ホーム岡山畜産便り岡山畜産便り昭和25年8月

岡山牛

高山牛

杉井多賀

 原産地は備中高梁を西に隔て蛇行性の道を成羽川にそってさかのぼること25qの地点に川上富士とも称する弥高山がありましてこの麓に連ながり起伏する丘陵5q四方の地帯に生まれ出る和牛を総称して備中高山牛というのであります。この地帯は山林牧野に富み至る所に清泉があり,牧草が豊富で飼育するのに豊かなる地であります。
 又夏季になると暁雲朦々と山腹の地より起り満眸海の如く恰も雲橋に立の想がありまして霧の海としても有名な地であり古来より当地方の農家はか様な地勢に恵まれる事を知り天与の地を利用して,この地の産物として牧畜に親み生産育成につとめて農業経営の一大要素としたのであります。即ち仔牛が生れると3日を経ずして一望千里を眺められる地に放牧して春は鳥獣と戯れ夏は朝露にまぶれ山伏の暑帯を凌ぎ秋よりは寸余の霜柱を蹴りつつ自由に生草を食い,又自由に運動して我を忘れて夜山する事が多いのです。これらの牛は体型優美にして且つ強健であり,粗食に堪え肢蹄の強固な事,よく言う(ゲンノウ)の如く,顔品に富み性質温順な事は他国の牛に比べて勝るとも劣りません。そして婦女童幼よくこれを取扱う事ができる。これが即ち高山牛の特質であり,そして,販路は広島県久井市において好評を博し広島県,山口県,四国方面に売られて行く物が多数であり,又生産仔牛におきましては発育良好であるので遠く紀州,大阪地方の蕃殖地帯,肥育地帯を問わず需要に応ずる事ができたのであります。
 時代の進むにつれて明治15年郡は短角種及びデボン種の雄牛を借り入れて種付に供し益々改良につとめた結果,明治40年頃より岡山牛として千屋牛と肩をならべ各地に種畜として購買に歓迎され爾来全国的に高山牛の名声を広め今日の盛況を見るに至ったのであります。

(筆者は和牛改良家)