ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和24年11月

あしあと

KO生

●燈火したしむ秋とも言い天高く馬肥ゆる秋であるこの時期にわれわれの「畜産便り」の創刊号の誕生をみた。

●こういった畜産雑誌は本県に於ても戦後既にこころみられた…しかしどれも永くは続かなかった。もののあわれは秋故ではないが,その末路は,何んぞそれ,あわれならんや…の感がある。

●発刊を見た以上いつまでも続けたいと願うはこれ人情,それが何故失敗したか?どうして続かなかったか?

●その問題として見逃すことの出来ない一つは,どこまでもせまい観念の畜産技術のみにこだわった、畜産人のゆき方であったでなかろうか,勿論畜産人から技術を取り去ることは出来ない…と言って社会性と大衆性を持たないものはワサビのきかないサシミではないが味気ないものである。

●問題は感覚である。至極通俗的なようであってもこの「畜産便り」はそんな意味でどこまでも現実に忠実でありたいと思う。そして畜産技術と社会性を調和した親しみ且つ愛される雑誌でありたいと願う。

●その為には1人編集子のみが力んでみても始まらない。編集子と読者がお互いに協力してこそ初めて,初期の目的が達せられる,そうしてこの誌の真価が益々輝きを加えるのである。

●何はともあれ「畜産便り」の誕生を見たことは本県の畜産界の発展上意義深いものがある。編集子はこの方面の仕事は専門ではない,いわゆる「武家の商法」であって,読者諸君の御期待に副うことが出来るかどうか,心もとなく思っているが,ベストを尽くしたいと切なる念願をもっている。

●創刊号は時間の都合で一般業界の声を掲載することが出来なかったが,次号からは大いに民間の声を載せたいと思っています。乞い願わくば読者諸君の今後の御声援と本誌の進展上御投稿の栄を賜らんことを

●編集子の埒もない空虚な駄文を毒血をふくむ神々の口にせめて1片の苦笑たりとも刻まれんことも刻まれんことを