ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年1月

北海道の乳牛購買行脚

(加本 生)

 優良種牝牛導入計画に対し各組合よりは夫々希望が殺倒し年内に導入する運びを打合せ去る11月16日岡山を出発した。
 県畜産課より加本技師,山陽酪農から船橋氏明治工場から日高氏,児島酪農より高畠父子と一行5名となり邑久郡よりは大橋氏が先行されて居た。
 往路は恙なく,18日寒風と小雪交りの札幌市に到着し明治の牧場長鮫島氏に出迎えられてともあれ旅装を解くことにした。
 当地は珍しく雪と氷に閉されて道往く人もオーバーの襟をたて,家々からはもうもうとストーブの煙が立のぼっていた。
 19日早朝より出発明治乳業札幌牧場を訪う。場長の案内で各牛舎を視察し午後札幌へ帰着そこで船橋氏等は空知,石狩地区,高畠氏は美幌地区と夫々別れて購買することになり,私は美幌地区へ同行した。同地では高畠氏の知人伊藤氏の厄介になり附近の農家を巡回して購買にとりかかった。之が内地であれば購買先を廻るとしても1日の中に少くとも数軒以上は歩けるが北海道では隣の家へ行くにも10余町もあると言った場所が少くないしその上交通機関が極めて不便である。雪解けのぬかるみを徒歩で2―3里はどうしても歩かねばならない。歩く事は決して苦痛ではないが購買の時間が惜しい。1日中かかって5―6頭も見られれば上々の成績だ。殊に今後の購買では純粋登録未経産牛を主体としているからいくら北海道と言ってもそこいらにころがってるわけでなく又而も折角適当なものを案内されても価格の点で売買が成立しかねることもある。空しく1日を棒に振ることも覚悟しなければならない。余程的確な判断力と忍耐をもって当らなければジリジリする様な焦燥感にかられてつい下手なものを掴んでしまうこともありうる。そこへ行くと千軍万馬の高畠氏は流石にねばり強い。決して相手方に足許を見られるとか,不釣合な価格をふむと言った事は絶対にない。それどころか虚々実々の功妙な取引技術は流石多年のみがかれた腕前と言った所だ。こうした3日間漸やく予定の頭数が出来かけた所が図らずも暗礁に乗り上げた。と言うのは輸送の貨車の配車問題が極めて困難なことだった。駅で聞くと4―50日も待たねばならないと言う。之では万事休すだと言うことになり,今迄のを全部破約して苫小牧地区へ私は先行することにした。
 一方船橋,日高両氏は其後大体予定通りの頭数を購買し25日には殆んどまとまった。
 25日苫小牧で当地の生産組合長川原氏と打合せ翌日より行動を開始することになった。
 当地は酪農地帯としては北海道では比較的新しく新興地帯とも言うべきだろう。頭数は約8千頭位とも言われ一般に農家の規模は大きい,地質が悪い関係か放牧場としての利用が極めて多い。当地で短期間内に購買を完了する為大車輪の活動を開始することとした。
 当地でも特に勇払郡安平村は牛の密度も資質も秀れているとの事でこの安平村を中心として漁ることにした。
 北海道の農家は大概どこへ行ってもそうだが住居としては内地の夫よりも貧弱ではあるが廏舎とサイロは実は立派なものが多く例え如何に住居の方がみすぼらしくても立派なサイロが堂々とそびえていると言った風景は珍しくない。そして馬・乳牛・豚・緬羊・鶏等と家畜類は恰度家族の一員であるかの様に農家を構成している要員ともなっている。私共が内地でやれ有畜農業だ!主畜農業だ!と喧しく奨励してもどうもつけ焼刃の様であったり又木に竹をついだ様な形のものも有るのと比べれば雲泥の差がある。環境とか土地の広さの関係もあるが内地での旧い慣習より逸脱した新しい形態の農業としての行き方がはっきりしてるとつくづく感じた。
 当地の生産組合長の川原氏に案内されて東奔四走しようやく4日間を要して牝牛7頭,牡牛1頭計8頭を決定した。
 年令は上8頭中2頭は成牛で他は9ヶ月より13ヶ月位のもので価格は現地で8―9万円程度であった。
 価格が割に産地高の感があることは北海道へ入ってみてから驚いたことであったが此は25年1月より貨物輸送費が値上げになると言うのがひびいて11月以降内地の各県より購買者が殺到して価格をせり上げた感があるようであった。
 かくて購買完了と共に輸送の手配を済まし11月29日札幌へ引き返し帰還の途についた。帰途山形県へ転任された前課長押野氏を訪問する予定であったが時間の関係と疲労との為遂に断念せざるを得なかった。
 北国の寒さが泌み泌みと身に応えたとは言うものの酪農形営の真姿を見て幾多の見聞を得たことを喜んでいる。

 果しなく枯野はるか果しなし
 あかり見て東上に仰ぐ寒の星