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“おめでとう創刊500号”

岡山市玉柏    
永 井   仁

この春の,新会員の歓迎会を兼ねた岡山県畜産課OB総会は,会員116名中出席者77名という曾ってない大盛会だった。
 OB会は別として,驚いたのは「岡山畜産便り」500号という快挙だった。
 畜産便りは,慢性的な赤字・非常に無責任な言い方だが,よくぞここまで続けられたものだと,今更ながらびっくりするとともに,発行,編集に努力された,関係者皆さんに,感謝とお礼を申し上げたい。
 畜産便りと言えば,すっと脳裏に浮かんでくるのは資金不足のことだ。
 当時は畜産課で発行しており,何係が担当していたかは忘れたが,担当者は片山秋坪さんだった。
 印刷を請け負っていたのが,山陽印刷,担当は同姓の片山氏だった。
 どちらも良く言えば辛抱強い,遠慮無く言わしてもらえば粘っこい性格のお二人,余り言葉も交わされず,じっと制限時間の無い,相撲の立会いの様な状態が続いていたことだ。
 結局は山陽印刷がすごすごと帰っていったが,どうせ支払はなければならない金,おとなしい片山さんのご苦労は大変だった。
 その間お互いは眺めているだけだった。
 片山さんのご苦労は以上の通りだが,私を含め課の連中はどうだっただろうか。
 自分の担当で無いのを良いことに高見の見物?
 申し訳ないが全くやじ馬的存在だった。
 何時頃畜産会に押しつけた?のかは定かでないが,結局畜産のOBが苦労されて,同じことの繰り返しになった。
“交流の場(仮称)をつくったら?”
 OB会の席上で,私を含めて,有料購読者が少ないとの話があった。
 それは遠慮無く言えば,「畜産便り」が面白くないからだ。
 昔のことを言えば,老人になった証拠だが,畜産の大恩人で父とも仰ぐ,故惣津先生の格調の高い巻頭言。
 故蔵知場長を始め,当時の酪農試験場のスタッフの技術情報は見応えがあった。(当時の一般の水準は低すぎたこともあったが)
 しかしこれを反省して見れば,OB会名簿で,名前が上の方になった自分達の愚かさを,さらけ出しているようなもの。
 反省は日光の猿軍団の猿でもやるが,人間様はそれで終わる訳にはいかない。
 今まで無責任だったことを反省して,提案と言えば大げさだが,「畜産便り」に畜産人の「交流の場」とでも言うような欄を設けたらどうだろうか?
 例は適当でないが,我々獣医師は岡山県獣医師会という,日本で一番会費の高い(そう思っているのは自分だけかもしれないが)会に席を置いている。
 その上元獣医師には何の益もない「獣医師会雑誌」なるものを押しつけられ,子羊の様に黙って受け取っているが,時々見るのは「人の消息」という欄だけだ。(これもストレス解消か)
 面白くないとけなした「畜産便り」も,それに比べればずっと面白い。
 そこでお互いが,何気なく見たり感じたりしたことを書いて,事務局へ送ったらどうだろうか。
 投稿する等と大それた考えを持つと,面白くなくなるから,何気なく書いて「たより」に載ろうが載るまいが,ボケ防止と思って気軽に考えて手伝いすると,もっと面白くなると考えるのは私だけだろうか?