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偶感

片山登喜雄

 生活の改善と言えば多種多様な事を連想するが先づ第一に頭に浮び上るものは畜産による動物蛋白であろう。
 農村ではそれ程資源が有り余っておるのである。殊に最近では飼料事情が好転しておるので小動物は相当数増加し山羊の雄(仔羊)の如きは子供の玩具になったり路傍に見捨られておる現状である。人体保健衛生上最も大切な資源であるべきはずの家畜が余りお粗末に見受けられる。廃鶏の処分は大方捨値で鶏屋の手に渡り魚族に肩換りするのは上の方である誠に漸愧に堪えない。麦刈,田植,藺草刈,田草取り,等連続的重労働は,夜盲症に罹り或は体重の減少等病的疾患を,ともすれば夏やせと称してあっさり片附けておるが夏季脂肪分の欠乏を如実に示せるものなり。斯様な時は汗が盛に流れるものでそれが又田草取の際は目の中に入って困る様である。目薬を使っても間に合わない。この時に昼休みの時間を倹約して夕食の膳の上に鶏を使用せば効果てきめん翌朝顔は若返り顔を洗えば手ざわりなめらかで仕事に行っても昨日に変り汗は玉と化し飛沫をあげて額から落下すること必定御試食をお忘れなき様。秋前の風邪もなしこの様に畜産物の人体保健,衛生に及ぼす影響絶大なるを忘れて町の人に食べて貰って置きながら町の人は美しいとか年を取らないとか言った事をこぼさぬ事,畜産食料理は婦人に依存は禁物で男性に於て調理すること,その能力を養成すべきである。
 畜産技術者は生産指導も必要ながら家畜の葬式即ち屠殺,解体,骨抜,料理,の方面に意を注ぐべきである。それで畜産再認識の新分野を開拓すべきではなかろうか,腰の曲った人は世界で日本人程おる国はなかろう,これは粗食で大食で胃腸の障碍を重ねたあげく老令期に入り食物の減少は胃腸の萎縮となり自然腰を曲げて調節をするらしい。恐るべき事B29と竹槍の禍根を将来に残すなかれ。(筆者は都倉畜連技師)