ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年3月

飼料と畜産

岡山県畜産課長 惣津 律士

 戦後の異常なる畜産景気さては昨年末以来の家畜の暴落は何を意味しているか,そして今や自由経済の荒波の中にほうり出されんとしている我が愛する畜産界はどんな体制を具備すべきか,実に悲壮なる決意を要するときである。
 世の識者はかねてから畜産の常道について声をからして警告を発して来た,この万人のひとしく認めざるを得ない常道からともするとぐらずいた道をたどる日本の畜産にはどんな弱点があるのだろうか。
 外国では古くから土地が畜産物を作ると言われている,乳は土地から搾れとさけばれている,そして畜産農民は飼料作物と真剣に取組んでいる,即ち飼料の造成なくして家畜の増殖,改良は到底考えられない事が常識化されている。
 農林省あたりで作られる畜産何ヶ年計画とかには先づ畜産物の需給計画から逆算された増殖頭数が計算されて,それから飼料計画が立案されているようである。一応なる程と思われるが,ここに重大な誤謬を認めざるを得ない,先づ第一に飼料計画が農業,林業の如き農林各部門と密接なる聯繋り下に将来の国土計画を勘案して立案され,これが基幹となった家畜の増殖計画でなければ一片の作文に終わるだろうし又畜産人のみの小乗的計画であってはならない。
 かくの如く中央に於ても地方に於ても飼料に対する認識が極めて不足である事は実になげかわしい事であり,これは畜産人以外のものに到っては認識は全くないと言っても過言ではない,更に畜産人に於ても家畜の改良に関する技術者は数多いが,飼料と真剣に取組んでいる技術者が何人あるだろうか。
 生産を引下げて国民にも海外にも安い良質の畜産物を豊富に供給する運命の下に置かれている我国の畜産界としては購入飼料への依存をいさぎよく脱皮しなければ到底進展は期し得られない事は明々白々たる事寒である。
 国土はせまいとはいえ全面積の8割以上の山林を有する日本としては畜産に依る開拓の余地は極めて広大であり,国民全般が飼料と畜産との認識を新たにする時こそ国民生活の向上と国連の発展が期し得られるものと確信している。