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〔畜産農家の声〕

「つ ぶ や き」

おかやま酪農協女性部 井原市 徳山 始子

 私は昭和57年にまじめでやさしくて,カッコイイ主人の所へ6年間の長い春を経て嫁いで来ました。主人の父が1頭から始めた酪農も当時は搾乳牛50頭を数え,どちらかと言えば大型酪農でした。スタッフは主人・父・母の3人で,10haの草地を最新の大型機械で管理し,春はイタリアン,夏はトウモロコシ,秋は麦で通年サイレージでした。また,私が嫁いで来た時にはすでに牧場は給料制で,私が主人の給料を頂いていました。結婚の翌年から長女・次女・長男と年子で3人の子宝に恵まれ,主人の「子供には母親が必要」というたっての希望で11年余り勤めた町役場を退職し,家事と育児に追われて10年間があっという間に過ぎてゆきました。平成8年には主人の念願の牛舎を公社営事業で新築し,その3年後には100頭余りとなって,やっと軌道に乗ったと思ったとき,父が脳梗塞で倒れ,それから5年間の闘病生活の後に他界しました。
 今思えば,本当にたくさんの方々にお世話になりました。公社営事業では関係機関の方々,ご近所の方には「茂(主人)の思うようにせえよ」と言って権利書を快く預けて下さったときには主人も涙しました。それから,農業簿記では普及所の先生方にも大変お世話になり,本当に皆様のおかげで今日があることを心より感謝しています。
 仕事は半人前でも口は2人前の私はよくヒステリーを起こしていましたが,よく耐えてくれ,いつも家族を第1に考えてくれる主人に感謝しています。子供達のすることにはいつも協力的でやりたいことをやりたいようにのびのびとさせてくれ,とくに小学校3年から大学1年の夏まで続けた長男の野球には作業を試合にあわせたり,高校1年生の時には毎日夜10時に23q離れた球場まで迎えに行く程の力の入れようでした。
 その子供達も長女は英文科の4年生,次女は食文化部の3年生,長男は商業系の2年生とそれぞれの道を歩んでいます。
 今40と9の坂を越えようとしている私は自分なりに「もう子供のためにやり残したことはないくらい」主人と共にがむしゃらに生きてきました。しかし,がむしゃらというのは若さ故になせる技であり,今はもはや他人の力を借りざるを得ない歳となりました。11月には中国より研修生を2名迎えることとなっており,その準備に追われています。
 今,ふとがむしゃらに生きてきたこれまでを立ち止まって振り返ってみると,とても幸福で何も悔いることのない23年間でした。そして,これからの自分の人生を少しゆっくりと考えてゆくゆとりが出来たように思います。今まで女性部の活動にはあまり出席できなかったのですが,今年西大寺の方々との交流会に参加して皆さんがとても明るくて元気で頑張っておられることにすごくびっくりしましたし,私の新たな夢に向かって進む勇気と元気がでてきました。とりあえず真っ先にやりたいのが牛舎周りの整備です。それから乳製品の加工販売や手作りの窯でパンやケーキを焼いてみたいと思っています。
 そして将来は野球チームが出来るくらいの孫達に囲まれ,リトルリーグの送り迎えができたらいいな……。いつか私たちは白髪の老夫婦となりどこかの共進会で1つのお弁当を二人でたべている……そんな青写真を思い描いている今日この頃です。