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昭和の醍醐味

藏知 毅

 味覚の最上のものを醍醐味と言うが,その醍醐とは何を指すのであろうか。
 涅槃経の14に「牛に従いて乳を出し,乳に従いて酪を出し,酪に従いて生蘇を出し,生蘇に従いて熟蘇を出し,熟蘇に従いて醍醐を出す,醍醐は最上にして之を服すれば衆病皆除く」とある。
 延喜,民部式によると「作蘇の法」として次の様に記してある。
「乳大一斗を煎じて蘇大一升を得」
 これから考えると「蘇」と言うのは今のクリームに当るのではないかと思われる。そこで醍醐は精製したクリームかチーズか又はバターに相当するものであろうかと考えられる。
 仏教徒が牛乳やバターやチーズを忌避しだしたのは何時頃からのことか判らないが,皮肉なことに,お経分の中に乳製品が味に於て最上であり,百薬の長であって,万病が皆治ると書いてあるのである。流石に印度から出た教えであると感心させられるのである。
 仏教は日本の農業に数え切れぬ程の功績を残してくれたのであるが,そのお経の文句の通り,僧侶や信徒が昔から日本にも牛乳やバターやチーズを普及してくれて居たら今日日本の酪農業は相当発達していたであろうにと言いたくなるのである。
 それでは西洋式酪農法が輸入された明治以前には酪農が日本には無かったと言うと,実は立派にあって奨励策さえ講じられて,醍醐味を満喫とまではいかなくとも,相当に発達していた形跡があるのであるが,何時の頃からか衰微してしまったのである,洵に惜しいことであったと思う。恰も数学が日本独自のものが発達して世界最高度に達し,円周率の算出など日本が1番ではなかったかと言われた程であったのが,徳川末期には衰微して西洋数学が入るに及んで御破算からやり直したのと軌を1つにするものであると言うことが出来る。
 岡山地方の古い乳製品については次の様な文献がある。前述の延喜,民部式によると,次の如き「諸国貢蘇番次」の規定があり,それによると全国を6区に分ち朝廷の御用として毎年各地から蘇が献じられていたが岡山地方はその第6番となって居り

 備前国 10壺
 備中国 11壺
 美作国 11壺
 讃岐国 13壺
 伊予国 12壺

 云々となっているのであって,岡山地方も古くから乳製品が重要な産物として献上されていたのである。これから考えて来ると現在この地方で専ら農耕作に飼育されている和牛からは相当に搾乳されたものであることが判る。その頃の搾乳量は同じく民部式によれば
 其取得乳者,肥牛日大八合,痩牛減半,
 とあり肥痩の程度によって搾乳量も異っては居るが大体今日の和牛の中位の泌乳量はあったものと考えられるのである。
 この和牛は明治になってから洋種の血が混じて,一段と泌乳量は増加した筈である。斯く考えて来ると耕作に最適の和牛も同時に搾乳にも供することが出来るのであって多角経営を必要とし,生活改善を要する農家が今日にも手をつけてほしいことは和牛の搾乳であって,将来和牛の改良を行うことによってその搾乳量は更に増加する可能性は充分にある。
 昭和の醍醐味を満喫する者は将に雌牛を持っている農家である。