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〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(1)

−草原の大相撲−

三秋  尚

再びモンゴルを書く

 本誌3月号(03年)で「私のモンゴル」シリーズの筆を擱いたのであるが,再びモンゴルを書くことになった。それは本誌編集者から,最近,わが国の相撲界では朝青龍などモンゴル勢力士が活躍し,モンゴルへの関心度が高まっているようなので,もう一度モンゴルを書いてみないか,という甘言につられたからである。
 今年3月,モンゴル国出身の大相撲力士は19人を数え,5月夏場所の番付表では東横綱に朝青龍,西小結に旭天鵬,東前頭(3)に旭鷲山,西前頭(13)に朝赤龍のモンゴル力士が名を連ねている。しかも,郵便局に行くと,朝青龍のみけんにしわを寄せた「負けん気」の並々ならぬ表情の大きな顔写真に出会う。それは4月に発足した日本郵政公社のPR用写真であるが,私たちの日常にも彼の力士は登場しているのである。そこで,モンゴルとの文化交流の一助になればと思い立ち,私たちと幼児期に蒙古斑を共有するモンゴル遊牧民の暮らしの文化などについて,雑文を寄稿することにしたのである。

男たちの3つの祭典

 モンゴル国では毎年7月11〜12日にナーダム祭が開催され,この祭典の主要な行事は相撲,競馬,弓射の「エリーン・ゴルバン・ナーダム(男たちの3つの祭典)」である。
 ナーダムの事始めは封建時代にさかのぼり,その祭典の意味合いと規模は時代とともに変化し,19世紀初めに各地から参加者が集められ大規模なナーダムに展開したのである。 1921年の人民革命後,ナーダムの宗教的儀式は払拭され,国威発揚を祝う軍事的意味が強化され,1948年からは国家的行事として毎年7月11日(革命記念日)から2日間実施されるようになり,1992年の民主化以降は宗教的意義の復活のほかは変わることなく,今日に引き継がれている。
 古い歴史を継承する男たちの「相撲,競馬,弓射」の競技は,首都のスタジアムで行われる一方,夏の季節を通じて各地で地方ナーダムが催される。
 1992年9月,ゴビ山岳部ツェルゲル村では,全国初の小学校分校の開校を祝うナーダムが村民のほか各地からの参加者も加わって盛大に行われた。県都在住の全国ナーダムで優勝した力士も参加した相撲と子供たちの競馬競技に熱狂する人々の熱い表情と天空に届くほどの大歓声の響きは,私の視覚と聴覚に今も鮮明に刻まれている。
 モンゴル国では,カナダのホッケーや米国の野球のように,老若男女を問わずすべての人々が相撲を愛好し,男たちは子供のころから相撲に興じ,まさに相撲はナーダムの華ともいうべき存在である。

写真1 切手にみる男たちの3つの競技上から子供たちの競馬,相撲,弓射。

首都スタジアムでの大相撲

 首都スタジアムでの大相撲 首都のスタジアムで行われる相撲には,地方の予選で勝ち抜いた512人の力士が参加する。トーナメント方式で,一度に16組が取り組みをし,2日間にわたる競技で,勝者が選ばれる。
 力士の称号は,5回戦を勝ち進み16人のうちに残ると「ナチン(ハヤブサ,鷹),日本の相撲では小結に相当」,7回戦を勝ち抜きベスト4に残れば「ザーン(象),関脇」,9回戦を勝ち抜き優勝すれが「アルスラン(獅子),大関」,2度の優勝で「アヴラガ(巨人),横綱」,3度の優勝で「バイン・アヴラガ(常勝のアヴラガ)」,4度の優勝で「ダライ・アヴラガ(偉大なるアヴラガ)」,5度の優勝で「ダルハン・アヴラガ」(神聖なるアヴラガ)となる。この称号は上位の称号に格上げされることはあっても,位が下がることはない。モンゴル国にはプロの力士集団は存在せず,他に職業をもっている。
 力士の衣装は,長靴,パンツ,上衣,帽子の4つである。パンツと上衣は赤とライトブルーの絹布を数枚重ね太い糸で縫ったもので,相手の指がかけられないよう,体に密着するように作られている。長靴は重く,頑丈で,滑り止めの皮紐が巻かれ,足技をかけるに適する。
 特有の相撲衣装を身に着けた総勢512人の力士は,首都スタジアムの南東側の出入口から入り,東西に分かれて待機する。
 松田邦子氏は,このスタジアムは大きなゲル(移動式住居)に見立て,モンゴル独特のコスモロジー(世界観)が当てはめられているという。たしかにゲルの出入口は南東に向け,それを「南」および「前」とみなす。そして「後ろ」,すなわち「北」が貴い方角とされ,ゲルでは主人の席とされ,主客の席でもある。スタジアムにおいても大統領など来賓は「北」に座って観戦し,力士が入場するのは「南」からである。その上,相撲では南面して左,すなわち東側は「大きい側」,西側は「小さい側」と呼ばれる。東西に分かれる力士は,称号の順番に「北」側の「大きい側」(東),次が「北」側の「小さい側」(西)という具合に,交互に並ぶのである。


写真2 相撲衣装を身に着けた遊牧青年
衣装は帽子,上衣,パンツ,長靴の4つである。2001年8月,ゴビ地方セムネー家を訪ね,別れ際に家族
写真を撮ったが,長男ボルドスフは相撲衣装の一葉を求めた。遊牧の男たちはみんな力士なのである。

 スタジアムの中央広場は草地で,日本のように土俵はない。力士は平手で3回腿(もも)を打って気合いを入れると,介添人に帽子を取ってもらい,両腕を広げ,上下させながら鷹がはばたくように舞うのである。その舞はデウェーと呼ばれ,鷹などの猛禽を模したものとされている。
 一般に2日目に始まる3回戦からは,称号の高い力士が,対戦の相手を選ぶことができる。そして3,5,7回戦には介添人が力士一人ひとりにつき,自分の力士の勇壮ぶりを詩の調べに乗せて,意気揚々と張りのある声で高らかに詠じるのである。それは,これまでの力士の健闘を讃え,観衆にはその力士を応援させ,力士自身を励まし,気持ちの準備をさせるためである。この間,力士は介添人の右肩に手を置き,鷹の舞(デウェー)を演じながら周りを回うのである。力士を讃える詠唱は,スタジアムにいる観衆だけでなく,ラジオやテレビ通じて全国に伝えられる。
 相撲の技は,相手方と組み合わず瞬間的に足などを飛ばして相手を倒す技,相手の衣装をつかんでかける技,深く組んでかける技に大別され,その技の数は複合技を入れと400種にもなるらしい。勝敗は肘や膝,頭などが地につくと負けとなり,手のひらはついてもよいことになっている。
 相撲の技には家畜管理と深くかかわりを持つものがある。その一例をあげると,「トンゴロホ」技は,相手の体重を自分の手や足,腰などの上に一旦のせ,相手をひっくり返す技である。この技は,群れの中の馬を,乗用馬に調教するときに,捕まえてひっくりかえす際に馬に仕掛ける技である。「トンゴロホ」は,もともとのモンゴル語の意味が「馬などの家畜が後ろ脚を振り上げて暴れる,または,ひっくりかえる」という意味の動詞であり,家畜に対しても「トンゴロホ」技は用いられている。
 わが国の相撲界では,モンゴル出身の力士たちは,とにかく足腰が強くてバネがあり,しぶとい,と評判を取っているそうだが,それは草原の相撲で鍛えた体力によるのかもしれない。
 草原の相撲に制限時間はなく,両者は見合ったまま組み手の駆け引きで時間が流れる場合もある。社会主義時代には1試合の制限時間を設けたが,民主化以降は革命以前の時間をたっぷりかけた持久戦が復活している。松田邦子氏は4時間を超える長期戦を観戦し,さすがに力士たちも試合の途中で中断し,馬乳酒を飲む,「水入り」大相撲であったという。
 試合の勝敗がつくと敗者は上衣の腹の紐を解いて,勝者の右脇の下を右回りにくぐり敗北を認める。一方,勝者は帽子をかぶり,社会主義時代は国旗の周りを,民主化後はチンギス・ハーン時代の幟(のぼり)の周りを右回りに歩きながら鷹の舞(デウェー)を舞うのである。
 モンゴルの大相撲,それは草原の風土が時空を超えて育てあげた遊牧民の大舞踏である,と私は思うのである。
 本稿の記述には次の著書を参考にし,また引用した。
 Ya. Yunden. G. Zorig. Ch. Erdene『This is Mongolia 』,地球の歩き方編集室『地球の歩き方(モンゴル)』,松田邦子「白髪の力士、ナーダムに舞う」小長谷有紀編『モンゴル』。


写真3 草原の相撲
県都のナーダムにおける相撲。力士に介添人が付き,力
士の帽子を預かって 左手に持ち,取り組みを見守る。


写真4 勝者の鷹の舞
勝者は帽子を被り,鷹の羽ばたきを模した舞をゆったりと舞なかがら,チンギス・ハ
ーン時代の幟(のぼり)の周囲を右回りに歩く(原図はSkyLand,Vol.7,No.1,p.7)。