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〔共済連便り〕

家畜診療日誌
徒然草より

真庭家畜診療所 西川 達也

 養ひ飼ふ物には馬・牛。つなぎ苦しむるこそいたましけれど,なくてかなはぬ物なれば,いかがはせむ。犬は,守り防ぐつとめ,人にもまさりたれば,必ずあるべし。されど,家ごとにある物なれば,殊更に求め飼はずともありなむ。その外の鳥・獣,すべて用なき物なり。
 走る獣は檻にこめ,鎖をさされ,飛ぶ鳥は翅を切り,籠に入れられて,雲を恋ひ,野山を思ふ愁へやむ時なし。その思ひ,我が身にあたりて忍びがたくは,心あらむ人,是を楽しまむや。
 生を苦しめて目を喜ばしむるは,桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛し,林に楽しぶを見て,逍遥の友としき。捕らへ苦しめたるにあらず。
 凡そ,「珍しき禽・奇しき獣,国に育はず」とこそ,文にも侍るなれ。

 徒然草からの引用です。馬と牛は家畜として飼育してもよいと書かれています。しかし,走る獣は檻に閉じ込められ錠をかけられ,飛ぶ鳥は翼を切られ籠に入れられる。鳥が空を飛び回りたいと願い,獣が野山を駆け巡りたいと思う悲しみは,いつまでも尽きる時がない。とも書かれています。家畜として飼育している牛をまるで獣を檻に閉じ込めるような状態で飼育していませんか?牛を家畜として飼育する農家にとってこの問題をどう解決していくかが,牛を健康に飼育する事につながり,さらには農家経営の安定につながると思います。また,「珍奇な鳥・獣は自国内に持ちこんで飼育するべきでない。」とも書かれています。まるで七百余年前の中世の時代に,現代の口蹄疫やBSEなどの海外悪性伝染病の発生を予言しているかのような感じさえもします。
 牛に蹴られて牛の痛みを知る。家畜の苦しみを我が身に置き換えて接することで,愛情を持って家畜に接することができるのではないでしょうか。