ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年4・5月

顧照脚下(5)

杜 陵胖

○緑の週間が行われて,緑の羽根が町に流れ,山に町に木が植えられ,国土保全が喧しく叫ばれている,緑化運動が国土保全の大局的見地より提唱されていることは一段の進歩であって山林行政の中に明るいものが浮んで来たような気がする。
○この緑の週間に県庁の中や街路に植樹が行われた,何気なしに樹種を見たらニセアカシヤである,林務部長の発案ではないかと思うが,将来の植樹の新しい行き方であると感心した。然しまだ一部にはわざわざ松を植えてあるのを見て何か対照的に変な気もしたことである,このせっかくの樹も植えられて10日,もう心ない人々によって頭を折られ,樹を倒されている。どうして木を愛する心が持てないのかと悲しくなる。
○街路樹と言えば今迄はプラタナスか柳に相場が決ったものであったがニセアカシヤの進出は新しい意味を含むものであると思う,外国の街路樹のように果実の稔る樹種が植えられるのは何時の日のことであろうか。人の心の豊かになる日の一日も早からんことを祈る。
○街路へ進出した肥料木も間もなく山に還り針葉樹の間に混って大きな役割をはたす日も近いことと思う,牧野問題,草生改良の問題と結合して有畜林業の叫ばれる日の来ることを念願して已まない。赤松亡国論を称え,針葉樹の将来を憂る人々もある,林業界からは異端者として見られているかも知れないが,日本の山の将来の形を考えれば先覚者として尊敬したいものである。
○松喰虫にやられて岡山近郊の山は数年にしてその姿を変えてしまった。南部のはげ山は益々その度を加えて来た,水田酪農を称え,水田輪作の問題をとり上げる人はあっても,このはげ山に木を植え,採草地として,維持飼料の自給を考える人は無い,南部水田地帯の限られた畦畔や堤塘から粗飼料を自給することは困難である,水田地帯の酪農を生かそうとすればはげ山を等閑視するわけにはいかない。食糧事情は明るくなっても,生産費の安い牛乳を生産する為には維持飼料の自給を研究しなければ駄目である。この面からでも将来の畜産は山へ伸びる畜産であってほしいものである。
まして和牛に於ておやである。