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「声」

『酪農ヘルパーとして』

水島酪農ヘルパー利用組合 國 近 陽 介

 私が水島酪農でヘルパー職員として,働くようになって早いもので3年の月日が流れました。農業高校の畜産科を卒業しましたが,12年間畜産に関係のない職場で,サラリーマン生活を送っていた私は,全くの素人と同じ状況での再出発で無我夢中の3年間でした。
 ヘルパーになり立てのことは,毎日行く農家ごとに,搾乳はもちろん,飼料給与,糞尿処理,さらには,掃除方法まで全て違っていますので,農家の数だけ仕事の仕方が異なり,仕事に四苦八苦しました。
 また,酪農家の方からミルカーのかけ方からほうきの握り方,それに牛舎内の歩き方まで,細かく注意をされたものです。1日も早く1人前のヘルパーになれるように,私は一生懸命努力しました。また酪農家の方々にも多大の支援をして頂きました。努力したかいあって,今は仕事にも慣れ,落ち着いて周りの事が見え,理解出来るようになりました。
 辛い事もいろいろありましたが,そんな時は,いつも牛の顔・目を見て,乗り越えて来ました。牛は本当に可愛いものです。非農家で育った私は,いつも牛の側にいられる酪農家の人達が,とても羨ましく思っていましたので,いつかは,きっと自分も牛飼いになるんだと夢見ていました。ヘルパー職員になったのもそういう思いがあったからでした。
 今酪農を経営と言う面から見た時,とても厳しいものがあります。しかし,ヘルパーは,そういう意味ではとても都合のいい職場だと思います。この仕事は,牛が好きだ,農業が好きだという思いさえあれば,まず大丈夫だと思います。酪農家の方は,牛を経済動物という観点から見なくてはいけません。もちろん,私たちヘルパーも経済性を理解していくことが大切なことです。しかし,経営者としての酪農家の立場と違う所は,ただ可愛いとか,好きだとか,本当にそれだけで牛に触れることが,できる点だと思います。私はヘルパーをしていて,そこが一番“いいなあ”と思う所です。確かに,他の産業から比較すると休日の問題,早朝・深夜勤務の問題等の特殊な労働形態であり,厳しい面もあります。また,私のように妻や子供が,あるものにとっては,家族の理解と協力なしには続けて行くことが難しいのも事実です。それでも,このヘルパーという職業に憧れて,夢を持ってヘルパーを志す若い人達が多くおられます。私のように非農家で育った者には,酪農,農業というものに非常に心を魅せられるものがあります。そんな人達の為にも,ヘルパーを1つの職業として,いろんな職域からのご理解を頂きたいと思います。そのためには,今ヘルパーとして,第一線で,がんばっている私達がさらなる努力と実践を積重ねて行き,本当に,酪農家の方々から信頼されるヘルパーにならなくてはいけないと思います。
 現在,日本の酪農は,明日の事をも見えない状態が続いています。そんな中で,酪農家と私達ヘルパーとが,一緒になってできる事はないか,それぞれの違った視線から,なんとか明日の酪農への道を見出せないかみんなで考えて行きたいと思います。