ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年4・5月

どうぶつ愛護に寄せて
応募入選作文!!
2等賞

動物は人間の友達である

津山市美作中学校3年
小坂彰子

 「キャン」「キャン」という犬の鳴き声,叩かれているのだろう悲鳴に近い,「ニャオン」「ニャオン」かすれる様な猫の鳴き声,「この野良猫と奴どこから入って来た,さっさと出て行け。」という声と共に放り出される猫。重い荷馬車をひいている馬「ビシッ」。となるむちの音。鶏に石を投げて喜んでいる子供達,「つばめ」や「すずめ」の巣から卵を取って親鳥を悲しませている子供。この様な姿を私たちは一度ならずみかける,みかけるだけではない大抵の人が自分から一度は行ったことだろう。同じ動物と生れながら人間が世界の支配権をにぎっている為その使役に遭い酷使されている動物。もしも人間と動物の位置が変っているとしたら動物たちは人間にどの様な行動をとるだろうか,それは疑問であるがそれはそれとして今のままでは人間は動物に対してその価値を全然みとめていないといえる。民主主義政治は総ての人の幸福利益を増進させるばかりでなく「生きとし生けるもの」総てにその恩恵を与えねばならない,そうでないならばそれは本当の民主主義政治とはいえないだろう。
 終戦後日本にはいろいろな運動が行われたがその中に『動物愛護運動』というのがある,動物愛護のポスターが電柱や板べいにはりつけてあるが一般の関心はまだまだ薄いのではなかろうか,「動物を可愛がりましょう」ということばは誰でも知っている。しかし,知っているのはその中に含まれている意味は殆どの人が知らないのではなかろうか。知らないのではなくて知ろうとしないのかも知れない。それがやはり関心の薄い証拠かもしれないが……
 犬や猫は嫌いだからそばに来たら石を投げて追ぱらおうとか,牛や馬は働く為に生れて来たのだから言うことをきかない時はむちで打っても働かせる。というようなことはあまり感心出来ることではありません。働かせるのは仕方がないとしても大事にしてやる可愛がってやるということは必要なことだと思う。
 『博愛』。『博愛の精神』。とやかましくいわれているが,人と人との間では行われていても動物との間にはあまり行われていないのではなかろうか。人と人との間も大切だけれど真実の博愛とは「あらゆるものに対して」でなければいけないそれでこそほんとうの博愛の精神といえるだろう。
 動物様様と祭上げる必要はないがせめて友達と言う位の気持は持った方が動物愛護の精神を少しでも尊重したことになるのではなかろうか。