ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年7月

かね

◎蛇は蛙をねらい蛙はなめくじを追えばなめくじは蛇に向う。これを喩えて世に所謂三すくみという。
 
最近の物情もこれに類する。お互いにねらいっこといった具合だがさて動きがとれない。因果はめぐる式の態では如何ともなし難い。

◎騒然たる蛙声の中にてん然としてかがしが立っている。弊衣弊帽のままき然としてこだわらず,動ぜず,悩まざるもの1人これ案山子のみといいたい。
 元来「かがし」の由来は「かがす」(臭す)といって昔は鳥獣の肉等を燻らして害獣をさけたというが何時か人の姿に模して立てるに至った。何故これを案山子と書く様になったかいうと,支那で古来「主山は高く案山は低し」という語があり案山とは低地即ち耕作地を意味する。その案山(耕作地)にへい然たる人の姿のデコレーションが立っているのが如何にも奇抜なのでこれを見た或る禅僧が「おお吾が案山の子よ!!」と呼びかけたのがこの「かがし」つまり「案山子」と書かれるに至ったものといわれる。

◎「面壁9年」を続けて悟道の真髄に徹した「だるま大使」もある。元来が手も足もない標本の様なおもちゃの様なのが決して「だるま」ではない。
 喩え手足はなくても世を通じて斯道の師表となり悟道の指標を与えている。
 森羅万象の中,人は泡沫の如く浮塵の様なものにもたとえられる。かの「エジプト王」の求めに応じて多数の学者が多年に及んで編さんされた万国史も結論において「人は生まれ,人は苦しみそして人は死したり」の語に尽きるとか……だがさて吾人風俗と誰も此の動揺の世相に処し只浮遊するに止らずき然として信念的行動の邁進することとしたい。

 説教もかね一つなる梅雨の宵