて,わが国のマスメディアは沈黙を守っている。おそらくニュースとするには値しないと判断してのことであろう。
 だが一方で,テレビ局はタレントなどを首都近郊の豊饒な草原に送り,遊牧風景を切取り,そこに暮らす牧民の平穏で明るい日常を私たちの茶の間に届けることを忘れてはいない。異国の文化を正しく理解し,知ることは,その国の人々との交流に欠かせないと思うので,上述のようなテレビ番組にことさら文句をつけるつもりはない。
 ところで遊牧とは,その土地に草原しか成立させない厳しい気象環境下における,人々の家畜を介した自然との共生の営みであり,そこには「自然に生かされ,自然を活かす」暮らしの哲理が貫かれている。モンゴル草原の自然環境は苛酷であり,人間の生存にとってはかなり極限に近く,その生活は常に自然の反乱に翻弄(ほんろう)される宿命を背負いこんでいる。遊牧の人々はしかし,その宿命を甘受し,迎え入れ,折り合いをつける工夫を凝らしてきた。彼らは自然の微笑む時も怒る時でも,その表情を探りながら,家畜飼養を基軸に据え衣食住にわたる暮らしの術(すべ)を編み出し,独自の遊牧文化を築き上げたのである。
 それゆえに私たちは,モンゴル草原の陽春の光輝く時や芳醇なハーブの香り豊かな時はもちろん,干からびた夏や風雪の舞う厳寒の時など巡り来る季節の様々な変化の下で,大地に生命(いのち)を刻む人々の営みを見つめることによって,遊牧文化の存立意義とその価値を深く理解することができる。そしてさらに,彼らの営みの尊さと母なる自然への畏敬の念に心打たれ,人間の生きる故郷を発見するに違いない。
 大地に根ざした生命(いのち)の営みは,自然の掟(おきて)によって多様な姿を表し,その多様性を認識し,理解し,尊重することが,今あらためて私たちに強く求められている。それはこの夏のヨハネスブルグで開かれた環境開発サミットの大きな主題「貧困の削減」の実行施策を支える思想でなければならないと思うからである。そして私は,マスメディアに対し,モンゴル遊牧文化の報道に上述した視点を忘れてほしくない,と切に願うのである。

図1 モンゴル国全土とバヤンホンゴル県
図1 モンゴル国全土とバヤンホンゴル県
図2 バヤンホンゴル県全土とボグド郡
図2 バヤンホンゴル県全土とボグド郡

 ツェルゲル村へ

 8月12日夜明け前,約3週間の旅装を整え,モンゴル留学中の2名の学生を同伴し,今岡良子助教授の夫君エンフジャルガルの運転するワゴン車(三菱パジェロ)で首都を発ち,ツェルゲル村へ向かったのである。

写真3 ツェルゲル村同行メンバー
写真3 ツェルゲル村同行メンバー
左から今岡良子助教授,Kh.エンフジャルガル,学生(男・女),三秋。

写真4 手工芸産品の一部
写真4 手工芸産品の一部
(バヤンホンゴル県知事室にて)
知事は特産品として家畜毛を用いた手工芸品作りに熱意を燃やしている。彼は数日後に首都で会う大分県平松知事の一村一品運動に興味を寄せていた。

 途中,県都バヤンホンゴルとボグド郡の中心地に立ち寄り,チョイジルスレン知事とドラムドルジ郡長をそれぞれ表敬訪問した。その席で今年(2002)5月の大雪による家畜の大損害を初めて知り,さらに県都に1年前から住むツェルゲル村元住人バットツェンゲルから,同村民の被災事情を聞くことができた。
 被災の程度は牧家によって様々で,家畜を半分あるいはそれ以上も失い,1戸当たり山羊・羊群200頭以下,なかには50頭規模に減少した牧家がある一方で,被害は軽く400〜500頭規模を維持する牧家も少なくない。どうやら02年5月の大雪は,これまで2年続きの旱魃と砂嵐による被害の大きかった牧家に決定的な痛手を与えているようである。とりわけバットツェンゲルから耳にした,被災牧家の中に金採掘現場に家族ぐるみ移住した牧家,あるい首都に移住した牧家がいるという情報は,被災の深刻さを物語るに十分過ぎるものであった。
 県都からツェルゲル村までおよそ200キロ,草原の轍(わだち)道を上下左右に大きく揺れながら走る車の中で,「自然と遊牧」「遊牧と都市文明」「富者と貧者の選別」「貧困からの脱出」という4つのキーワードに思いをめぐらせながら,現地(村の最奥地ダリルガ渓谷)入りしたのは8月16日の昼下がりであった。

   涸川の礫につまずき羊追い