ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年3月

牛と馬

 数年前或る文部大臣の作語で「科学する」と言う言葉が流行した事がある。言葉が流行しても実際の我々の日常の常識的なものに科学しこる事が果してあるだろうか?
 今宵は一つその意味で物識りのエーゼントのA氏を囲んで夜長のつれづれなるまま在り合すの焼酒の1杯もかたむけ乍ら牛と馬を題材として少し「科学してみよう」と言う事に相成った。恰かも月は良し亦ほのかに庭の偶の沈丁花の花の香りが漂ってくると言う風情は又更に良い。
 質問するB氏は是又村でも仲々の畜産人を以って任ずる人,トコトンまで聞かねば承知をしないと言う青年で記者はうっかりすると注がれる盃の冷えるのも忘れて鉛筆を走らしたもので些さか皆さんの御耳に……いや御目に止れば幸いと漫筆に托した次第……。

 B「なんとAさん牛と馬は同じ家畜でありながら何彼と対照的に言われるがざっと考えても確かに面白いコントラストになるね。」

 A「そうだ,全くだ。第一馬を飼う人と,牛を飼う人との気質からして感じなり性質なりが違ってくるだよ。」

 B「と言うと,具体的にはどういう風に?。」

 A「それはね第一馬と牛ではね感覚と速さが違ってるさ。馬はね,船に例えれば駆逐艦か,客船で牛はね貨物船みたいなものさ,だからねスピードと派手さを求めるには馬さ。然しのろくても実質的なものをねらう人には牛と言う事になろうじゃないかな。まあどっちかと言えば牛を好く人は鈍重的で「待てば海路の日和組さ。」良く言えば所謂平和的で,馬好きはパッパッと片附ける競馬の様な生きのいいところをねらう素早いところで悪く言えば所謂戦争型かな。」

 B「馬を戦争型だと言うのは適切じゃあないね。馬だって経済動物としては結構約に立ってるじゃあないかね。」

 A「それぁそうさ,今言うたのは極く大ざっぱな概念的なものさ,経済的と言えば耕地面積が広くて役畜としての能力を要求されるところでは馬の方が有利な事は明白だ。アメリカ辺りの広い耕地では機械力に次ぐものは矢張り野馬さ,北海道だってそうだ。馬でなきぁとても仕事が追っつかないよ。そうそうこんな話もある。或るアメリカの農家にトラクター商人が売込みに行ってとくとくと機械力の卓越している所を吹聴して宣伝した。商人の言う事を一々うなじいて聞いていた老主人最後に曰く,「わしゃね肥料が欲しいんだよ,何とね,ふんだんに糞をしてくれるトラクターを作ってれや何時でも馬と取換えるがね。」……と言ったとか。まあこれやアチラの話だが農業と結びつく家畜としては肥料の面も大きい。だから耕地や営農の方法によって馬と牛の効用が違ってくるよ。」

 B「今君が言った糞だがね,牛と馬では同じ卓食動物だがどうしてあんなに違うかね。」

 A「おやおや段に難しい事になったな,余りいじめられると近頃の大臣や知事の答弁みたいに「よく研究してから」と言ったとこで逃げを打つがね技術屋はどうもその点苦しいね。……それあ牛の糞は冷糞,馬の糞は温糞と言ってね……これあ私の作語で本にゃ書いてないかも知れんよと言うのも元来馬と牛では消化器の構造が違うところから来てるよ,だから温床などでは馬の糞を利用し,牛の廏肥は利用しないわけさ。」

 B「つまり馬糞は醗酵熱があるし牛糞にはそれがないと言うわけだね。だが消化機能からそれが説明出来るかね。」

 A「いやどうも困ったね。専門の先生に見つかると叱られるかも知れんが只牛と馬の腸の構造と機能に差がある訳さ,馬はね承知の様に盲腸が非常に発達している。小腸で養分が吸収されたものが盲腸に溜まって水分を取り体温で或る程度醗酵する性質をもつんだから馬は良く屁をひるじゃないか,牛の屁は余り聞かないが馬はねよくプップッとやってるさ,糞を見ても水分が違う,馬は比較的乾いてて固ってるがね,牛の糞はベタベタだと言うのも牛と馬では繊維の消化力が違う点もある。」

 B「牛と馬ではどう言う具合に違うかね。」

 A「牛はね,知っているように胃が4つに分れてる。その第一胃の中で或る程度の物理的な作用と化学的作用つまり醗酵があるわけさ,そしてプロトゾア(原虫類)が増殖し細菌類の繁殖と相まって繊維を消化して吸収され易い状態に変化していく訳さ,これがね牛の繊維質に対して強いと言うか利用度の高い点なんだ。」

 B「なる程……じゃ牛と馬では矢張餌でも若干の違いがある訳だね。」

 A「そうだ。それや馬は藁や草だけじゃ無理だ。どっちかと言えば濃厚飼料が余計要る事は明かだ。元来ね,話は違うが牛飲馬食と言うがねあれや私はね逆だと思うよ。馬飲牛食の方が当ってるよと言うものね,牛と馬では馬の方がよく水を飲むし餌の方は牛が量から言えば余計要るさ。第一胃の容量が違うよ。牛の胃が遥かに大きいし馬は単胃ど小さくもある。面白いことには馬の胃の噴門のと言って胃の入口の筋肉は非常に締りが良いんだ。ところが牛は逆に「ねり返し」をする程だから噴門の締りなんてない訳だから馬に放食させて食い過ぎをやらすと胃破裂と言って破れてしまうことがある。牛では破裂することはない。只ね食滞と言って第一胃の運動が止まることはあるがね。そうそうさっきの水飲みだがね之は組織と生理的に言ってね,馬は皮膚の汗腺の発達が良いから運動すればよく汗をかく。ところが牛は馬程でない。皮から言えばそんな汗腺などの余りない牛皮の方が丈夫なわけになるがね。汗腺が発達しそれ丈運動する場合には水の所要量が多いことになる。勿論牛だって乳牛の様に1日に1斗も2斗も乳を出すものはそれや大体乳の量の3倍位の水は飲むがね。今私が比較してるのは馬と和牛と言うところでの比較さ。」

 B「ところでね,牛にはどうして前上顎の歯がないんだろうね。馬にはあるがね。」

 A「そいつは造物の神様に聞いてくれ,私が牛を作ったんじゃないからね。昔は神様が牛と馬を造るときに「これ馬よお前は性急だし餌を食うには手がない代りに唇と前歯で噛み取れ。牛よお前はのろいからゆっくり舌でまき込むように食べ舌をよく使う為には前の歯は邪魔だから片方は要るまい,塩気のほしい時には鼻の穴でもなめるに都合がよかろう。」なんて言ったんじゃあないかな。この話はこの辺でかんべんしてくれよ。」

 B「おいおい少し冠談でごまかしだしたな,科学すると言った口上の手前があるじゃないか,話が落ちついでに少し色気のあるところを科学しようじゃないかどうかね、まあ1杯キュッと熱いところを引っかけよう,むつり屋の君でもその方は返ってウンチクが深かろう。」

 A「愈々来たね,これあね,私も若干の経験をもってるのでね,……と言っても牛太郎(実は妓婦太郎)的なもんだがね,然しね真面目な雑誌へ発表するとなると発禁を恐れるからね,お手柔かに頼むよ。」

 B「何んと馬のは凄いと言うじゃないか。」

 A「単刀直入に来ましたね。全く馬のは勇壮だよ。いつも亘大なる逸物を存分に張り切らし波打たせ乍ら快感の状を唇辺に浮わせ泡を吹いて示威運動よろしく……牝はとみれば心持ち尾を挙げてライトニング(註,馬特有の部分的興奮状態ですが説明は御耳拝借としましょう)と突症的徴候を見せる局部に……まあこの辺で描写は我慢してくれ,それは馬の方が情緒てんめんたるものがあるよ。突はたった一突きだがね,馬は数分はかかる。トウヌソルで宮内省の牧場に居た有名な種牡馬はね,時々種付けに行くとき廏舎から種付場まで2町余りの所を後二本肢で立上り乍らねそして一本短いのを人目もあろうに振り上げて行ったと言うからね。よくあいつは馬並みだよなんて言われるわけなんだね。」

 B「交配の時期についても違うようだね,そのへんの状況を一つ頼むよ。」

 A「牛は年中発情するし何時でも妊娠するがね。馬は妊娠の関係から大体5−6月頃が蕃殖期とされている。発情の周期は大体同じだが発情の期間が馬では大体5日−1週間で排卵するのが1−2日前となってる。牛では発情期間は大体1昼夜で排卵は発情が終って10時間から1日位終ってからあるとされてる。だから種付も牛ではなるべく発情の終りが良く馬では中間が良い。」

 B「発情の状況,妊娠の関係なんかについ何か面白い話はないかね。」

 A「発情と言った情況は大体共通点は多いがね牛ではモウモウ吼え出すところにはっきりしたところがあるし盛んに粘液を出す。それも終りになるに従っておとなしくなって粘液も少くなるがこの時が一番種付けの適期だよ。馬ではね排尿したり前に書いたライトニングをやるんだがね,確実な方法として一般に当て馬と言ってね発情判定の犠牲になる馬を使ってるね,当て馬てのは実に見る眼も気の毒な話さ,人間も殺生な事をやるもんだね。」

 B「全くだ。当て馬だ。つけ馬だ。馬の骨だやれとん馬だ,のろ馬とか言ってどうも馬は部の悪い言葉に使われるね。」

 A「ハッハッハッまんざらそうでもないよ。牛だってソラ午と言う字があろうその午の字の棒が上へ少し抜けるとつまり牛と言う字になる。午が抜ければまぬけは牛と言う事にもなろうじゃないか。」だしゃれに話が落ちて「科学する」との口上もチト恥しくなったが之も酔余のトガと御かんべん下さい。