ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年7月

随想

灰のあと

 最近禁煙に関する記事をよく見るし,又よく耳にする。その発端はリーダーズダイジェストの4月号にあった喫煙の害にあるらしい,続いて5月号に煙草を止めた人々の話が出て益々反響が大きくなって来た。
 ニューエイジの7月号を読んでいるとアイヌの研究家として知られている金田一博士の「心のふみきり」という随筆があり,タバコをよす楽しみが面白く書いてあった。
 悪友共が10人位集って温故会なるものを作って,毎月1回会員の宅を廻って好きな事を話し,勝手な議論をし,それでいてお互に種々連絡し合って人の世話もしたり,自分の事を頼んだりしているが,その会の雑談の時某君がこんな話をしていた。
 最近天満屋社長伊原木氏が驚く程肥えて来られたので原因について或る人が尋ねたところ「それは牛乳と卵のお陰であって,最近牛乳を1日3合と卵を1ヶづつ採っている」とのことであった。ところがこの話を聞いた某人が「それは天満屋社長だからできるのであって,吾々のような安月給取りにはできないことである」と語ったら,伊原木氏は「私はタバコを吸わないので1日に「光」を1ヶ吸ったつもりでやっています,「光」1個は40円だから丁度同じことになります」とのことであったと。
 なるほど物は考えようであるということになった。タバコを吸う人は1日に30円や50円は平気であって,あまり効果もないものを吸っているのも考えてみれば無駄なものである。最近こんなタバコに関することが多いので私も亦タバコを止める気になって6月始めから中止した。私はこれで2回目である。何時まで続くか知らないが止めてみても決して苦痛にはならないので安心している。金田一博士のいわれる如く「よす楽しみ」の方が大きい。私のタバコは元々の動機が面白い。それは獣医師の諸君はよく判ると思うが解剖をする時のあの臭気がどうにもいやで臭いを消す意味で解剖の時だけ時々吸っていた。だから習慣には決してならなかったのである。ところが愛知県種畜場で勤務中たまたま場の移転問題が起って工事に着手したが,戦時中のことではあり,一番金のかかる人件費を節約する為には場の生徒と共に職員総出勤で測量から整地までやったものである。その時工事の中間の休憩をしていると自分ではタバコを吸わないので一定時間休むと「オイやろう」と立ってしまう,すると他の連中は「今タバコに火をつけたばかりだこれを1本吸うまで待て」といってなかなか動かない,その内誰いうともなしに,「あいつにタバコを教えなければ駄目だ」ということになって何時とはなしにお付き合いに休憩中だけ吸うようになった。然しまだ本格的ではなくどちらでもよい位いなものであったが,その内岡山県へ帰って来たのでタバコの方もどちらでもいい方になりお付き合いならば吸う程度であった。ところがその内配給制になり不自由のなったので自分より人に奨める為にケースに入れて何時も持ち歩き,好きな人にはいくらでも配給したものである。たまたま岡山が空襲に会い,私の家も焼けてしまったがその時着て出た洋服の中に前夜入れたケースが入っていて,集った町内の人々が何物も失ってボンヤリしている時に「どうです1本」と出したのがとても喜ばれ,私もその時の味がとても良く感じたところへ,その又すぐ後で県庁へ行って武田課長から頂いた1本の味が何ともいえなかったので,課長の処で「これからタバコを始めます」と宣言して始めたのである。以来ずっと続けて配給の少い間,相当苦心して吸ったものであり,量も何とかなるのであまり気にもしないで吸ってきたが,種畜場へ入ってからは場員の方々が相当廻して下さるので,ついつい気になって続けていたのである。そんな時にあの移転の大事業の計画が起ってきて各方面の折衛やら,牛馬税の問題やら,大変な事になったので,ふとタバコを止める気になって何の気なしにタバコを止めてしまった。止めてみれば大して苦痛でもなく,体の調子もよいのでそのまま止めていた。その内勤務の都合で県庁へ帰って来たが,帰って課内の椅子に座ってみるとお客との話相手に一寸やってみたくなる。隣りで押野課長は煙突程やられる。その内に進駐軍の将校と交渉が始まり1本出されるとついやってみる気になって手を出したのが始まりで又々何時の間にか本格的になってしまった。
 課長が代り惣津課長がこられると,これ又押野課長に負けない程のタバコ好きときているので煙突が2本並んだことになり,2人が1日課に居れば火鉢の中は吸い殻で一杯になる有様であった。最近になって天満屋社長の話を聞いて面白い思うとフト又止める気になってポット思いきりよく止めてみた。何んの事はない簡単に止めてしまった。苦痛にもならないし,「よす楽しみ」の方が大きい。それに最近になって課の方へ牛乳が配達されるようになったので天満屋社長のまねをして牛乳を始めた,この方が実用的である。こんなことが何時まで続くか知らないがこう簡単に始めたり,止めたりできるとすれば人々が考える程むつかしいものでもなければ,理性を要するものでもないようである。同じ止めるのならこのように理屈抜きにして気軽に止めたいものである。心の苦痛になるのなら止めた方がましである。 (くらち つよし)