ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年3月

農村雑感

 現在の社会では土地の所有と言うことは実に派手であろう。その派手が手伝って土地にからむ種々なる問題が惹起されている。特に農村ではそうである。
 さて一軒の家々についても如何に生活のレベルが高かろうが,低かろうが,三度の飯が漬物で梅干の茶漬であろうとも,土地さえ持っていれば社会に隠然たる勢力?をもっているようである。
 税金は勿論のこと,中学校の建築資金,共同金にしても或は其の他の寄附金にしても,その割当(表面は割当でないかも知れないか)にしても大体土地の所有の大小であるらしい。
 「丁やん,今度の税金はどうや,おめえの家はなんぼう来たら,おめえ方等えろう来んじゃろう,濃の家にゃ物凄う来た,税金々々で剥ぎとられて仕舞うのう」
 「おっつあん せえでも余計来た,もうやりきれん」と
 この短文の対語と読んで読者は或は解らないかも知れないが,これはお互に巻脚を着けよい地下足袋をはいている現代の百姓姿の2人であるが前者の言葉は先代から今までの地主であり後者は敗戦後農地改革によって出来た所謂自小作人で農地改革前は純小作人であった者との対話である。
 農村は一定地域の中に住居と耕地があり,相隣しているか,そこに個人差異があり,運不運があり,自ら経済力や身分の高低があるのは当然であるが……この言葉の真意は奈辺にあるか,この自小作人の若者は如何にこの言葉を取ったであろうか,
 和田傅氏小説「遠い牧歌」は興味ある小説である,ここに概略を紹介して置こう。
 この小説の主人公(明治30年代で土地30町歩の所有者)佐左エ門は作男の藁打の音,鍬の振り方,田植時や畑地の際草の仕方まで注意を怠らなかったと言う徳ある農事指導者ではあったか其の過程は即ち。
 「耕地に佐左エ門の姿があらわれたのを遠くからでも見かければ人々は假令彼の田でなく或は全然彼の小作をしていない者までも皆頭を振り出す…鍬を振るため頭を振る…のであった。そして泥だらけな顔になるのだ,そのことでは他の小地主達も或は働き盛りの息子を持った自作農でも小作人でも,大いに佐左エ門を徳としていた」又「佐左エ門は田の中の小作人の顔がきれいだと怒る。つまり泥だらけになっていなければ承知しなかった」として,田廻り野廻りが済んだ後には彼は田圃の手入の悪い或は作柄の愬い小作人を自宅へ呼びつけて叱責し説諭し又肥料の買えない者は繭の金が入るまで或は食いつなげない小作人には金又は米を貸してやったのである。即ち村の発展は自己の栄と考えたものであろう。そして生気を失ったものへは「くよくよするな勝手で1杯ひっかけて行け,元気を出すんだぞ」と鼓舞したのである。
 この様に農事指導者的役割を果し且又冠婚葬祭は又進んで口論の仲裁もするし,村の若衆の素行まで看視を怠らなかったのである。村内にある他村地主の土地は機会ある毎に入手しこれを村内の小作人に耕作せしめて無上の喜びを感じていた。「小作人が年貢を他村へ曳き出して行く姿を見ると佐左エ門にとっては我慢のならぬ屈辱の様であった。このことは部落の面よごしであるとしかし思えなかった。その村の農家のふところ具合は他村へ曳き出す年貢米の多募によって1日で看破されるともしていた。それを自村を越えて他に曳き出す村は衰亡の一途を辿り反対に出さぬ村或は他村から曳いて来る村はそれだけ繁栄している村と断定することが出来るとしたのである。」
 この様な思想により部落根性が養成されて愛仰心を唆ることとなったのは当然と言えようかこれはやってのミツタリズム(軍国主義)と一脈相通ずるものはないであろうか。部落民の生活の維持繁栄の為に如何に役割を演じたか,これはとりも直さず封建的思想政治に移行したのではなかろうか,これに類するまでもなく大なり小なりこの様な封建的思想は遺憾乍ら今に農村より払拭されていないのではなかろうか。
 農村の民主化は何時になったら来るか。
 以上農村民主化が叫ばれている機にある日あることを聞きある本を読んで敢て一文を寄し読者諸賢の冷厳なる批判を願う次第である。