ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年6月

顧照却下(6)

杜陵胖

☆「上るべからず」「祈るべからず」と書いてあると尚更やってみたいのが人間心理らしいがこんな立札が必要なくなるのは何時の時代か知らん。
 何時も通る小路の垣根に花が咲いたので美しいなあと思いつつ通っていたが翌日はもう折り取られてそれきり後は無残な技と葉だけ残って何ともいやな気になる。
 在るがままの姿で花や草を楽しむ心のないのは寂しいものである,自分の所有物にしないと気のすまない連中の多いとは何んと情けない風流心ではないか。
☆犬を見つけると石を投げ,馬が休んでいると棒でつついてみたり,小鳥が楽しそうに遊んでいると空気銃やパチンコで打ってみたり,折角作った小鳥の巣箱を壊してみたり,これが日本の子供,中供の心理である。動物愛護の心は愛護週間だけのものであってはならない。平素の訓練に畜産人の関心を向けたいものである。外国の例をとる必要はないが公園や緑地帯へ行けば小鳥が鳴き犬を連れた人が多くなるようにしたいものである。
☆岡山種畜場が三軒屋に移転してその設備も完備した,岡山市の郊外で水源地から三野公園へのハイキングに最適の地である,種畜場が御津郡伊福村に設置されたのが明治37年である。それが岡山市に編入されて既に30年になる,然し岡山市の人に種畜場が何処にあるか、何をする処か聞いてみても答の出来る人は何人あるか判らない洵に心細い次第である,食糧事情は豊かになり各種の統制は撤廃されつつあるときのことであり種畜場で牛乳を飲んだり,肉製品を食べたりする機会を作り市民に親しみのある種畜場にしたいものである。あそこへ行けば美味しい牛乳が飲めるということになればハイキングコースの中に入れて牛を眺めつつ種畜場の仕事を知り,乳を飲むことも出来るわけである。そして子供の時から動物に親しみ,動物を愛する気持を養いたいものである。
☆今年も亦梅雨期がやって来た。
 例年ながら季節的に雨量を心配しなければならないことは,西日本の年中行事の1つである。天然の現象で今のところ人間の力では何ともならないものであるだけに,その年の降雨量は心配の種となる。食糧事情の悪かった時には都会の入々迄空を仰いでお天気をきにしてくれたものであるが,今日になってそろそろ食糧の心配が少なくなるともう雨の少ないことを喜ぶ都会人ができて困る。今年の長期予報は大体雨量は例年並にはあるらしいが,これとて降ってみなければ何とも言えないところに心配の種がある。日本人がその主食を米麦に依存している間はこの心配はとれないものである。雨量ばかりではない,梅雨期が一寸早く来ればやれ麦の収穫ができないとか,麦が腐るとか言って大騒ぎをしているかと思うと,一寸遅れてくれば田植えが出来ないと言って大変である。自然を相手の農法である以上全く先様まかせで何とも致しかのないものである。秋になれば稲の開花期が台風期になっているので210日,20日の頃になればこの方の心配で又一苦労である。考えてみれば日本の地勢上台風はさけられないものである。元来台風は南方赤道附近には発生したものが成長しつつ北上するものでそのコースは大体毎年決っているがたまたま本土へ上陸するのが8月から9月になり,それが稲の開花期にぶつかって問題を起すのである。
 このような不安定な農業に安定性を与えるものは畜産である,動物性蛋白食を食生活の中に取り入れることの必要性は今更言わなくても判ったことである。澱粉食プラス動物蛋白食,そしてこれにより主食の節約を行い体位の向上をなし,寿命を長くし,安定した農業を営むことこそ将来の日本の農業経営の在り方であると信じるのである。