ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和24年11月

くだんの(件)話

衛生係 i i 生

 終戦後名実共に民主化を計られつつある今日,畜産「だより」が発刊せられることになった。而も県費支弁を以ってひろく県下の関係方面に配付せられる中央の施策やら出来ごとの色々のことを公開し又県民の声を聞くなど,これこそ時代の要望であろう,斯くして明治天皇の御諭しに服し万機公論に決し永遠に健全確実な岡山県畜産の発展が計られることであろう。この機関を利用して珍奇な問題の一つとして牛の奇形を載せて各位の理解を得て御協力をお願いする次第である。
 「件」と言う文字は最近の文書には見受けられない文字であるが,旧い文庫の中に残る証文の末尾に「依如件」とある文句が認められる。之は嘘,偽りは言わぬ,二言を吐かぬと言う意味であってその言葉の起因を言えば「くだん」と言うものは顔は人間に似て体は牛で生まれると一言だけ将来のことについて予言し,言い終ると死ぬと言う,文字も人に牛が並べてあると言い伝えられている。これは人間と牛の合の子であると言い,或いは牛を酷使し又は火災などの場合救い得ず苦悶死した家に呪われてこのようなものが出来るとも言われ,色々の流言が伝えられているが,果して学問的に或は実際的にこのようなものが産れ又牛が物を言うであろうか?私はかって学生時代に産科学の恩師伊達千代造先生に「件」のことについて質問したことがある。先生は仔牛の脳水腫であり物を言うものではないと教えられたのであるが,以来30有余年此方本年迄実見したことのない程の奇病であった。処が昨年から本年にかけて東北地方に多数の発生があり,次いで本年に入り中部近畿中国の各地方に発生し,本県に於ても私の実見したもの2頭其他に5,6頭も発生したように聞いた。之は正しく恩師に教えられた立派な脳水腫であった,今後も発生するかも知れない,以下原因について私見を述べて見たい。

 原因

 原因については学者間で米日共同的に或いは単独に懸命の研究が続けられているが,現在まで決定の域に達していないが古言のような因果関係のものではない。又顔も人間でもなければ物も言わない処が先年来,馬の流行性脳炎の多発地方に本病の多数発生があったので之と関連性が疑われ研究の結果,馬の流行性脳炎(人の日本脳炎と同じ病原体)病毒が妊娠中の母牛に侵入した場合にこの脳水腫の仔牛が生まれると言う説が有力になって来た。それは其の母牛の血液中にも馬の脳炎に罹ったものの血液中に認められる中和抗体と言う物質が認められることからである。

 牛の種類及び発生地帯

 種類は乳用種役肉用種の区別なく発生し発生地帯は東北地方では山岳地帯に発生すると言い,其他の地方では平坦地帯にも発生すると言われ本県の例は阿哲郡千屋村と上房郡上竹荘村などで比較的山林地帯に発生している。

 伝染病方法

 この病気は原因が未だ決定せられていないので判明していないが,馬の脳炎との因果関係からこの脳炎の伝染について述べて置きたい。一般に伝えられている方法は,病馬の血液を昆虫類(蚊,虻)が病毒と共に吸い次に健康馬を刺すとき伝染すると言われ,又一度吸血昆虫類の体内に入り直ちに健馬に移行するのではなく,その蚊は他の動物(特に鳥類)を刺す際之に移行して其の病毒が強化せられその動物を刺した蚊が健馬を刺す際に伝染すると言われているが判然としない。只蚊の体内から病原体を捕えているが最初の其の程度の量では伝染し難いと言う点に不明の処があるようである。

 症状

 この奇形仔牛は死産するもの,流産するもの又正産して間もなく死亡するもの或いは半年も生きているもの等がある。おそらく毒力による差であると思われる。その仔牛は頭が非常に大きく前後に張り丸く従って鼻梁が不釣合に短く角座や耳は下の方に付着しており,顔が短いので小狸や猿の顔のように見える。生きているものは視力が弱いか或いは失明である。又哺乳は独りで出来ず人が補助してやれば飲む程度で牛舎の隅に四肢を腹の下に集めぼんやり立っているもの,或いは輪になって寝ているもの,頭は右或いは左に傾け又は振るものがある。又腰が麻痺して立てないものもいる。

 予防

 予防については其の原因が判然としないので確実な方法はないが,馬の脳炎と因果関係にあると言われているので,脳炎予防と同様に吸血昆虫(蚊,虻)の撲滅に注意を払うべきである。
 以上簡単にくだん(初生犢の脳水腫)の計を述べたのであるが,現在もなお各方面で研究が続けられ当畜産課に於ても之に協力と予防に努力しているので過ぎ去ったことでも現在でも又今後でも斯様なものがあった場合は地方事務所,家畜保健所,又は直接県畜産課に連絡しての研究に御協力を賜るよう特に御願いして筆を置く。