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〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(5)

-草原の引っ越し-

三秋 尚

四季の牧地間移動

 遊牧とは,穀作を拒否する自然環境が育てた草原を移動しながら,土-草-家畜の相互関係系に依拠して畜産物を収穫する人々の営みである。草原の移動とは四季の牧地(下営地)を循環移住することであり,まさに引っ越しを意味する。
 夏の季節に生育した牧草は春,夏,秋,冬の牧地に備蓄される。各季節の牧地は地形や水源などを考慮して決定されるため,ゴビ地方では下営地間距離が長く,例えばゴビ山岳部ツェルゲル村では高標高地(2500m前後以上)の夏営地と低標高地(1500m前後)の冬営地は東西に分かれ,両者の下営基地間距離は25~45キロの範囲にあり,高標高地で年中暮らすごく一部の牧家の場合は短く8キロ程度である。
 草原は国有地であるが,冬営地の家畜避難施設は個人有であり,夏営地も利用者がほぼ固定している。春と秋の下営地は冬営地と夏営地を往復する途中にあり,牧民たちは自由に選択できるので,彼らは良質の牧地捜しに躍起となる。春営地は長い冬期に食い尽くした牧草を補い,出産母畜を養い,秋営地は体重増加の仕上げ用である。
 彼らは冬の宿営基地に簡単な物置小屋を設置しており,そこにゲルの側壁,フェルトや長持ち等々家財道具の一部を保管し,極力身軽になって引っ越し先へ移動する。最低限の家財道具の運搬はゴビ地方ではラクダが主力であるが,トラックを使う裕福牧家もある。
 一方,家畜は採食させながらの移動である。ゴビの主要家畜である山羊,羊の引っ越し移動距離は採食歩行速度によって制約され,せいぜい15キロどまりである。したがって目的地に着くまでの日数は,下営地間の距離と途中での放牧次第で変わるが,一般には2~3日である。四季折々の引っ越しは,そのコースが普段の放牧域と違うだけである。どこまでも切れ目なく続く草原に暮らす人々の引っ越しは,家畜の採食による生産的営みを片時も中断させることはない。


写真1 野営地のゲル
ゲルに天窓はなく,ただ雨露をしのぐため手作りのフェルトで覆った簡略な装いである。09年8月30日写す。

トーフグイ家の秋の引っ越し

 98年8月30日夕刻,トーフグイ(52歳)家の主婦ロギオ(48歳)が,ツエルゲル村中心地の私たちのキャンプ地を訪ねて来た。実は数日前に3日間,同家に今岡良子助教授(大阪外国語大学)とホームステイし,秋営地に引っ越す時には知らせると約束を交わしていたのである。ロギオの話では8月29日午後2時頃,ラクダ6頭に家財道具を積んで,夏営基地から約15キロ,4時間かけて村の中心地に近い場所に到着,9月1日に秋営基地へ出発する,と言うことであった。
 翌30日午後2時半頃,今岡良子先生と彼女の夫君エンフジャルガルの自動車で約10分の行程にあるトーフグイ家の野営地に出かけた。
 そこには数日前,夏営基地で見たゲルの姿はなかった。ゲルの側壁(ハナと呼ばれ,アコーデオンのように折りたたみができる)は3張りで,夏営基地の4張りのゲルに比べると非常に小さい。しかも天窓はなく,ゲル全体をフェルトで覆い,その隙間から屋根棒がのぞき,煙突が抜け出ている。ゲルの中央部に置かれたカマドはやけに大きく感じられ,ゲルの片隅に鍋,乳の発酵袋,茶碗,魔法瓶,乳製品,肉と脂肪の塊が無造作に置いてある。
 長持ちやその他の家財道具はゲルの外に放置され,ラクダから降ろしたままの状態てある。遊牧は人と家畜の移動によって成り立つ生業である。私はその移動の様々な実態を知りたいと思いながらこの日を迎えたのである。私の視線は雨露をしのぐだけのゲルの装いと外に散在する家財道具の姿に釘ずけされ,引っ越し途中の野営の光景を瞼の裏に濃く焼き付けたのである。
 同家は山羊と羊約200頭,ヤク24頭,馬20頭,ラクダ4頭を飼養するが,ヤクは他家に預け,乗用以外の馬は夏営地に残している。家族全員は夫婦と子供11人(6男,5女)であるが,5人の子供たちは独立し,引っ越しの子供たちは6人(三,四,五,六男と三,四女,年齢は4~20歳)で,それに嫁ぎ先から帰郷していた長女(24歳)が加わった。


写真2 ラクダの荷積み状況
ラクダの2つのコブをフェルトで包み,その両側に屋根棒を縛り,2つの長持ちをバランスよく吊り下げる。2人の共同作業である。

 9月1日午前10時前,70頭の母山羊の搾乳が終わった。昨夜この場所に到着したロギオの妹家族も搾乳を程なく終えた。およそ30アールほどの広場では2戸の山羊と羊約400頭が混ざっている。早速,両家の山羊,羊の分別作業が始まり,15分ほどで終了。隣家の山羊・羊群は放牧地へ向かい,トーフグイ家の山羊・羊群は広場で待機している。
 午前10時50分,引っ越し準備が始まった。独立世帯の長男(26歳)が2名の若者と応援に来て,それに隣家の夫妻も加わった。同家の主役はトーフグイ夫妻と長女,三女(16歳)であり,三男(20歳)は放牧馬の世話などでこの日は不在であった。女たちはゲル内の家財道具を持ち出し,整理し,荷造りをする。男たちはゲルの解体を始めた。ゲルを覆っているフェルト,屋根棒,扉を取りはずし,側壁をたたみ,20分ほどで終わった。その頃,長男は周辺で採食や休息中の6頭のラクダを連れ戻した。
 午前11時20分過ぎ,四男(12歳)が6頭のラクダを横臥させると,男2人が共同で1頭のラクダの荷積みを開始し,6頭分の荷積みは約1時間で終了した。荷積みの要領は,先ずラクダの2つの瘤をフェルトで巻くが,その後は荷物の種類で手順は違う。たとえばフェルト巻の両側にそれぞれ10本ほどの屋根棒を束ねて縛り,その外側に長持ちを吊し,バランスを取りながら腹部に回した綱で縛り,固定するのである。ラクダは腹部を強く締められるたびに大声をあげる。積み荷の重さは普通200キロ程度,頑丈なラクダでは250キロくらいまで可能である。
 6頭のラクダに積んだ荷物の種類と数量は,長持ち2,カマド2,煙突2,大鍋2,乳缶3,屋根棒約60,扉1,側壁4,天窓1とその支柱2,フェルト,寝具,食料の袋詰め,牛皮等々であった。
 午後0時25分,荷積みは終わり,ロギオはゲルの跡や周辺の片付けを始めた。四男(12歳)と五男(10歳)は母山羊70頭を含む約200頭の山羊・羊群と共に出発した。 午後0時40分,トーフグイは騎馬で数珠繋ぎのラクダ6頭の先頭に立って出発,モンゴル犬2頭もそれに従った。私たち2人はエンフジャルガルの車で,長男,長女,三女,五女,六男と同乗し10分遅れで出発した。
 午後1時25分,後片付けを済ませたロギオが白馬で追いつき,6頭のラクダの後尾に付いた。彼女は時々ラクダ列の側面に出て,荷崩れやラクダの体調を観察した。


写真3 ラクダの積み荷
屋根棒,長持ち,ゲルを覆うフェルト,敷物,天窓枠。積み荷の種類はラクダの年齢や体格などで仕分けられる。

 モンゴリアンブルーの空に輝く太陽が強烈な光彩を放つ草原を引っ越し家族はラクダ群と山羊・羊群に分かれながら,一心同体で移動する。彼らは急がず,慌てず,ゆっくりと家畜の速度で進む。それは遊牧の暮らしのリズムにほかならない。私たちの車が悪路で発するエンジンのうなり声は,ここでは悪魔の声のようである。私たちはしかし,地形の許す限り,ラクダ隊と同じコースを選び,引っ越し移動の状況を克明に観察したのである。
 午後1時25分,ラクダ隊は丘陵の反対側に隠れ,私たちは先発の2人の息子たちが誘導する山羊・羊群に追いついた。その群れは広く分散し,採食しながら,普段の放牧時の様子と少しも変わらない。自動車は岩山の細い峠道に出た。前方は長く横たわる,深い断崖である。山羊・羊群の後を追うようにラクダ隊が峠に現れた。
 午後2時18分,私たちは目的の秋営基地付近に着き,ラクダ隊は30分後に到着した。ロギオが先頭に立ち,トーフグイはラクダ列から離れ,宿営基地の下見を数か所で行い,適地を決定した。この行為は主人の重要な仕事の1つである。
 午後3時25分,夫妻と長男,三女,同行のエンフジャルガルの4人でラクダの積み荷を降ろし,ゲルの組み立てが始まり,私も手伝うことにした。35分後に側壁4張りのゲルの姿が現れた。側壁のカバーは他家では見られない紫色である。ロギオは野外のカマドで乳茶を沸かし,その後で羊肉入りの米飯を炊いた。
 午後5時丁度,山羊・羊群が到着した。出発地からの距離は約15キロ,4時間の行程である。母親ロギオは家畜の引っ越しの大役を果たした息子たちに熱い乳茶を差し出し,笑顔でその労をねぎらった。
 私たちは,無事に引っ越しを終えた安堵感をトーフグイ家の家族と共有しながら夕食を頂戴した。ゲルの西北を囲む山肌に夕闇が濃く影を落とす頃,同家を辞することにした。ロギオは再会を希い,山羊乳を天に向けて振り撒き,私たちの旅路の安泰を祈ってくれた。
 同家は約2週間後に5キロ先の冬営基地に引っ越し,家族団らんの日々を重ねながら長い厳寒の季節を送り,春を迎えるのである。


写真4 ラクダの小型キャラバン隊
6頭のラクダが家族の衣食住の家財道具を運ぶ。トーフグ夫妻は積み荷の荷崩れとラクダの体調に神経を尖らせる。


写真5 秋営基地のゲル
ゲルの側壁は格子状で,開いた時の高さは154センチ,幅332センチ。側壁の数でゲルの広さが決まり,4張りで約18平方
メートル,冬営基地では5張り,約23平方メートル。屋根棒の長さは232センチ。天窓を支える支柱の高さは232センチ。