ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和24年11月

家畜共済の概要

三村主事

 不慮の災害は常に我々の経済生活を動揺せしめる。農業経営という車の両輪にも比すべき農耕と家畜とは,終生災害を被ることがないとは誰も補償できない。
 農業災害補債制度は,「農業者の不慮の事故による損失を補填して農業経営の安定を図り,農業生産力の発展に資する」事を目的としている。この制度の一半をなす家畜共済は,本来性格が地味であり,内容が複雑であるために,一般に積極的な関心がうすい。以下本稿では,常識的にその基本的事項を考えてみたい。
 この頃のように,日々の生活がせち辛くなると,目前の事態に追われがちである。家畜共済の話もとかく後来の不吉を予想して,生命保険と混考され,或は,事故の発生を否認して,農家から一応嫌われる傾向がある。生命保険の必要な事は,或程度了解出来るが,即座に加入する気になれないのが人情であろう。
 然し,家畜共済と生命保険とは根本的に,性格内容を異にする。両者とも生命を対照とするも,人命は貴賎貧富の差別なく絶対不可侵のものであり,家畜は結局その経済的価値を目的とする。従って補償金額も,前者は無限自由であり,後者はその時価の8割を限度とし,時が来れば売買もし,故意にその命を絶つ事もあろう。
 保険という言葉は,資本主義的な,個人主義的なひびきを持つ。従って個人の自由意志により,需要を感ずる者のみが加入する個別的事業である。然し,我々が実施しているのは,共済であって,これは,精神的な相互思想を基調とし,村落の共同責任に於て,全員参加の下に行う団体的事業である。元来,この共済精神は,古くから,特に,農村における伝統的美徳として培われ,農村民主化の基盤であると思う。家畜共済が,国営的性格をもって,強力な国家補償援助を背景としているのは,当然のことである。
 有畜農家の必要性は今更論ずる余地はない。農地改革により,農地の担保力を失った今日では,家畜は,農家の最大の財産であり,経営上,不可欠の要素である。この生きた農宝は,何時,何処で,誰の上に,不幸が起きるかわからない。現に,家人のほんの些細な不注意から,100頭中,1−4頭の事故が出ているのである。又疾病傷害による農家負担も,今日では相当多額を要している。
 この必要にして大切な家畜の不慮の災害を補償し,農業経営の安定を図るため,共済に付す事は,農家の第一になすべき当然の義務でさえあると思う。
 ここに,本制度の発展性について,単に事故の補償のみに止るならば,農業生産力の発展に資するという究極の目的は達せられない。災害を未然に防止して,積極的に損害防止事業を実施する事が事業の本態であると思う。かくして,初めて,農家より積極的な関心をもって,事業の発展が期しうる事となる。
 今次ぎ法律の一部改正により,「総会の決議により,農家の所有又は管する牛馬は,死亡廃用共済の加入義務が成立する」事となったのは,自然の措置であり,全面的一斉加入の実現を希って止まない。「転ばぬ先の杖」とは古今の名言である。