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〔シリーズ〕私のモンゴル(最終回)

─草原回想─

三秋 尚

草原有情

 本稿シリーズの初回に記述したように,モンゴルへの最初の眼差しは少年時代に夢みた蒙古高原での羊飼いにさかのぼる。それから30余年後,1976年夏に初めてモンゴル国(当時はモンゴル人民共和国)を旅する機会に恵まれた。それはしかし,長く温めてきた羊飼いへの旅ではなく,現実的対応として実現できた草原調査であった。だが,眼差しの向こうには確実に,羊飼いとは無縁でない,未知なる遊牧草原との出会いが待っていた。
 モンゴル高原の極相植生は草原であり,その植生は国土の北部ハンガイ地方から南部ゴビ地方へ南下するにつれて水平的に森林性草原,純草原,砂漠性草原,砂漠へと変化し,帯状分布をなす。これらの植生分布帯は特に年降水量と深く係わり,一般に森林性草原は等降水量線400〜300o帯,純草原は300〜200o帯,砂漠性草原は200〜100o帯,砂漠は100o以下帯に出現している。
 これら各草原帯における植生は一様ではなく,変化に富んでいる。つまり寡雨のモンゴル草原では降水の少しの匙加減で植生は過敏に反応し,しかも土地条件などが関与して植生にさらなる変化を起こすのである。モンゴル国植生分布図(1984年作図)をみると,上記の植生帯はさらに25亜帯に細分されている。このようにモンゴル草原はわが国の平均降水量1700o下で成立する極相森林に比べてその表情が非常に豊かである。
 1976年7月下旬,首都ウランバートルを飛び立ち南ゴビ県の乾ききった砂漠性草原に立ったとき,抜けるような紺青(モンゴリアンブルー)の空の下,かぐわしきハーブの香りが一帯に漂い,真夏の涼風に小刻みに揺れるターナ(ユリ科ネギ属)の真白い小花が遠くまで連なり,彼方に小さく浮かぶゲルが強い日差しで白く燃える風景に,私はこれまで体験したこともない大きな感動を覚えたのである。そしてまた,冷え切った払暁のゴビの大地から大きく真っ赤に膨らみながら昇る太陽,そして夕映えの空を赤や紅色に染めつくし,家路につく山羊・羊群と牧童のシルエットを残して地平の果てに沈む太陽の荘厳の美に打たれたのである。それはアジアモンスーン農耕世界からの想像をはるかに超えた光景であり,その鮮烈な記憶が今も遊牧草原への旅を誘っている。
 ゴビ草原と別れて10日後に訪れた旧帝都カラコルム(1235〜1270)に近いハンガイ地方の森林性草原は,ゴビとはまったく違った雰囲気の中で迎えてくれた。ハンガイの山々の主に北斜面に樹木が育ち,無立木地帯の緩やかな山腹から裾野にかけて固有の草原植物が密生する風景は穏やかであり,潤いを覚え,女性美を強く感じたのである。しかし,荒々しく苛酷な自然と対峙し,大旱魃時には死に体に近く,降水に恵まれると一転して緑濃き草原に変わる生命力を宿し,凜として遊牧草原の輝きを放ちながら,遊牧3000年を紡ぐ一翼を担ってきたゴビ草原に,私はより激しく心引かれたのである。

写真1 砂漠性草原

ゴビ大平原のターナ(ユリ科ネギ属)優占草原。植被率50%前後の草原も遠景は緑一色に染まり,ターナの小花で白く薄化粧されている。ゴビ・プロジェクト調査隊一部の移動車。1990年夏。この草原も2001年の大旱魃では夏枯れて褐色に変わっていた。

草原回想

 1976年以来今日までモンゴル草原の植生調査を重ねてきたが,そこには遊牧的牧畜の実像を五感でつかみ,大学における草地学教育の教材にしたいという思いが潜んでいたのである。と言うのも,当時のわが国酪農業は,近代化路線をひた走り,農業の基盤である土地から遠ざかり,外国産飼料の加工業的経営に大きく傾斜しており,その動向をどうのように認識し,評価すべきかを学生たちと議論していたのである。日本の酪農技術はヨーロッパを母国とするもであり,その母国の草地農業に関する情報は豊かであり,また留学体験者も多く,彼らの口から容易に情報を仕入れうる状況にあった。
 一方,モンゴルの遊牧的牧畜は草原生態系の物質循環機能に依拠する牧畜であり,ヨーロッパで起こった草地農業の源流とも言える存在である。ゲーテの言葉を借りるなら,他国を知ることは,自分の国を知ることである。ヨーロッパとモンゴルの牧畜業を鏡にして,わが国酪農業の姿を映し出してみたいと思ったのである。さらに欲張って,遊牧的牧畜と新大陸の乾燥草原で発達した企業的放牧業は,前者が近代的技術を後者が伝統的技術を行使する点で対極にあるとも言えるので,両者の比較もまた興味深い教材になるのではと考えたのである。しかし,当時としては遊牧草原や牧畜に関する情報の入手は極めて難しい状況にあった。そこで先ずはモンゴル草原調査となったわけある。ついでに付言すれば,上記の遊牧的牧畜と企業的放牧業の比較論考は「乾燥大陸・オーストラリアとモンゴルの風土と牧畜」の題名で『畜産の研究』(Vol.42〜43,1988〜1989)に連載されている。 上述したように1976年夏と翌年冬にゴビとハンガイ地方の草原に足を踏み入れ,1985年夏に再び上記の2草原を訪れ,そして1988年夏にはシベリアのバイカル湖西端付近とそこからの南下線に沿ったモンゴルのゴビとハンガイ草原,中国内モンゴル自治区の黄土高原,そして参考までにわが国阿蘇草原を加えて植生の比較観察を行い,大げさに言えば,寒冷湿潤アジア,高緯度乾燥アジア,温暖湿潤アジアの草原の表情を垣間見ることができたのである。

写真2 森林性草原

ハンガイ地方では北洋からの湿気が山々に樹林を育てるが,全山におよぶことはない。森林と水と草原の風景は人々の旅情を慰めてくれる。1989年夏。

 これまで局地的に見てきたモンゴル草原を鳥瞰的にとらえる,願ってもない機会が訪れたのは1989年であった。それは大阪外国語大学小貫雅男教授(現滋賀県立大学教授)によって企画された画期的な日本・モンゴル共同ゴビ遊牧地域研究調査プロジェクト(1989〜1993)への参加であった。
 1989年夏,モンゴル国の背梁山脈である,国土の中央部から北西へ約1000キロ走るハンガイ山脈一周5000キロ,約50日の旅程で森林性草原,純草原,砂漠性草原を移動し,6県(全国18県)下11郡の農牧業協同組合と牧家を訪ねた。さらに翌90年夏には,約50日間,6500キロの行程で,ハンガイ山脈西端に位置するバヤンホンゴル県(北海道と中国地方を合わせた面積にほぼ匹敵する)の北部から南部にかけて各草原帯を移動し,自然環境の観察と草原植生を調査したのである。両年の旅の記録は拙著『大草原の声が聴こえてくる』(鉱脈社,1991)に納めている。
 1993年夏まで上記のゴビ・プロジェクトに毎年参加し,最終年にはゴビ山岳部(標高1500〜3590m)のツェルゲル村で小貫雅男教授,大阪外大生3名ととも1年間のフィールドワークに従事したのである。この村は砂漠性草原帯に位置するが,標高が高くなるにつれて砂漠性草原は純草原に変わり高所では森林性草原に近くなる。地の利を活かして草原植生の表情を季節の移ろいの中でとらえ,牧家に宿泊して牧畜技術を学習し,夏季と冬季に馬,牛,ヤク,羊・山羊のそれぞれの群れの放牧に付き添って家畜管理技術を見習い,さらに家族の暮らしを凝視したのである。この村での見聞録は『モンゴル・遊牧の四季─ゴビ地方遊牧民の生活誌─』(鉱脈社,1995)に詳述し,また,「遊牧の生産・生活技術」の題名で『畜産の研究』(Vol.50〜52,1996〜1998)に掲載している。
 周知のように,ある草原における無機的環境,土壌,植物,家畜など諸要素の相互関係は生態的システムとして把握され,このシステムは草原生態系と呼ばれている。したがって草原植生の調査は生態的視点に立ち,多面的アプローチを欠かせない。しかし,旅人の立場での調査には限界があり,ある植生のある時点での植物組成,被度,現存量の測定だけに終始し,各植生帯内における植生の変化を解き明かすための外部諸要素との関係にまでは手が届かなかった。草原の植生は牧養力を左右し,砂漠性草原の牧養力は7ヘクタール当たり羊1頭であり,森林性草原の6分の1に過ぎない。今はただ,ツェルゲル村の冬営地に設定してある調査地で植生の経年的変化を見守り,上述の牧養力水準の動向を一喜一憂するしかない。ともあれ,植生調査関係の仕事は「モンゴル・遊牧の草原─遊牧を支える多様な植生」の課題で『畜産の研究』(Vol.49〜50,1995〜96)に,また,「モンゴル・遊牧家畜放牧の風景─牧地における家畜と牧人との関係─」の題名で『畜産の研究』(Vol.54〜55,2000〜2001)に掲載している。
 草原植生にはモンゴル固有の植物が出現するわけで,その同定に困っていたが,幸いにも1976年に採取した植物の名前は農牧省のG.エルデネジャヴ氏に教わり,また,1977,1985,1988年の採取植物については横浜国立大学教授北川政夫博士から教示をいただいた。そして既述のゴビ・プロジェクト参加中はモンゴル側のカウンターパートである牧畜研究所のR.ツェレンドラム博士ならびにS.トシヴァヒン氏から懇切な助言を頂戴したのである。いま,『草原回想』の筆を擱くにあたり,これら先達にあらてめて深謝の意を表す次第である。

写真3 R.ツェレンドラム博士

牧畜研究所・研究部長,牧地・牧畜学に詳しい。科学アカデミーの女性初の会員。ハンガイ山脈一周旅行での純草原帯野営地にて,1989年夏。私は同博士からモンゴルの牧地・牧畜に関し,多くのことを教授して頂き,恩師として尊敬している。しかし残念ながら,彼女は3年前に鬼籍に入った。本稿『草原回想』は追悼の記でもある。

草原の道閉ざしたり砂嵐