ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年4・5月

ラジオ随想

電波に乗る畜産王国
―5月9日KK放送予告―

山陽新聞社 岡本耕作

 王国という言葉にはどこか軍国主義的の臭いが無いでもないが,それは別として何となくユーモラスのものがる。それにスポーツとか産業を冠せると一そうスマートになる―曰く野球王国―曰く園芸王国など。ところが一口に畜産王国と言っても岡山県の業界にもかなり盛衰起伏があり,そのかげに一連の技術者の苦労や一般養畜家の喜怒哀楽の表情が深いかげを形造っている。とくに戦時中の荒廃のあとを受けて終戦後の畜産インフレ時代―そして昨年から急カーブを描いた現在の不況時代とそうした経済的のシワ寄せをジッとみつめていると単純に畜産王国という言葉にも多分に吟味して考えねばならぬものがあるようだ。
 一頃の畜産成金の夢は完全に潰えた。しかし次ぎの時代,デフレ期に処して堅実な営農と結んだ家畜の取入れ方,林業と結んだ新しい畜産のゆき方―そして県民の栄養保健からみたなどなど。新しい畜産の分野はまだまだ遠くあの中国山脈の山懐ろに抱かれた高原地帯から吉井,高梁,旭の三大河川の河系に散在する未開発の放牧地と同じように広茫とした視野が前途に横たわっている。
 本当のことを言うと私は岡山県の畜産がそれほど重要なものとは最初のほど思っていなかった。それが何日だったか,あの緑の立木越しにクッキリと赤瓦の屋根を見せている高島林業試験場を訪れ,倉田博士の口から大いにそのことを強調されてからは成程!と思うようになった。
 この頃よく「畦道をゆく科学」とか「路傍を科学する」という言葉がつかわれる。そう言って見れば名もない道ばたのクローバーの一叢にまるで田舎の女学生のような清楚な姿で雑草の中に生立っている肥料木など……およそ私共の周囲には畜産にゆかりのあるものが少なくない。
私共はもっともっと畜産を謳歌してよい。それは明るい陽の下にスクスクのびる牧歌的詩情に加えて近代的の合理性を盛ったものとしての畜産であって欲しい。そしてそれと同時に1つのジャーナリズムの波に乗った畜産の姿というものを考えてみたい。私は押野前畜産課長,奥山県酪農協会長,それに山岳酪農家の吉岡隆二氏などと岡山放送局から対談放送を試みたことがあったが今度は5月9日午後7時半から30分間に亘り「岡山県畜産めぐり」を放送することにした。果してどれだけ電波がこの複雑な業界を文化的にキャッチしてくれるか,私にとってはそこに1つの不安がある。