ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年3月

飼料問題の反すう

苦しい……なつかしい……想出

馬渡生

△太平洋戦争完遂のために必要であった飼料統制も今日迄続けられ連合軍の好意ある援助によって終戦後4ヶ年して相当豊富になったので統制も近く解除されようとしている。統制……統制……今から考えるとこれ程肩苦しい……そして憂鬱なことはない。それが近く解除される。これ程畜産界……飼料界……にとって明るい感じのすることはない。12ヶ年の永い間統制の框にくくられて……こうすれば統制違反だ……それは価格違反だ……といって何時も窮屈な頭の重い状態で血行が順調に行かずそのために畜産の発展も相当阻害されていたことはいなめない事実であったと思う。

△敗戦の事実に立脚し過去12ヶ年以上の飼料統制を振返って見ると苦しい思出もあり……なつかしい思出もある。一連の永い夢であった様な気もする。筆者は昭和13年飼料の統制が開始されてからつい先日迄この仕事に携わって来たのであるが……今この統制解除を目前に控えて全く思出深いものがある。今更統制時代の昔を振返って見た所で何の益があろうか。これ等は戦争の産物でありすっかり忘れて仕舞った方がよいではないか。然し永い間の統制に幕が引かれる時に当って過去の思出の内印象深いものなどを思出して見るのも亦無駄ではないかも知れぬ。

△飼料の統制は日支事変が始った翌年の暮,昭和13年の帝国議会において飼料配給統制法が議決せられたのに初まりこの法律によって飼料配給株式会社が誕生し須田町の地下鉄ビルに陣取り輸入飼料の一手買付をなしこれを当時全国(大連を含む)約30の保税工場に配給したのであった。

△こうして最初は輸入飼料のみを統制し約1ヶ年を経過したがこの間において戦争の推移に伴う経済事情の変化によって単に輸入飼料の統制のみでは効果が挙らなくなったので昭和15年3月から先づその当時最も多量に消費されていた養鶏用配合飼料の府県別割当配給が実施せられ,これを扱う機関として配合飼料共販株式会社が創立された。而して同年夏頃から内地産の,米糠,脱脂糠等重要飼料は殆んど統制の框にはめられて仕舞いなかなかやかましくなって行った。

○家畜家禽が多いのに飼が尠くなり統制されたために……当時はまだ配給機構も充分整備されていなかった……生物を抱えて餌料不安を増大し供給量の増加を望む声極めて著しいものがあった。県庁にいても朝から晩迄餌をなんとかして貰いたい……明日は食わせる餌がない……居座り戦術で来られるのには全くの所往生した。

○当時資料の県内配給は産業組合連合会と商業組合の二本建であったがこの両者が実は犬猿の間柄で,お互に取扱数量の多さを望み猛烈な運動を展開し何回会議を開いても纒らず閉口した事も再三となくあった。当時は何でも実績本位で両団体の取扱数量も過去の実績を以って決定することになり過去3ヶ年間の飼料取扱実績に関する銀行の証明書を徴し莫大な書類を毎夜おそく迄調査に苦労した事を思うとよくやったものだと思う。側から見れば面白くもあったと思われるが……子供の喧嘩の様でもある……午前県産連が来る……午後商組が来る……同じことを何回でも聞かされ又時々は有力者を筆頭に陳情に及ぶ。全く係員は喧嘩の仲裁役みたいなものであったが今から考えて見ると活気があった様だ。筆者は余り体が強い方ではないがよくも続いたと思われる位であった。

△飼料が府県別の割当制になつており飼料が尠く且配給も円滑を欠く場合が多かったので増配を得ようとすれば農林省に陳情して配意を仰ぐより外なかった。関係者と共に上京して見ると2−3県は何時も来ている。君の県もか……御前も来ているのか……お互友人の各県の飼料主任官が関係者を帯同して陳情に及んでいる。そして恰も口頭試問の如く一県がすめば次の県が行くという風に当時飼料を扱っていた経営改善課に苦衷(?)を言上したものであった。時には誠意(?)を認めて貰って御土産を頂戴することもある……逆襲を受けて引下ることもある……といった工合で悲喜交々の状態であった。

△或る時其県の知事が会議上京の折自ら飼料の増配陳情に行かれる事があった。当局も長官自らの陳情に対し五tの特別配給を行うことにした。長官は特配を受けて大いに意を強うし帰県しようとしていた処へ同県の飼料主任官が関係者を帯同し増配陳情に来る処に出会った。長官は得々としてこの旨を一同に話した処一同は唖然として5t位では問題にならぬ……100t程度の増配を是非貰わねばならぬ……というので長官も踵を返して一同と共に再び陳情に行ったという様なこともあった。

△割当は農林省……配給は配給会社及び共販会社……現品の出荷は各工場……荷受は県産連と商組……という様で徒らに取扱う機関のみ多くその間の連絡をうまくとり現品を早く消費者に渡すについては人知れぬ苦心があった。販売価格は公であったが運賃諸掛は実費徴収ということになっていたので取扱機関により又配給の都度最終価格が異り消費者の迷惑は相当大なるものがあった。筆者が畜産便り第1号に述べた様に消費者本位の機構が打樹てられたことがない……統制の初めから遂に終迄……これが改善せられなかった事は洵に遺憾であった。

△米糠は吾国の現状に鑑み重要な油糧資源にして昭和15年から統制に入れられ県の割当に従って製油工場に出荷することになったが今般他の飼料の統制が解除になってもこれ丈はそのまま継続する模様だ。本県には政府の指定を受けた工場が4戸ありその年間能力は15,000tに及んでいる。然しこれに県内から供給される統制糠は食糧公団,酒屋,委託搗精等合して3,000t余で極めて尠い。工場はどしどし作っても差支えない……原料は割当でやれ……ちんばな政府の統制でここに原料米糠供給の困難性があり毎年割当に際しては心労したものである。米糠割当協議会なるものを開いて決めるのであるが誰しも沢山貰いたいのは人情で……驚声ものすごく……腕をまくる……あわやと思われることも一度ならずあり今から考えても思出の一つである。最近では政府が全国的に割当基準を示し計算によって割当数量を決め又割当会議に消費者代表も加わって決められる様であるから比較的円滑に決定されていることはうれしい。

△終戦後総べてのものに民主主義制度が採用されそれ迄県が単独でやっていた飼料割当も飼料協議会なる委員制度で行われるようになり何もかもさらけ出して協議の結果割当を行い委員長の統裁の下円満に実行されてきた事は何といっても喜ばしいことであって久敷その御世話をさしていただいた筆者として委員各位の御協力に感謝している。

△一昨年から切符制度が採用されて今日に到ったが筆者は切符制度そのものには別に反対ではないが凡そ今実施せられている飼料の切符制位実情に副わない不合理な制度はない様な気がする。地方の実情をよく聞いた上で……各県の主任者を集めて思う存分言わしておいて……決まって官報に出たものは政府独自のものといった工合で地方の意見は……殆んどといってもよろしい……採用されていない場合が多かった。優秀な切符切職員が1ヶ月1万枚に上る切符を一生懸命にきって発行しても実際の処昔の通牒1本の方が遥かに簡易であり迅速であった。もうこれもお仕舞いだからとやかく言っても詮ないことだがかくの如き……民主行政もあったという思出にすぎない。

△飼料統制10余年……その間国の統制会社,県の配給機関出来ては変り又消えまことに目まぐるわしいことであった。配給の方法も何回となく変った。それにつけても思われることは統制の当初農林省に居られた近藤次郎彦氏のことである。明察果断完全な自由から完全な統制に乗せられたのは同氏の卓越せる手腕でその後方法手段は色々変ったがその指導理念は同氏が打樹てられた方針によっており……寧ろ当時より悪くなり……実情から遠のいたのではないか……という気がしてならない。

△思い出せばまだ沢山あるが筆者にとってはこの10余年間何事も思出の種でないものはない。その間筆者に御協力願って一緒に仕事をした方々の顔が次から次からへと眼前に浮ぶ。統制がなくなれば各独得の御手腕で飼料界に貢献されることと思うが益々御多幸で奮闘され本県畜産の健実な発展に寄与されますことを祈念してやまない。(25.3.11)