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外から見た岡山の畜産

畜産技術連盟 中島周蔵

 「外から見た岡山の畜産」を書けと言われても岡山を離れてからもう8年を経過しているし,それに畜産の実体に触れる仕事から遠のいているので,私が今岡山の畜産について彼此意見を述べることは正鵠を失する嫌いがあるので御遠慮申上げたかったが,ご指名でもあり岡山県畜産界の皆様には絶えて久しく御無沙汰していますので,御挨拶の積りで何か書きなぐって責を塞ぐことにしました。但し初めから断って置きますが,国内事情の急変したこの8年間,而も外からでも岡山の畜産を見ていない私の想像的意見ですから若し間違って居ったらどうかお見のがしを願います。
 私は最後の御奉公の積りで,去る昭和18年に皆様とお別れして遠く此島に飛び込みましてが,此島の戦局が不利になってからは,未開の裸土人のみ棲むルソン島の脊梁山脈深く逃げこみ敵弾にも見舞われ,空の脅威も直接受けたし,非衛生的な環境のこととてマラリヤ,悪性腸炎,頑固な皮膚病等凡ゆる風土病にも犯され加うるに食糧難のため極度の栄養失調症に陥りましたが,命冥加にも21年の1月懐しの母国の土を再び踏むことが出来ました。私がどうして此島の士にならなかったのか,あの頃のことを振返って見て寧ろ奇跡であったと今も思っています。
 却説岡山県の畜産は私の居た時代に較べると余程様子が変わって来て居ると思いますが,何と言ってもその代表的存在は和牛で,その改良の実が年と共に拳っていることは昨秋の連合共進会の成績が雄弁に立証しているものと信じ,蔭ながら喜んでいる次第であります。
 その反面産犢の販売方面では余り進境が見えないのではありますまいか,無論高梁市の如き代表的市場は益々活発に動いている様ですが,備北なり,作州なり或は県南方面にもせめて之に亜ぐ市場が生まれても良さそうな気がしてなりませんこれは如何にも突飛な私の夢ですが,せめて産牛地帯だけでもここらで一つ思い切って地理的情勢等を検討した上で,市場の統合を断行したらどんなものでしょうか,無論色々困難な事情のあることは私も充分承知していますが,産牛の改良と販路の開拓は車の両輪の関係にあることを知らねばなりません,良い品を一場に多数集めることは顧客誘致の秘訣です,あえて識者の御一考を願いたいものです。
 無論これ丈では十分とは言えません更に進んで県外に販路の開拓をする要もありましょう、熊本県が昨年関東地方で褐毛和種の展示会を開いた如き良い例です,今度岡山県が東京に畜産駐在員を設けられたことなどは最も機宜の施策と敬服していますが,更に一歩前進して近畿関東の大需要地で展示即売会を企て,岡山牛の真価を問うてはどんなものでしょうか,これに依って販路は拓け,今後改良の重点を何処に置くべきかの指針を得られることと信じます。
 酪農岡山の老舗は何と言っても邑久,小田,浅口であり,この地帯は益々実力を発揮している様ですが,近頃では新興の津山地方が之に肉迫し,加うるに驚いたことには酪農的には地の利に恵まれていない児島の一角にまで急速な発展を遂げつつあることなどは関係者各位の並々ならぬ努力の結晶であると敬服して居ります。
 酪農経済を左右するものは乳牛の良し悪しに因ることは当然ですが,見方によっては寧ろ飼料の持つ面の方が大きいとも言えます。濃厚飼料の統制は解除されたが,昨今の飼料界は混沌として居り,価格は益々騰貴の趨勢にあるので,昔ながらの購買飼料にのみ依存する酪農経営は危険です,かねてから当局が熱心に唱導しながらも作付統制その他の事情で遅々として進まなかった自給飼料の問題特に飼料作物及び牧草の栽培,野菜の改良等を今一度真剣に考えねば,折角発達途上にある岡山県の酪農業も頭を打たれはせぬかと気づかわれます。
 旧臘戦後初の肉牛共進会が開かれた模様ですが,以前から備南地方では立派な肉牛が出て京阪神のみでなく東京にも出荷され好評を博していたし,肉牛専門の有力商人もあった,殊に岡山の「野あげ牛」は肉付も良し,丁度肉牛不足期に当って他県よりも早期に出るので値段も高く取引せられていたものです,斯くの如く肥育に経験を持ち而も農家の裕福なこの地帯では牛の最後の利用法としての肥育事業などは最もふさわしい経営方法でありましょう,力瘤を入れて頂きたいと思います。
 聞けば近頃岡山県では養豚事業が急激に勃興し,加工場も数ヶ所出来てるようですがこれも有畜営農の一つの進み方ですから堅実な発進を期待してやみません,只牛とは違って養豚経営の着手に当っては廉価な飼料が豊富に得られるかどうかを先以て考え,第二には今は肉豚が非常に高いが豚は豚肉需給の関係で価格は変動が起り易いこと,第三には豚は恐るべき伝染病が起り勝ちなことなども念頭に置いて経営にかからねばなりません,それには堅実な組合活動が是非必要となってきます。
 岡山県の豚肉加工業がどんな経営振りか存じませんが,最近の東京方面の様子を見ると競走が激甚で,小規模の個人経営のものは兎も角として,経費のかかる会社企業では経営困難で四苦八苦してるのが多い様です,この競争に打勝つには先ず経費の節減,それに製品の研究,販路の開拓等に一層の工夫が大切でしょう。
 養鶏は飼料事情に最も敏感に左右される関係から全国的に戦争の影響を一番ひどく受けましたが,最近では各地共余程恢復して来たようです。西日本の養鶏重鎮県としてあれだけ組織的に発達した岡山県の養界もその例外たり得なかったことは惜みても余りがありますが,昨今どの程度快復したか,何にも知らないで彼此申上げることは鳥滸がましい次第ですが,私の第六感から想像すると,他県に較べて或は立遅れているのではないでしょうか,冀くば新時代の養鶏熱心家が簇出し,組織的な経営の下に速に昔を凌ぐ養鶏新王国を築いて頂きたいものです。
 畜産改良の基本施設としての種畜場の使命は実に大きい。私の居た時代から盛んに要望を続けられていた作州の種畜場設置の問題も,畜産農場の形で既に発達し,又かねて狭隘をかこっていた岡山種畜場も時を得て移転が実現したことは同慶に堪えません。残る千屋種畜場についても必ずしも満足すべきではないにしても,兎に角これで種畜養成並びに畜産試験研究機関が一応整ったことは誇ってよいことだと思います。
 しかしこの種の施設は只単に屋台骨だけが出来たからそれでよいと言うべきものでは絶対にありません。種畜場設置の目的が真に県の畜産改良発達にあるならば,始めから相当の予算を準備して内容の充実を図らないことには折角の構想も只画餅に等しい結果に終るでしょう。若し万一種畜場を初めから独立採算経営制などの考えで設けたとすればこれは種畜場の堕落で,畜産改良と言う重大使命を没却する拙策と言えましょう,この種の前例は遠方に求めるまでもなく岡山県では既に試験済な筈です。
 岡山,津山の両種畜場がどんな経営方針で,どんな経営内容にあるか,不幸にして承知していませんが,どうか岡山県の畜産改良の原動力となるよう,一大英断を以て先ずその内容の充実を期せられんことを切望します。斯く書いたものの冒頭にも述べた如く実情を見ないでの想像的寓見に過ぎない拙文で貴重な紙面を塞ぐことは心中相済まなく思いますが,私が平素親愛なる岡山の畜産に人一倍関心を持って居るための迸りからであるとお汲み取り願えれば私の幸甚とするところです。