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夢想愚想

宰府 俤

○此の夏,流行性脳炎の異常な蔓延は,お互の心胆を寒からしめ,病魔の跋扈は捨て難い人間の命の妙味を満喫させた。そうして,いささかこの流行も下火となってホッと安堵の祝盃をあげうる頃となったとき,牛の流行性感冒の猖厥を見た。
 我々が農業を営む上に大きな役割を持つ牛が罹病し,更には斃死の不幸に遭遇するとき,小額ならざる治療費が,巨額の財産が手中から消え去りこのところ畜産界にはジェーン台風,キジア台風が吹きまくっている。
 由来,病魔の暗躍を許すものは体力の衰弱ではあるまいか,如何に流行性感冒が強力な病毒をもって畜牛に迫るとしても,頑健な体力を保持している限り罹病率も少なく罹病したとて容易に治癒し,差程恐怖感におののくこともあるまいと素人考えをする。
 強健な体力を家畜に保持さすことが防疫上必要であるとしても,我々が毎日毎日漬物で飯しを流しこみ痩せほそってゆく如くに,栄養価値があろうがあるまいがおかまいなしに手あたり次第のものを家畜に与えわざわざ弱くしていたのではお話にならない。
 しかし貴い人命を,巨万の富を持ち去られて始めて台風の対策に腐心する我々にかかっては,人間自身の命についてかくの如くである以上,まして人間ならざる家畜であってみれば全く問題外の問題として何をネボケているかと笑われるかもしれない。或いは釈迦に説法と聞いていただけないかも知れない。時候もよくなり今更夢想,愚想でもありますまい。来月号から金になる様な,少しは読んでいただける様な,高価な誌代にふさわしい様なこと,とりわけ家畜飼養関係のことでも書かせていただきたいと思っている。

○その昔「東海の小島の磯の白砂に我れ泣きぬれて蟹とたわむる」と歌った天才詩人啄木は数限りなき人々によって知られているが「つかれたる牛のよだれはたらたらと千万年もつきざるが如し」と人間の与える物を食い,人間のさせる仕事を黙々として働くこの疲れ切った牛に無限の愛情を寄せた彼を知る人は幾人あるであろうか。
 東北の一小村渋民の地に建てられた彼の碑石は,道行く人々に哀愁の思い深きものを投げかけ,その生涯の不遇をいたまれる歌人啄木ならでは牛へのひたむきの愛情をかく31文字に表現し得ないであろう。
 とりわけ人間の文明が進歩し,家畜に対する人間の親近性が衰失するにつれて人間は家畜を自然の動物として自己よりも低くその価値を見,その結果彼等を冷遇するを普通とする現代人において,就中長い間の牧畜の段階を経過することなく有畜農業を唱える日本人においておやである。
 畜産の土台は家畜に対する愛であり,そうしてそれから出発したよりよき家畜,よりよき有畜農業の発展を願ってやまない。
 この稿が皆さんのお手許にとどく頃はそろそろ稲刈りの始まる季節になっていることと思います。折角御自愛され御活躍あらんことを,そして皆様の家畜を更に一層御大事にされます様。

さようなら。(9月10日記)