ホーム>岡山畜産便り>岡山畜産便り昭和24年12月 |
耳ざわりの「われがね」の音。もし「こだま」の意あらば筆者の望むところ。
その一つ。
会て政党政治華かだった頃,政治の対象は財閥にあったといわれ,憲政にあらず権勢だとも評された。それが戦乱ぼっ発と共にサーベル政治と化身し,大きく「右」へ片寄って「大日本丸」は遂にてんぷくの憂目にあった。
そしてその後改装された「小日本丸」は荒波にもまれ乍ら,何時しか「左」へ「左」へと傾いて諸々の乗り手は右よ左よと戸まどいしている中,大きな助け船にあやかって,どうやら左舷の重みの危機を脱した様だ。
その最もはっきりした姿こそ、「左側通行」が「右側通行」と入れ代り,今度は「対面交通」となったことでも御明察のつくところ。
何とか真中で安全な工夫はないものか。
その2つ。
二た言目には「民主主義」と口角に泡とばす雄弁家がある。人呼んで「ボス」ともいう類だ。
いっそ小役人を集めてそうした御仁から「民主主義」の如何なるものかの御高説を承りたいものだ。
雄弁家はその拍手を,金の出来た人は権力を,権力のある人は金をと欲しがるのは凡俗の人情とはいえ,弱い者いじめの具とすること丈は御慎みありたいものだ。
その3つ。
催しものがある度毎に,やれ告辞,式辞,祝辞と盛り沢山に,又麗々しく入れ代り立ち代り現われる。赤や白の花を胸につけてけんらんたるおつむの顔が雛壇に並ぶ。
口上悉く大同小異,紋切り型のむづかしい漢文調か,むずむずするような宣伝文句,心にないようなおせじ調とあっては一体どこにほんとうの意義をもっているかに頭をひねる。
刷新の要望は足下にある。
これみよの形式,飾りの無駄な時代錯誤である。実質性を選ぼうとする頭の切り換えは出来ないものだろうか…