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畜産と生活改善

覆面子

 日本の食糧事情は容易なものでないことはだれでも知っていることで,どうしても節約と言うことを考えなくてはならぬ。狭い狭い国土内に8千数百万の同胞がうようよしている事実を今静かに考えて見ると今まで通りの安易感は許されない。昭和26年度の米の生産目標は6千5百万石であり麦は1千2百万石である。過去から現在を通じて実収は長い間大した変化もない敗戦前であれば朝鮮,台湾からも相当移入もあったのでなんとかなったものである。なんともならないのが今の日本の現状である。粉食にすることも考えなくてはなるまいし主食を減らして副食をもっと栄養的に考えなくてはなるまい。その日暮しでは結局お互いに自滅の外あるまい,敗戦という現実の姿をもっともっとお互に反省しなくてはならぬ。
 講和条約も今にも出来るように言っているし国民もそれを期待している。今国を挙げて選挙戦がたけなわである。後20日余りで終りとなるのであるがこの結果によって講和条約に対するアメリカの考え方も変って来るのではないか,日本の真の姿を直視してかからぬととりかえしのつかぬことにもなるのではなかろうか,日本人はこれでよいのかという気持をあらゆる面で思わせられる。
 日本は日本人の手で立ち上がらなくはならぬ他力本願もほどほどにしなくてはなるまい。食糧が不足すれば輸入して貰えばよいという安易感は今まではそれでよかったが現在のような世界を挙げて軍備拡充に熱狂している際そうかんたんにはゆくまい。最近アメリカから帰った人々はアメリカ国民の真険さはその衣生活に又食生活に極めてはっきりあらわれているとのことである。戦勝国であるアメリカ国民しかも食糧も豊富なアメリカ国民にしてこの緊張ぶりである。敗戦国でしかも食糧の不足している日本国民たるもの今こそ立上らなくてはならぬ大きな岐路に立っているのではないであろうか。
 戦後5ヶ年を経過し最近各方面で今後の日本農業は米麦のみではやって行けないどうしても畜産を大きくとり入れなくてはならぬと10人が10人口に出した。そして都市といわず農村と言わず畜産畜産とやかましく言われ出した。あたかも畜産が世直し神のようにいわれている。この畜産熱は真に地方や生活改善の面から起きたものであろうか多分に金もうけ主義の投機的な気分から起きて居る畜産熱でないとだれが保証するであろう,私の警戒するのはこの点である。初めから換金主義を目的とした畜産なら従来あった畜産熱で花火線香のような存在に過ぎない,畜産をとり入れることにより他の作物との有機的に関連が出来て畜産そのものでは大した収入はなくとも経営全体においてプラスになる所謂真の有畜営農こそ必要欠ぐことの出来ないもので今こそこの考え方に全農家が進む機会であると思うものであると共に全農家の考え方をそこにもって行く指導こそ必要がある。
 前号で世界人口の8割の飯食国が2割の粉食国に支配されていると書いたが粉食国の畜産物の消費は下表の通りでいかにその食生活が栄養的であるかが判る。パンの少量が主食でその副食に栄養価値満点である乳,肉,卵を多量摂る平素の生活があの立派な体格とあの絶倫な精神力を作った原動力となり今日世界に君臨している所以であるとうなずかれる,即ち主食の米麦を1日に6合も8合も喰って必要な蛋白脂肪をてんで考えないで満腹感のみに満足していていたずらに胃に過重な負担をかけていては自然栄養の失調も来そうし精神力もにぶる。過去におけるこのような食生活が今日の日本の姿におち入らせたともいえる。即ち畜産物の消費の多少がその国の盛衰にも大きな関係のあることを裏がきしている文明のバロメーターは畜産の振不振に原因するといっても過言ではないと思うものである。

畜産物消費状況

   日本人1年間1人当 日本人1日1人当 外国人1年間1人当
2,119 5g91 アメリカ 2石0斗2升
1.4 0.031 イギリス 1石7斗7升
642 1g76 アメリカ 6貫300匁
171 0匁47 イギリス 12貫700匁
414 1g16 アメリカ 256個
87 0個02 イギリス 193個

 白米飯を一二分に食う習慣とそしてあの銀飯の味に対する,みりょくから急に改変も出来まいし困難でもあろうが序々に食生活をかえてゆく方向にもってゆかなくてはならない。現実に直面していることを深く認識し澱粉質のものを少量とってその代わりに蛋白質脂肪の多い乳,肉,卵を出来る丈多くとるということに習慣づけてゆくことが吾人の努めでありこの切りかえが早ければ早い程日本の再建も早いのではないか。
 一時値下りをした緬羊も豚も又値上りをしている安くなると豚もやめる緬羊は駄目というのが過去から現在にかけた日本農家の考え方であって高いとなると又飼いたくなってどんどん注文する,こんなやり方の畜産は今後は駄目である。もっと現実を直視して無理のない畜産でなくてはならぬ,長い間には常に波がある,価格の高低によって盛衰常ならなかったのは過去の日の畜産であった。そのため10年1日の如く進歩を示さなかった所謂アブク的畜産が日本の畜産であったのである。
 自分の経営とにらみ合わせ生活様式の中にとけ込ませた畜産こそ今最も重要視されている。緬羊1頭飼育すれば1着分の羊毛がとれる,これで子供等のシェーターやシャツを作れば何枚も出来る,純毛のシェーター,シャツを店で買うとなると何千円もする。これを自家加工すれば現金の何千円の支出がなくなるしうまく仔牛を生産すれば今の価格では何千円の収入になる。山羊を飼い乳を飲めば1日に1人1合2合の主食も節約出来る。上手に鶏を飼い極力自給飼料に重点をおいて行けば家庭の栄養改善も出来るし現金収入にもなる。
 兎,鶏,を時々はつぶして喰うとわざわざ牛肉を120円も160円も出して買わなくても充分な栄養はとれるしそれ丈現金支出もなくなるのである。農家の金づまりは深刻である。朝鮮事変や世界の状勢の変化による糸へん,金へん以外の者は皆一様に不景気である。その上現金支出が伴えば一層深刻であろう。
 この意味で中小家畜を上手に飼うことは主食を節約し衣料資源を確保し現金収入を増し栄養の改善を招来する正に一石三鳥というべきであって,いたずらに投機的に流れない真に畜産の普遍化こそ今日日本の危機を救う近道であることをあえて申して一応筆をおくことにする。
 (終)