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〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(2)

−子供たちの競馬レース−

三秋 尚

 黄金の7月,空は抜けるように青く,波状の起伏に富む草原を薄く緑が覆う。遠く彼方の丘陵の背にかすかに砂けむりがわき上がっている。「馬が来たぞ」と観衆は叫ぶ。しかし私の視線の先に馬の姿は見えない。砂けむりは次第にこちらへ向かって近づいてくる。やがてその中から,先頭の馬の姿が見えてきた。胴が短く背が低いモンゴル馬は,茶のたてがみを風になびかせ,太い尻尾をふり乱して駈けてくる。背すじを伸ばし,自信に満ちた面だましで馬を駆る少年の姿はりりしく,彼は手綱を少しずつゆるめ,モンゴル独特の鞭を入れる。ゴールに立てられた仮設の小屋に掲げた小さな旗に向かって馬が1頭,2頭と近づくにつれて,蹄の音は草原に大きくひびき,鞍の上に立つように乗る少年はありたけの力をふりしぼり,左右に激しく鞭を振る。馬は大汗をふりしぼり,必死の表情で前脚を大きく上げ,後脚で地表を強く蹴りあげる。それは馬と乗り手の死闘のようでもある。赤いレース衣装の少年と栗毛の愛馬が,まさに一体となってさえぎるもののない緑の大草原を疾風となって飛んでいく。1〜2馬身ずつ遅れながら5頭の馬がゴールインすると,レースを観戦する数百人の喚声が沸き上がる。人々は少年と馬の紡ぐ華やかであり苛酷でもあるレースに感動し,草原の伝統文化に陶酔し,外国人観客もその雰囲気に飲み込まれる。そして,乗り手と馬は観衆の尊敬と羨望の視線を浴びる。5着馬の後ろにはいく列にも分かれ,さらには分散した数百頭の全力疾走の大集団が連なり,人々の歓声の余韻が草原に漂う。そして草原のあちこちには入賞を逸した騎手と馬を温かくねぎらう家族の情愛が満ち満ちている。
 上述の情景は,私が1985年,初めて首都ウランバートルで開かれたナーダム(競技会)での競馬レースを観戦し,網膜に刻み,心の奥に収めた記憶である。この記憶は,その後に首都や地方で幾度も観戦したレースの光景と少しも変わってはいない。
 草原の競馬レースは,本誌前号で記述した「男の3つの競技」の1つである。このレースの歴史は古く,13世紀に著作の「モンゴル秘史」(元朝秘史として知られ,モンゴ最古の歴史的文学書)に記述され,マルコポーロによっても記録されている。

写真1 草原の競馬レース
起伏の多い草原の彼方から砂けむりをたてながら子供の乗る馬の姿
が次第に大きくなる。1993年,ゴビ地方ツェルゲル村にて(以下同じ)。

 競馬レースには6歳から12歳の少年,少女が騎手として参加する。乗り手が子供であるのは馬の負担を軽くするためでもあるが,子供たちが乗馬に長けていることを示してもいる。出場馬は年齢別に6種に分けられ,その年齢に応じ,それぞれ距離が次のように設定されている。@種馬−28キロ,A7歳馬−30キロ,B5歳馬−28キロ,C4歳馬−25キロ,D3歳馬−20キロ,E2歳馬−15キロ。いずれも去勢馬である。
 このレース距離には地域差があり,地形などで多少の変更もあるらしいが,30キロという途方もない長丁場を全力疾走する世界最長の大レースである。
 聖なる儀式として額に垂れる髪と長い尻尾の中程を束ねた馬に乗る子供たちは,先頭をいく審判員の持つ大きな旗に続いて,30キロ先の折り返し点まで全員が集団になって行く。その折り返し点に着いてからの帰り道が,もてる力をふりしぼって行う全力疾走のレースなのである。
 モンゴルの野生馬はプルジェワリスキーの馬と呼ばれ,その血液を受け継ぐモンゴル馬について,ロシアの探検家プルジェワリスキーが,著作『中央アジアの探検』(田村俊介訳。白水社)の中で,次のようにふれている。「その特徴は,背は中位というよりむしろ低く,脚と首は太く,頭は大きく,毛は密で,かなり長く,性格の特徴はその忍耐力である」。このような風貌のモンゴル馬は,サラブレッドの美しく優雅は姿に比べようもない。しかしサラブレッドは10キロも走れば息切れして倒れるにちがいない。

写真2 疾走する馬と子供
ゴール間近,親たちの1人が見兼ねて4頭の競争馬に加わり声援
する。騎手は立った姿勢で鞭を振り,声をかけて愛馬を鼓舞する。

 13世紀,モンゴル大帝国の時代,オゴデイ・ハーンによって1235年にカラコルム草原の一角に首都が建設され,同時に広大な帝国の情報システムとして,駅伝制が敷かれた。帝国内諸地方に通じる主要道路上には,40〜50キロごとに立派な館のある宿駅が配置され,そこには常時300〜400頭のモンゴル馬と馬具が準備された。情報伝達の使臣は強壮俊足の良馬に乗って,次の宿駅まで疾走し,そこで継馬に乗り換え,1日に320キロ,時によっては400キロを走ったという(NHK取材班『大モンゴル(2)』,角川書店)。上述した7歳馬の30キロレースは駅伝制の1駅間の距離に基づくといわれている。
 それから7世紀を経た現代,競馬レースに出場するモンゴル馬は当時と変わらぬ俊足と底知れぬエネルギーを備え,しかもまた,乗り手の子供たちは大帝国時代の勇者に負けぬほどの根性と気力を秘めているように思えてならない。長い苛酷なレースを最後まで走りぬくことは,乗り手の子供と馬にとって無上の喜びであるがしかし,競技である限り勝つことが何よりの名誉であり,勝った子は精一杯の喜びを表し,敗れた子の中には唇を噛んで悔し泣きをする。勝者と敗者は競技の必然の産物であり,そこに生まれる闘争心は原始的で純粋な感情である。しかしそれは自分自身に向けられれば,人間的な成長の糧になるにちがいない。早くから強い自立心を求められる遊牧の子供たちにとって,競馬レースは遊牧草原が創り出した娯楽であると同時に教育の場でもあるように思えてならない。
 競馬レースに出場する馬はスピードと持久力が要求される。そこでレース前20〜30日間の調教が始まる。勝敗は馬の能力50%,調教30%,残り20%は騎手の腕前にかかっている。調教のコツは馬を繋ぎとめて必要以上に食べさせないで,暑い日中に走らせ汗をかかせ,ぜい肉を削ぎ落とし,競争訓練をすることである。調教者は古くから蓄積体系化されたモンゴル馬学の知識と経験を駆使して競争馬に仕上げるのである。
 騎馬の少年少女はレース前に広場に集まり,輪になって,古くからつたわる「ギンゴー」という歌を,馬と騎手を鼓舞するために歌う。そしてレース中,子供たちは鞭を左右に振って打ち鳴らし,かけ声を発し,全力を出させようとする。幼い子供たちはこの競馬術を存分に発揮し,遊牧騎馬民族の末裔の確かな証を披露する。
 5着までの勝馬は,首都や県都などでは中央競技場(こにでは相撲が行われる)に移され,そこで騎手は馬乳酒(アイラグ)を満たした銀盃で勝利の栄誉を讃えられ,そのアイラグを馬の頭と尻に浴びせる。この5頭の馬は「アイラグの5頭」と呼ばれる。表彰式では馬を育てた主と騎手に名誉を与え,馬には伝統的な韻文形式をふくんだ即興の詩を贈り称賛する。その間,馬頭琴が荘重に奏でられる。


写真3 レース前,馬乳酒を飲む騎手
馬乳酒は儀礼に欠かせない飲み物であり,彼は一口飲んで気合いを入れた。

 競馬レースに勝つことは,その馬を育てた人の努力,騎手の努力,そして馬のスピードの結果である。したがって,馬を讃えるということは,馬を育てた主と騎手を讃えることでもある。
 優勝した馬を讃える詩の一例を紹介すると次のようである(NHK放映,1978年)。
 勝利の馬ダンサンフレンよ/なれは数あまたの駿馬の先頭にたち/疾風のように走った/つぶらな瞳を輝かせ,兎のように腰をふり/伸びやかに体はおどる/たて髪のふるえ,風になびく美しい尾/響きわたる蹄の音,/その姿は人々の心を奪い/とこしえに変わらぬ平和の国のシンボルとなった/讃え尽きぬその美しさ,讃え尽きぬその賢さよ/平和と喜びの源,万物の母/なれこそは勝利の名馬ダンザンフレン
 ナーダムの競馬レースが終わると,遊牧民たちには夏の忙しい草刈り作業が待っている。


写真4 レース後の子供と父親
入賞した馬の鞍を下ろす父親。この後,彼は丁寧に汗ふき板で汗をふきとった。


写真5 レースを見守る人々
丘陵の背に集まった村人と近隣からの観衆,ゴールを目ざし疾走してくる騎
手と馬を静かに待ち構える。やがて大喚声が沸き上がり,草原は共鳴する。