ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年4・5月

これからの農村養鶏

大崎綾太

 『卵がドンドン下るのに飼料は却って高い今後の養鶏はどうなるか』とは近頃よく人々から聞く言葉,育雛のシーズン最盛期の雛がダブ付くなど文字通り養鶏受難期に突入したとは誰の観る処も同じであろう。私も同感だが悲観はしていない素より手放しで楽観はしないがほんとうの養鶏の味はこれからだと思っている,殊に私自身の場合今迄他所での黄金時代の頃は正しいルートの流れ以外は自らの努力によって厳しい供出割当の責を果しつつ其残りと耕地の高度利用による自給飼料を主体とした養鶏農経営は今迄30余年の間幾度か体験した難関にもまして苦難の最たるものであった。それが世界の食糧豊産につれて国内でも食糧飼料事情の好転,いも類統制撤廃等々今年こそは久し振り楽に落付いて育雛が出来ると楽しんでいる現状で前途努力次第で益々明るい見通しで地についた農村養鶏の真面目はこれから発揮されると確信しています。
 飼料高卵価安シエーレの増大に耐えての養鶏農経営は坦々たる道を進む比ではあるまいが農村恐慌と言い危機と叫ばれる其真中にあって甘い仕事は何か?言う丈野暮アレコレと迷えば迷う程絶望の淵へ歩一歩殊に戦時中戦後を通じて余儀なくされた化学肥料偏重による掠奪農法の悪果は益々地力減退に拍車を加え而も過去の実績追及以外に能なき非科学的な生産計画の無理強い其首かせの苦悩にあえぐ年毎の供出此苦難から解放される日の早かれと祈る念願の実現される頃の無為バラバラで団結力を欠く農村の姿を思うだけでもゾッとする恐ろしい予感が杷憂であれば幸です。画されたドツジラインを境としてインフレの熱もさめ平和な日本再建目標に向って国民の総てが其礎石として強く正しく生きねばならぬ時お互農民の進路として養鶏農の力強さは己の欲する処敢て強ゆるのではなく確信ある太鼓判で不況難関突破の一途だと思いますが自給体制確立への熱意を欠き只足下眼前の窮境打開の妙策とでもはき違え所謂戦後派的似而非なる養鶏農は絶対に禁物厳に戒めたいものであります。
 更に思いを将来に廻らす時其処を得人によっては格別何人にも手放しで成果を結ぶやは保証し難いそれ程に今後の風波は想像以上に荒くも深刻ではありますまいか。
『一矢十矢に如かず百矢十矢に勝る事万々たり』と元就の訓言を今更事新しく持出す事は時代離れの迷言の様であるが今後共に志すものの総てがガッチリ,スクラム組んで合理的に蕃殖採種孵化育鶏採卵と一貫した生産体系を確立し中間搾取を極力排除して行く大同団結の力を以てせねば恐らく養鶏農によって恵まれる事も難中の至難事ではあるまいか。
 冷たい戦争等とは世界の他所吹く風とすましては居られない,強存弱滅養鶏界も将に戦国時代冷い戦争は日と共に深刻の度を増し公団廃止や諸種の統制撤廃不況金づまりにあえぐ農民搾取の爪牙を磨く魔手は八方より襲いかかるは必然だと思います。
 これ迄にも組織の力組合の活動は幾度となく起伏消長文字通りに繰返された其跡を見れば何時も真剣味を欠き血の通うて居ない泡沫的功利的結合でしかなかった憾はなかったでしょうか?生産は遊戯ではない真剣に考え真剣に実践してこそ生き甲斐がある。生きているものまして人の結合体である限り血の通っていない死物では意義がない。歴史は繰返されるとは言え同じ事を繰返して居たのでは世の進運伴わぬ今こそ血の通った者同士が立上る絶好の機会否そうせねばならぬ絶対的危機だと思います。
 今後農村養鶏のあり方それは消極的で狭義な自給養鶏而もバラバラな其前途は暗い,殊に今頃になって事新しく推奨される甘藷養鶏等只僅かに其一部でしかない。助成や奨励等のかげに弱々しく温存されるのでない踏まれても蹴られてもスクスクと伸びねば止まぬ春の若草の様に力強い組織組合の結成による一貫した生産体系を確立し総合的営農の一型態として産業分化の一画を占むる迄の堂々たる意気と実践力とを有する同志を中核とした総親和力で押し進む道であって近視眼的利慾や方便で寄合う鳥合の衆更に漫然と手放しで行こうとする者に迄許される極楽境への途ではないと断ずるのはあまりにも極言でしょうか?
 兎もあれ農村養鶏の前途は多難ではあろうが進路をさえ誤らねば決して暗いものではない金づまりにあえぎ恐慌の不安に戦く農村の人々の一人でも多くがうららかな陽光に恵まるる日の早きを願う心は一人のものではない筈である。敢て心ある人々の猛省と奮起を切望して止まない。