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海外に学ぶ日本農業

 JA津山市青年部
仁 木 紹 祐

 私が農業を選んだのは今から5年前の高校卒業のときでした。私の家は,岡山県の北部,津山市で父と母とで稲作と和牛繁殖の専業農家で,私も幼少のころから家の手伝いをしていたので,岐路に立ったときもそれほど迷うことなく農業を選択できました。いくらかは父の口車に乗せられた気もしましたが,その時農業に対するイメージはかなり明るいものでした。
 普通科高校から農業大学へ進んだ私ですが,まず感じたのが農業高校から上がってきた人との差でした。3年間農業の勉強をやってきた人達との差を感じずにはいられませんでした。しかし自分を高めるためには良い環境でした,中には海外研修経験者もいて,私も大学校を卒業したら海外の農業を見てきたいと思うようになり卒業を待たず渡米しました。
 1年間の米国研修の内容は最初の1カ月が英語やアメリカの農業の基本を学ぶために大学で勉強し,次の9カ月間が農場研修,そして最後の2カ月間が再び大学での勉強というプログラムでした。この1年間の研修で1番印象深かったのはやはり9カ月間の農場研修でした。私の入った農場は,ネプラスカ州にある肉用牛繁殖農場で,約24,000haの面積に約4,000頭もの牛を放牧していました。農場で仕事をしていてまず驚いたのは,牛の治療から機械の修理まですべて自分の所でやってしまうということです。それは特別ドクターや,メカニックがやるというのでなく,大抵の者がある程度できるのです。女性でも自分の車のボンネットを開けてエンジンのチェックをしていました。
 農場に入ったはじめのうちは,やはり雑用が多くうまくいかないことも多々ありました。そんな中で私が痛切に感じたのは,アメリカはLOVE,OR,ALLの国だということです。つまり,ゼロか,すべてか,何をするにも中途半端が無いのです。
 仕事の面にしてもやるからには玄人と同じことを望まれることがあります。私はまだ素人なんだからとか,私は病気なんだからということは通用しません,素人だろうが病人だろうができませんでは困るのです。そんな所ですから忙しいときには朝3時からで働きます。何ごとも最初からできないと決めつけないで,先ずやってみること,そしてそれをやり遂げるために自分の持っているすべてで向かっていくこと,私が農場研修で得たものは,技術的なものではなく,そういった精神的なものであったと思います。現在の日本の厳しい農業情勢を打開するには,アメリカンドリームといわれるように夢をもったチャレンジ精神旺盛な農業者が今求められているのではないでしょうか。
 さて,ネプラスカでの研修を終えて最後の研修のためにカリフォルニアに来てみると大規模農業ばかりだと思っていたアメリカでも,ずいぶん有機農業や自然農業に関する規制はますます厳しくなっており,大規模化,企業化する中で作業を専門家に委託するケースが増えてきています。そんな中で同じ作物であれば少々高くても有機栽培のものの方が断然売れるそうです。やはりアメリカでも日本の消費者と同じように農薬などの害を恐れ,より安全で健康的な農産物が求められていることが分かりました。
 さて,私が日本へ帰ってきたのが93年の2月末でした,帰ってきてからすぐに就農したのですが,よく分からないうちに後継者クラブや,JA青年部に入り多くの人達との交流の中で学ぶことも多々ありました。
 昨年,米を輸入問題が持ち上がったとき,青年部でもアメリカ視察へ行ってみようじゃないかという話が持ち上がり,10名の有志でアメリカ視察研修に行きました。アメリカではまず,カリフォルニアでの米の有機栽培を行っている農場を訪ね,経営者の方にアメリカでの米の生産現状や,生産にあたっての問題,また後継者問題などを聞いてみたのですが,アメリカでも日本と同じように後継者不足に悩んでいるという事でした。その他に農薬農家や,果樹農家,酪農家などを訪問したのですが,そのあまりの規模の大きさと,生産コストの安さに驚かされるばかりでした。また,視察研修後半にいくつかのファーマーズマーケットを見ることができましたが,やはり私は生産者が直接自分の農場で取れたものをトラックで運んで来て生産者自らが消費者に売るタイプのファーマーズマーケットが一番好感が持てました。その理由としては,まず商品が新鮮であること,そして消費者も生産者から直接買うことで商品の品質について安心でき,さらに中間業者が入らないので生産者にとっても消費者にとっても良い価格で売買ができるというわけです。また,生産者と消費者が対話できることで生産者は消費者のニーズを直接聞くことができるというのも大きなメリットだと思います。
 私はアメリカのファーマーズマーケットでの消費者と生産者の関係を本当にうらやましく思い,何とか自分の地域でもこのような関係が築けないものかと考えていました。そんなとき,JA津山市青年部20周年を迎え,それを記念し「食と農21世紀にかける橋」と題して,消費者の代表の方3名と,JA青年部の代表3名でパネルディスカッションを行いました。私もパネラーに選ばれ津山農業経験の中から,食と農について生産者からの思いや,こだわり,また消費者の方が気になっている農薬の問題などを話しました。また,消費者の方がどのような農産物を求めているか,どのような不安を農産物に対して持っているかを聞くことができ,まさにこのパネルディスカッションが生産者と消費者にかける大きな橋の第一歩となったと思います。さらに,消費者から,「何がどこで作られているか分からない」また「農産物のことが知りたくてもどこに連絡をとればいいか分からない」という声に対し,私たち青年部では津山生産者マップを作ろうと考えています。
 農業,農村をとりまく環境は激変し,日本の農業は内外ともに大きく転換を迫られています。しかし,人間の命の糧である食糧を支える農業の重要性は何ら変わることはありません。
 私は,海外体験から学んだ生産者と消費者とのよりよい関係をめざし,生産者と消費者の距離を縮め,「つくる人」,「食べる人」のお互いの信頼関係を築くことで,新しい農業への道を切り開いていこうと思っています。