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農業経営改善の一考察

田口朔太郎

 日本の食糧確保の使命から見た農業の経営方式を検討することも重要だが,農家経済の現状から推しての農業経営を研鑽し改革しなければ,その自立に重大な危機が到来しつつあることを忘れてはなるまい。
 農業経営の前途に幾多の困難を自認し出した農民の前に数多くの篤農技術が紹介された。その殆んど全部が単位面積からの多収穫法であるが,反当収量の幾パーセントかを増す位で解決がつく程の危機ではない遺憾がある。而かも篤農技術では普遍的に実行されて,所謂低位農家まで残らず実績を挙げることは困難である。従って全部の農家の増収率は,極めて僅少と見るべきであろう。これに加うるにこれ等の技術は肥料と人手とをおしげもなくつぎ込む方法が多い。過剰な人数を抱いている農村としては,増収の確信がある場合は少しでも多く遊休労力の換金を考えねばならぬが,更に吾等は少し変った角度から経営改善を考察する必要を痛感する。
 茲に岡山県北部山間地域での浅い体験だけを資にした愚案を発表して大方諸賢の叱正を乞うものである。
 有畜営農を畜産営農に進展させる5ヶ年計画がその全部である。県北部地帯は畜産に適した自然的条件にはまっていて今日あるを得た理であるから,更に一段の工夫を進めて立地条件を完全に利用することは,吾等の努力を最も効果づけるものであることを信ずべきである。耕種営農を有畜化して自給肥料の増産の必要性を強調され,有畜農業の問題が真剣に検討され議論された。戦争中から最近まで,食糧問題が深刻になり飼料はいもづるまで圧迫せられて,全部の家畜が瘠せていった。それは従来,家畜飼料を穀類に求めてきたことが不合理であった証査であろう。畜産の将来を制する者は斎しく留意を要する点であろう。ここに提唱する畜産営農は飼料の自給を完遂することを前程としているものである。
 こういう考え方から,畜産営農の輪廓を次のように計画したい。

 1 和牛(成牛)を倍加する。
 2 乳牛を1農家当0.3頭とする。
 3 飼料の自給のために
  イ.採草地の草生改良。
  ロ.二毛田の2分の1を三毛作とする。
  ハ.一毛作田畑の高度利用による裏作の飼料作物栽培。
 4 飼料代(濃厚飼料=自給購入分共)及び飼料作物用の購入肥料代は畜産収入でまかなうように計画する。
 5 畜産の副産物を捨てる場所として,現在の耕種農を自給肥料化する。

 以上に少し説明を加えて置こう。

 和牛倍加運動の考え方 5ヶ年計画で育成倍加する。雄仔牛と劣等雌仔牛は売却して他は全部育成する。この間仔牛代金の収入減は現在の農家経済には相当な傷手であること は言を待たぬがこの位な資本は下さねば,農業経営の改善は不可能である。資本のない所に利潤があり得ないという経済原則は農業にも適用せられることを深く反省してかかるべきである。

 乳牛を0.3頭けい養する方法としては,功を急いではならない。即ち自家生産仔牛と購入仔牛との育成を主幹とし,収入の幾部を蓄積して購入する。このためには,乳牛飼養希望者中から条件を充分調査した上で適格者を選抜した上で,貯蓄講式な資本造成を考えることも一方法であろう。

 採草地の草生改良所謂採草地は,充分な手入をして飼料価値の高い草種に置き替える。耕地面積よりも山地の方が広い国土においては,山地より収入を得る計画が急務であると同時に,最後的な手段であろう。山林の飼料源化は開墾による方法よりも効果的であると思う。森林緑化の運動と大開墾計画との矛盾を避けて,森林喬木の間にある灌木を掘り取ってネム,ハギ,アカシヤを植える。遠方から見ると森林であり山に入れば,立派な飼料圃であるといった形の山林経営も不可でなく,その適地も相当ある。畜産から見た山の利用はここまで行かねば,4つの島で8千万人の生活と文化の保証はできまい。

 二毛田を三毛作とする。上等の二毛田は,灌排水も地力も優れている。優秀な性能を保有する耕地を高度に利用するために,これを三毛とし四毛とすることも有利であり,手近かな方法である。例えば,麦と稲との間で,ナンバや大豆の青刈り作を一作入れる。稲と麦との間に秋作として大根,菜類を一作入れる。(此の場合の麦作は移植栽培が必要である。麦の移植法は増収法としてよりも,経営改善の手段として先輩に感謝を捧げるものである)

 一毛田の裏作について,麦だけを考えると不可能又は採算割れとなるかも知れぬが飼料作物で考えると成功する場合が多い。大麦不作の一毛田に燕麦の青刈を計画すると,湿度にも酸度にも燕麦の方が相当強い事を知り得るであろう。甘藷一作の畑もあろう,甘藷を掘ると直ぐ燕麦を蒔いてみよう,早いものは1月には立派な青刈飼料となるでしょう。燕麦もできぬ程やせていたらライ麦を蒔くべきでしょう。苗代の前作に9月蒔の京菜かミブナの苗を11月中旬頃に植えて開花期に収穫すると5畝の苗代地で300貫の緑飼は悠々とれる。

 かく工夫すると,水田利用の方法だけでも幾千貫かの飼料が得られる。5000貫の生飼料が得られると,ゆうに1頭の成牛は飼える,しかし,これを完全に利用するためには成牛1頭当1.5基のサイロと完全な堆肥舎が必要である。

 仔牛収入や牛乳代で飼料代をまかなう様に収支概算をたてて経営を進める。そうすると自給分の穀類いも類の飼料代位は畜産収入として家計費に廻る計算になると思う。いも公団の失敗もくり返さないで済むし,政府買上で特別会計に赤字も出さずに済む筈である。

 畜産営農家の耕種農は畜産副産物の処理場として存在し得るから米,麦を生産する生産費に肥料代は大部分不要となる。世界農場の主食糧生産コストの比較のとれない日本の米麦作は将来絶対に自滅の外に途があり得ないのだから是非とも生産費を下げねばならない箱庭式耕種営農においては,肥料代を取り除く以外に期待し得ないであろう畜産主体営農の確立を考える根源もここから出発したものである。

  ともあれ,この構想を実現するためには相当額の資本を要する。その資本の用意を充分考えてかからぬと,変動経済の荒浪にはふられてしまう心配が多分にあることを忘 れてはならない。それには農家の経済を充分分析し検討することである。即ち,自分の財産と資本との限界を明にする。その上で資本運転の工夫をこらす。資本運転の計画の範囲内において,畜産主体農業経営の構想実現への段階を徐々に上ることだ。あせらず,たゆまず,着々と無理のない進展を急ぐべきである。
  それは理屈であって自分にはできぬと諦める向も多いと思うが,現状の経営をくり返すだけでは,日本人お互の所では人並以上の経営となり得るかも知れぬが,世界の農場を対照とした農村文化の水準には到達し得ないと覚悟しなければなるまい。
  文化日本の建設に一役買って,農民が国政に発言権を充分持つためには,この際何う あっても農民の工夫と努力とで,世界水準以上の日本農業を実現しなくてはならない,そのために,現在の農業経営に能う限りの投資をしなければならない。といって全財産を投資することも経済変動機には危険であろうし,借金は一層冒険である。資本は粒々辛苦で積み立てねばならぬ。其の資本蓄積が意志の力でできぬようでは,半日手ぬかりもゆるされぬ畜産で利益を挙げ得る道理がない特に乳牛は人手がものをいう率が大きい。
  資本金につぐ資本に労働力の問題がある。畜産営農を考えてゆくと,家族制度の因習 のぬけ切らぬ日本人には,共同作業組織の運営が困難であるからその補填策として大家 族主義を提唱したい。小家族の経営組織であることを忘れて多角形経営をとり入れると, 何の面も充分な成績を挙げ得ないで,資本の浪費と過労のみが残るであろう。この苦痛は吾等の短かい経験で,数多くの体験をなめさせられたことである。
  勇敢にして周到な計画に基いて,飛躍的な改革を断行しない限り乗り切れない日本農 業の障害物にでくわしていることを痛感し,敢えて粗案を発表して,広く評判と教導とを希う次第である。

1950.6.16稿 於作北耕稼軒
(筆者は香々美南村農業協同組合長)