ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和24年12月

顧照脚下(1)

杜陵 胖

 「重々段々牛の糞」と言う言葉がある。牛の糞を気にする人は案外少ないものであるが,人によるとこれが病みつきになって,道を歩いても,牛舎に入っても,牛の糞が眼につき,やれこの牛は飼料の与え方がよいの悪いの,消化器の調子がどうのと,えらい気にするものである。
 内科実習をやっていた頃や,現場の仕事をしていた頃はよくこんな気持になったものである。その後しばらく現場を離れていたが,又々現場の生活を始めると,この癖が出て来て,年から年中牛の糞ばかり気にして来たものである。朝畜舎を廻って一番気になるのは牛の食欲と糞の状態である。 
 我々が先輩から教えられたのは「朝畜舎を廻って,牛の食欲と糞の状況を見ておれば先づ先づ心配はない」と言うことであった。なるほど考えてみれば牛の病気の8割迄が消化器病であるとすれば,食欲と糞とを注意しておれば病気の8割迄は予防出来ることにもなる。飼養管理班の秘決が治療より予防にあるとすれば,この簡単な言葉の中に含まれる教訓は畜産家の心しなければならない点であると思われる。
 今更糞の講義をする気はないけれども,万事がこの調子で人間脚下を見ることをしなければ牛飼にもなれないのである。
 次第に寒くなって来たので万事に湯がほしい季節になった。燃料不足の今日ふんだんに湯を使うことは温泉町へでも行かなければ困難かも知れないが,考え方によれば廐肥の発酵熱を利用して,湯を沸かすことを考えれば摂氏50度や60度の湯は容易に得られるのである。この湯を平素の管理に,飼料の給与に使ってやれば,家畜も喜ぶし,人も助かるのである。糞の効用も又偉大である。  

  草いきれここにも段々牛の糞。