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〔畜産農家の声〕

「石の上にも三年…」

倉敷市玉島柏島 西山 真太

 私の家は,牛飼いを初めて三代目になります。祖父が田の耕起を行うのに和牛を1頭飼育していました。そして,両親が乳牛を7頭程飼育し,酪農をしていました。父が他界し,母が酪農を続けていましたが,肉牛を飼えば毎日の搾乳もないし,勤めをしていた私でもできると思い,徐々に牛舎を拡大し,肥育経営を開始しました。当時,私は生コン車の運転手をしていました。一日の仕事が終わると,夜な夜な,NTTの古電柱を使って牛舎の増築を始めました。ピーク時には肥育牛を70頭飼育できるようになりました。今では,牛が30頭つなげる牛舎が1棟,分娩や育成牛を飼育する牛舎が1棟,廃業した養鶏農家からもらい受けた糞乾燥施設が1棟と全て自分で建設を行いました。牧場を訪れる仲間からは,「よく金をかけずにこんな施設ができたなー。人に建ててもらったら,億の金がいるぞ。」と言われます。自分でも良くやったと思います。
 そんな私が和牛繁殖経営を開始したのは日本で初めてBSEが発生したのがきっかけでした。当時はF1と和牛を肥育していましたが,BSEの発生で牛が安くなりました。安くても補填があると言うことで,少し小さい牛もすべて売りました。また肥育をしようと,BSE対策の資金を借り受け,島根の市場で和牛子牛を買いました。1頭が13万円ぐらいで購入できました。平成14年の春,たまたま診療に来ていた獣医に繁殖経営を勧められました。和牛のいない玉島で,また何の勉強もしないで繁殖経営に転換してみようと思ったのです。それがきっかけで,肥育にかけていた牛の中から2頭を繁殖用として育成しました。自家用の家畜運搬車で,ドライブ気分で行った島根の市場から12頭導入し,14頭で繁殖経営を開始したのです。
 しかし,1年目は失敗の連続でした。何しろ倉敷市内に和牛繁殖経営をしている農家はいないのです。牛の飼い方を聞く人もいません。試行錯誤の連続でした。受胎したと思っている牛が発情してみたり,子牛が生まれれば下痢をし,白痢をし,血便をしました。繁殖を初めて最初の年に,3頭の子牛を死なせてしまいました。大変難儀をしました。一人で考えてみたが妙案は浮かばず,おからくや獣医師に相談し,各地の繁殖農家を見学させてもらいました。そして,いろいろな経験をするうちに,次第に失敗は少なくなってきました。ようやく右肩上がりの軌道に乗ってきたと思います。
 最初の3頭の後は,今のところ無事に育てることが出来ました。「石の上にも三年」とよく言われますが,最初に高い授業料を払ったおかげで,なんとか繁殖経営を継続していくことができそうです。現在,繁殖牛を20頭飼育していますが,自家保留を中心に増頭を進め,30頭規模に拡大したいと思います。子牛の人工ほ乳にも挑戦し,子牛のほ育育成にはある程度自信がつきましたが,繁殖成績の向上が課題だと思っています。観察による発情発見に努め,種付けを早く行い,分娩間隔を短縮することが最大の目標です。