ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年3月

かね

◇「草を見ずして草を取るを上農と言い草を見て草を取るを中農草を見て草を取らざるを下農」と言われた程草に悩み草に苦しめられた日本の農業も2.4−Dの出現で皆上農となる理屈になるが草を生かして草を活用する工夫の首尾は更らに極上農となる時代となった

◇農村の課税軽減は一途の攻勢と陳情によりシャープ歓告となって一応目的を達したのは良かったがさてその税金で賄われていた直接間接農業助成策がブチ切られた。
 そのハネ返りが肥料の値上げ。飼料の値上り、再生産必需物資の騰貴、町村税の増額となってきた。どうやらヤンヤと騒いだ頃より財布の目方が軽くなりそうだ。
 農業政策何処にあり、政治家よ心してくれ!
 いやそれよりも農民よ活眼を開こう!

◇権力を持つ者は金を,金を持つ者は権力をと不足なものをねらうのが人情の常とやら……主観に客観に錯覚して百見竿頭に登りつめ猿も木から落ちる破目に会うのは御互いに注意したいところだ。

◇農協の危機が叫ばれ,合同整理の機運となった。理念と実際が一致しないところに宿命的なものがあったと言って簡単に片附けられない問題ではある。
 所詮是も「組合の為の組合」化せんとした人が遠因を作ったと言う見方もある。
 又農村好況の波に乗り過ぎて農村恐慌には耐え切れなかったのも元々狸の泥船だったなんてやゆする人もある。
 何れにせよ。こう薬位の手当では到底利き目がないとすれば叩き直してガッチリしたもので出直すことにしては如何?

◇顔がまかり通るところ御無理御尤もの世の中とは言え何時迄もその顔が派手に利き目があるとは限らない。
 不見転の厚顔も小じわがふえる頃ともなればそろそろ別れ話が持ち上ろうと言うもので枕ならぬ椅子を探がして右往左往と言うことにもなろうじゃあないか,
 ゆく春に蝶のうつつぞあわれなる