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〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(6)

−旧正月を祝う−

三秋 尚

伝統のツァガーン・サル

 モンゴル民族は正月を「ツァガーン・サル」と呼び,それは「白い月」を意味する。草原でも都市でも人々は「白い月」を太陰暦で迎える。
 正月がツァガーン・サルと呼ばれる由来には諸説がある。たとえば,1260年にモンゴル帝国を訪れたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で次のように記している。タタール人(モンゴル人のこと)の新年は我々の太陽暦では2月に当たる。新年の祭りには,フビライ・ハーン(チンギス・ハーンの孫)と臣下,そしてすべての人々は,老若男女をとわず,白い衣装をつけるのが習慣になっている。タタール人にとって「白」は幸運,吉兆などを象徴する色彩で,彼らは新しい年が幸福であり,幸運に恵まれるようにとの思いから,白い衣装をつけ,それゆえに正月を「ツァガーン・サル」と呼んでいる。
 一方,乳製品に由来する説もある。モンゴルの遊牧家畜は夏から初秋にかけて乳を生産し,様々な乳製品に加工されるが,その中で大量に作られるのはアーロールである。アーロールとは生乳をアルコール発酵させ,アルコール蒸留後の残物(ツァガー)を乾燥した保存食である。人びとは寒冷の晩秋を迎えると真白いアーロールを食べ始めるのである。 古い時代,ある地方ではアーロールとツァガーは同義語で,ツァガーを食べ始める秋を「ツァガーン・サル」と呼ぶようになった,と言われている。その当時,新年は秋に始まり,太陰暦の8月28日に正月の祝祭が行われていた。しかし,フビライ・ハーンが仏教(ラマ教)を国教と定めてから,太陰暦の2月(旧正月)に移されたとされている(田中克彦『草原と革命』)。
 13世紀,フビライ・ハーンの時代から700年続いたツァガーン・サルは,1921年から70年ほど続いた社会主義時代には国家的祝日から外されていたが,民主化が胎動し始めた1988年から国家の祝日となった。しかし草原の住人たちは,国家的祝日の制定とは関係なく,ツァガーン・サルを1年の最も重要な祝日と考え,これまでずっと,盛大に祝ってきたのである。
 モンゴル語で乳製品は「ツァガーン・イデー」(白い食べ物)と呼ばれる。牧民にとって「ツァガーン・サル」は,ツァガーン・イデーを基礎食料として長い厳冬の峠をようやく越え,3月から始まる山羊など五畜の本格的な出産を前にした時期に当たり,1年の暮らしのサイクルの始まりなのである。それゆえに遊牧の民は700年の時を超えて今日までツァガーン・サルの祝祭を堅持し,盛大に祝ってきたのである。

ツェルゲル村の大晦日 

 太陽暦の1月1日を全く平常の日として過ごした人々は,旧正月の1週間ほど前からゲルを掃除し,その内壁やベッドに多彩なカーテンを取り付け,ゲルの床には手織りのフェルトを敷き,おせち料理を作る。
 大晦日の夕方,出来上がったおせち料理を数キロ離れた互助組織(サーハルト)メンバーの牧家に進上する。遊牧の生産と生活は近隣の人々との相互扶助の精神に支えられた共同作業なしには成り立たない。このため相方への謝恩の気持ちと共同の絆への深い思いを込めたおせち料理を運ぶのである。
 一方,各家庭では古い年を送る「ビトゥーレヒ」という行事を行う。その言葉は「閉じる」の意味であるが,「古い年を送り,新しい年を迎える儀式をすること」の意味でもある。彼らは過ぎた1年を閉じ,新しい年を迎える心の準備をする。そのためハレの料理のボーズやホーショール,羊肉などを腹一杯食べ,羊の脛骨を2つに割って左右に投げる「ビトゥー・ハガラハ」という儀式を行う。
 ゲルの中の携帯ラジオから,首都ウランバートルで行われている恒例のモンゴル大相撲の実況放送が流れてくる。老若男女のだれもが国技相撲の電波に耳を澄まし,それが終われば新年である。

おせち料理

 おせち料理は自家産の羊肉と乳,購入の小麦粉を食材としたもので,ビトゥー・ホール(小麦粉の衣に包んだ肉料理のボーズ,ホーショールなど),ヘビーン・ボーブ,オーツ,乳茶と乳酒である。
 ボーズとホーショールは羊肉の細切れと薬味のフムール(野生ネギ)を混ぜた具を,小麦粉を練った衣で円形か木の葉状に包み,前者は蒸し,後者は動物性油で揚げたものである。ヘビーン・ボーブは小麦粉にシャルトス(バターオイル),砂糖,塩を混ぜ,こねたものを彫刻文様の型付板(約5×20センチ)に押し当てて成形し,動物性油で揚げたものである。このボーブを大きな容器に円柱形か角柱形に5段以上重ね,それに各種の乳製品,飴,角砂糖などをあしらって盛りつける(写真1)。オーツは羊の脂肪尾付き胴体部分を蒸すか,茹でたもので,これに四肢と肋骨部の骨付き肉を盛りつける(写真2)。


写真1 ヘビーン・ボーブの盛り物


写真2 オーツの盛り物

正月の儀式

 元旦の朝,ゲルを覆う夜空にまだ星がきらめく夜明け前に家人は起き出し,主婦は早起きして乳茶(スーティ・ツァイ)を沸かす。ゲルの奥正面にある長持ちは飾り棚となり,そこに灯明を上げ,茹でた羊の頭部(トルゴイ)を供える。食卓の上の2つの大きな容器には,それぞれヘビーン・ボーブとオーツの盛りつけが納まり,その傍らの大小の缶には馬乳酒とシミン・アルヒ(蒸留乳酒)の芳香が漂っている。
 子供たちは新調のデール(民族服)を着て大喜びである。大人たちも余所行きのデールを装い,家族の健康と繁栄を願って「トルゴイ・ザーハ」の儀式が始まる。この儀式は夜明け前,新年の乳茶を飲む前に行われる。ゲルの戸口の敷居に被せた絨毯上の板にお供えの羊頭部を置き,その敷居を境にして外側に男たち,内側に女たちが座り,それぞれが羊頭の上顎と下顎をつかみ,引き裂くのである(写真3)。女性は新年,男性は旧年とされ,羊頭の顎がゲルの内と外に引き裂かれることは,旧年が去り,新年がゲルの中に迎え入れられることを表す。この儀式はまた,モンゴルには夫婦は2人で1人という思想があり,年頭に夫婦2人で1つの仕事をする儀式でもある。「トルゴイ・ザーハ」を終えると「ズグ・ガルガマ」といって,生まれた干支ごとに決まった方角にゲルの周りを回る。良い方角に回ることで縁起を担ぎ,吉祥を願うのである。


写真3 トルゴイ・ザーハの儀式

 これらの儀式が終わると食事となる。まず,新年の乳茶を飲む。それから長年者が盛りつけのボーブを食べ,オーツの肉と脂肪を切り,それを家族の者に言葉をかけながら渡す。この後で乳茶や馬乳酒を飲み,おせち料理を食べ,大人たちはシミン・アルヒを飲む。
 正月3が日は牧民にとって,待ちに待った慶祝の日々であるが,家畜の放牧を中止することはできない。大家畜の看視を怠らず,山羊・羊群の放牧に付き添う。しかし彼らはその仕事のやりくりをして,年賀に出かける。
 昔からの習慣では,元旦に村の長老を表敬訪問し,正月の祝詞を述べ,幸せと長寿を祈る。2日以降は親しい人々,親戚,知人の家を回り(写真4),若夫婦が遠く実家の両親を訪ねるのは3日である。


写真4 年始回りの若者

 正月の挨拶には仕来たりがある。ゲルに入った人は,両腕にハダック(チベット起源,コバルト色の幅30〜40センチ,長さ80〜100センチの絹布で,尊敬,親善,歓待などの感情を表す)を掛け,手のひらを上に向けて両腕を目上の者に差し伸べ,低くお辞儀をし,「つつがなくお過ごしですか」と挨拶する。これに応えて目上の者は両腕を目下の者の手のひらの上に置き「元気かい」と答え,お互いに頬を寄せあう(写真5)。


写真5 年賀挨拶の姿態

 手のひらを見せることは,悪意をもたず,善意をもってゲルに入ったことを意味し,また,目下の者が目上の者の両腕の下になるのは,目上の者が困った時には必ず援助することの意思表示である。このあと男同士は「新年をつつがなく迎えられましたか」という挨拶の言葉を交わし,嗅ぎ煙草入れ(フールック)を交換しあう。その後,年始客に乳茶が差し出され,馬乳酒やシミン・アルヒを酌み,おせち料理が振る舞われる。
 希望を膨らませて作ったおせち料理で旧正月を迎え,その祝いが終わると,やがて山羊の出産・哺乳で大忙しの春の季節がやってくる。

山羊を追ふ少年の背に御来光
羊肉1頭分の御節かな
手作りの乳酒の香り初日の出
陰暦の正月今もゴビの里