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顧照脚下(9)

杜陵 胖

 立秋の声を聴くとまだ暑さに変りはないのに何んとなしに光線に変化の来たことは見逃せない事実である。昔写真機を持ち廻った頃の習慣で今でも光線に対する感覚は非常に敏感で季節の変化を一般人より先に知ることができるので,一歩先に季節に対する準備ができることを喜んでいる。
 秋は収穫の時であると共に冬の準備の時である。本文の方で多田技師がエンシレージの問題について詳述されているので,この問題について書く必要はないが要は畜産人各位の努力の問題である。エンシレージの効用を今更述べた処で大方の人は先刻御承知のことである。然し知っていて実行しないのが岡山県人の通弊でもある。人がやってみて相当効果が見えるまではじっと遠巻きにして見ていて,さていいとなると猫も杓子も皆やるので,扱い易いような,扱い難い人間共である。
 エンシレージの問題は戦前から戦時中を通じて相当奨励され,サイロに対する補助金も出て,県内にも少くとも2万基位は造られている筈である。然し飼料不足の時代にも口をスッパクして言わなければ利用して貰えなかったもので,飼料の好転しかけた今日になってもなおこれを利用する人は余程の畜産人か,先の見える人であると思われる。今後の畜産は量より質に代り,更に生産費の低いものでなければ他と競争は出来ないのである。生産費の軽減は何をおいても飼料の自給を第一としなければ駄目である。所要飼料の何割を自給出来るかと言うことで生産費の何割を安くするかと言うことになる。そうなれば年間を通じての飼料計画を樹立し,耕地の利用,採草地の利用等についても充分な計画が絶対必要となって来る。ところで私の言いたいことにエンシレージの利用がある。地方へ出てよく聴くことはサイロは造ったが詰める材料が無くて困ると言うことである。これには全く開いた口がふさがらない。どうも片仮名で書いたり横文字で書いたものはあちらものと考えて向うで使っている材料でなければ詰められないような気持でいるのが不思議でならない。
 人間の喰う漬物は日本独特のものかも知れない,日本で漬物を知らないと言えば,それこそ笑い物である。全国を廻って漬物の種類を探して歩いたら恐らく数100種に上ることと思う,生で喰えないものまで漬物にして利用すればたべられるのである。
 エンシレージは家畜の漬物である。むつかしく考えるから材料がないのであって,吾々が日常使っている漬物と考えれば日本人の漬物に対する愛着心は自然に材料を産み出して来ると思うのである。人における漬物の如く家畜における漬物も数100種は無くとも数10種位は出来そうである。私は最悪の場合を予想して山の下刈りをしたあの小枝の交ったものをエンシレージにしてみたが立派なものができ,牛も喜んでくってくれた,小枝のようなものは牛の方で残してくれたのである。堅くなったものや,生でたべないものはどんどんエンシレージにして利用したいものである。畜産人がサイロを高度に活用し,年間を通じて利用し,サンマ−サイレージまでに及んで来れば労力の点でも,自給計画の面でも,もっと楽になって来る筈である。
 秋はサイロの詰込適期である。材料も豊富である,もっと脚下を見てその辺に転っている材料を高度に活用して,飼料の増産に務めたいものである。