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我が酪農人生に悔い無し!

松崎 まり子

 平成15年秋,酪農家の娘から嫁になって31年と半年,大きな節目を迎えようとしている。原稿の声に甘えて,現在の思いをつづってみたいと思う。

◎花嫁は女子大生

 ノートルダム清心女子大学3年の秋,夫との結婚話があった。遠縁,中学の同級生であったが話したことはなかった。まわりにいた男の子たちとは違って,とても新鮮に思えた。父は反対した。実家の牛が飼槽に倒れ込んで(父母が不在の時),夫に助けを求めた。“また牛を倒せえよ”夫の結婚を認める台詞であった。4年に進級してすぐに式を挙げた。新しい生命を宿して共に大学へ通った。義姉に女の子がいるために,執念で男の子を生んだ。他人と同じ生き方,同じ価値観はまっ平ごめんであった。生まれたての男児に後継者たれと祈った。

◎四世代の暮らし

 長男を出産して11ヶ月後に長女を出産,年子の同級生を持った。義祖父母も健在であり,四世代8人が一つ屋根の下に暮らした。家業があるということ。家族が心を合わせて暮らさなくて家業の繁栄はあり得ない。多くのことを学んだ。
 S48年長男誕生と同時に46頭牛舎建設が始まった。1日も早い満杯の日を願うが2〜3年後のこととなる。
 バケットミルカー,輸送缶,牛舎新築になってもまだ稲作部門の方が勝っていた頃か。S51年台風,長雨のため洪水被害に遭う。流下式牛舎の糞尿処理をめぐって,この年牛糞乾燥施設が完成した。バルククーラーはS52年,パイプラインはS51年設置である。酪農近代化に向け大きなエネルギーがうずまいていた。

◎後継者

 誰もがおどろいた学生結婚,卒業式には大きなお腹の中に長男が入っていた。その彼が中学2年の頃−ヌレ子価格が高騰した時代である−酪農の面白さを身近に感じたのだろう。私たちの希望もあったけれど,自分の意志で後継者宣言となった。瀬戸南高校から酪農大学校へと進んだが,私には忘れられない苦い思い出がある。普通高校,四年生の大学へ進学させる同級生の母親たちの皮肉っぽい会話。今に見ておれ!そんな気負いを持たせる忘れられない言葉であった。
 H6年就農,この年私は経営発表で全国大会まで進むことができ,ヨーロッパ二週間を控えていた。旅行代金を振り込んだ翌日,夫が手にケガをした。ギブスをされて三週間かかるという。後髪ひかれる思いで出発した。気がかりなまま長い海外旅行を楽しんだが,案ずるより産むが易し,息子・娘を中心にケガで半人前の夫と共に事無きを得ていた。いつの間にか成長していた2人に大感謝である。

◎改良へ向けて

 就農した息子が次第に改良に目覚め始めた。彼の手に種雄牛カタログや酪農雑誌が数々触れられると共に,私たちの時代には積極的な出品はあまり縁の無かった共進会の常連組となってしまった。全共こそチャンスを逸したものの,中部へも三度選ばれることになる。地元で選ばれる小さな誇りが,県へ,中部へと続くことでいつの間にか増刷していったのだろう。
 他人に言わせると我が家の牛群はすっかりレベルアップしているらしい。ただ,やみくもに乳量追求する時代は終わり,いかに自給飼料を取り入れコストを下げるかという視点に立っているから,それなりの牛になっていると思う。
 誰もが我が家にたどり着くまでに“こんな地域に本当に牧場があるのか?”という町並みの中に立地している。自給飼料確保のために不便な遠隔地での作業も多くなる。ロール体型,通年サイレージが可能となって,育成が元気がいい。常にロールが転がされているのだから当然と言える。狭い牛舎敷地であるが,成牛舎と平行に運動場があり,乾乳と未経・育成が親の作業をしながら見渡たせる。10月4日現在,成牛57頭・未経18頭・育成23頭−計98頭,近日中に総数100を数える。我が家初の大台となる。ちょっと胸を張りたい節目でもある。

◎地域の中で

 その昔,乗用トラクターなど初めて目にする私が,トラクターを自在に操つる夫の姿に惚れ込んだように,息子の姿もまた嫁や孫たちの目に力強く写っているにちがいない。
 牧草田で,あるいは米作りの現場で,父と息子二台の作業機が活躍する様は私が自慢したい光景でもある。
 命をあずかる米と牛乳生産にたずさわるということ。緑の番人でもある。昨春完成の堆肥舎にはお宝の山−堆肥−が安全な農産物作りへ出番を待つ。
 米が精彩を欠いた現在では酪農家が地域のリーダーである場合が多い。単に乳を搾るだけでなく,景観保全の役目も狙っているのだから。私たちはもっと誇りを持とうと言いたい。誇りは自然に己れの身を引き締める。牛舎環境は勿論のこと,乳質にも責任を持てるようになる。白いだけでは乳とは言えぬ。すべての検査項目をクリアすべく努力を欠かさず良質乳を搾ろう。そして良質堆肥がまた,地域の農産物生産のため縁の下の力持ちになることを思う時,ちょっぴり胸が熱くなる。

◎酪農は永遠に

 息子が高校,酪大と進学する度に味わった苦い思い出が,今や優越感にも似た思いにさえ変わった。大学は出たけれど,子供なんてとんでもない,自分の身を維持するのがやっとで,職も転々と……。とても四年生大学卒業に値するものでもない。そんな輩の近況を風の便りに聞く度に,親として息子に託した思いがまちがっていなかったとホッとする。しかし,だからと言ってただ慢然と我が家だけの酪農経営であってはならないのだ。時代は今や酪農に情操教育の場としての役割を果たすことも求めている。
 全国規模で展開される教育ファームとしての位置付けで,新たなやる気を起こしている牧場も多いと思う。我が家に牧場ファンクラブが生まれて十余年になる。関わった子供たちは数えきれない。常に門戸を開いて大人も子供も来訪者を受け止めている。出産シーンや日常の作業の諸々を見つめるたくさんの目がある。牧場での営みが命に通じるものであることはきっと通じると思っている。
 有機農産物がもてはやされる現在,牧場から排出される堆肥は村の宝,町の宝,国の宝と位置付けられるべきだ。売れ行きも好調。堆肥戦争ともとれる売り込み合戦の中で,関係機関には堆肥販売に乗り出す全農家が安堵できるよう調整を図っていただきたい。我が酪農は永遠なり!