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東京便り

日笠勤一

 ビルの都に牛を背負ってのこのこ出かけたが「岡山の和牛の販路拡張並びに中央畜産界との連絡」という重大な任務はウヅ巻く人と自動車にホンロウされて,ぬけ切らないうちに早4月過ぎてしまった。
 そろそろ岡山から何かお叱りのある頃だとビクビクしていたやさき「岡山畜産便り」に原稿を出せという命令を受けた僕が3年前「畜産岡山」の編集を引受けた時原稿の集まらないことと僕に文才の無いことが原因して2回目にサジを投げたニガイ経験があり以後なんと言われても書くことは止めにしていた,ところが「気楽に何でも良い」と思いやりある命令にほだされて「何でも良い」ことを終始念頭に置いて畜産から180度外れ又文章にならなくても取捨添削は編集の方におまかせして責任をのがれることにして出来るだけ毎月東京で思いついたことを書いて送ることにきめた。
 6畳1間権利金4万円月2千円の部屋にやっと落着いた所は事務所(銀座)から1時間かかる中央線西荻窪駅の近くで先ず住宅難を知らされた。東京の中心には遠いが住宅地としては良い所らしく東京女子大あり,肉体文学の大御所田村泰次郎がスバラシイ家に住み,小暮美千代さんがつつましく住んでいるのも此処であり,前の家は何様か知らねども真白のニューカー夜半帰り朝は門前で主人を待っている。
 下宿のおやじさんは元閣下で岡山の連隊区司令官もしたことがあり,時が時ならばと昔の面影をちらりただよわせている武人である。
 8時に下宿を飛出して駅迄5分,8両連結,3分置20秒停車で走っている朝のラッシュの省電に服のボタンのチギレるのを気にし乍らキリキリともみ込まれて立通し東京駅迄50分,キレイにミガイた靴はグシャグシャに踏まれ,上げた手は下すことも出来ない,東京に靴ミガキの多いことと,背の低い女の口ベニがワイシャツの胸に付いて奥さんが角を生やすのも無理ないとうなずかれる。
 芸者で名高い新橋に下りて自動車とビルの間を縫って後モドリ300m,省電に平行した5階の新田ビルの3階に,セマイ闇の階段を上り一室にたどり着いてホッとする。銀座のビルと言えばスマートなビルの感じを受ける新田ビルはおよそ名に恥かしい昼間でも小さな部屋に200wの電球を2つも付けてやっと事務所の体面を保っており,丁度穴グラに入る様な感を受けしかも冬ストーブが無く夏は窓が少ないからムシ風呂と聞かされては郷愁のわくのも無理も無い。
 早々に事務所を逃げ出し又電車に乗り品川に下車してほのぐらい地下道を裏に出ると右手に東京都営芝浦屠殺場がある。さすが800万の人間の食べる肉の大部分をまかなうだけあって?万坪の敷地に屠場と廏舎がズラリ立ち並んでいる。裏門からコッソリ失礼して入ると右手に鉄道家畜専用線のプラットがあり,連日20台以上の貨車が北は北海道,南は鹿児島から入ったり出たりしている。
 貨車から牛を卸したところに自動衡があり生体貫が目モリを指す様に便利になっている。その前が広場で続いて1棟100頭も入るデッカイコンクリートカベの廏舎が10棟ばかり並んで夫々の廏舎の中が生畜を売買取引する場所であり又牛の宿舎である。その廏舎の片隅は管理人と一部の仲買人,屠夫の住居でもあり廏舎の外を通ると牛の顔を見るより洗濯したオシメの数の方が多い。
 廏舎の真中を南に通りぬけると広い道路兼広場を境にして左に3階建て白く塗った事務所がそびえ正面が2階建ての屠場で家畜の入口になっている其処に受付と自動衡があり,家畜はイカメシイオッサンの入荷記録と,屠畜検査員の生体検査を受け,ブリキの番号札を付けられて中に入って行く、このブリキの番号札は枝肉になる迄付いて行くのを見て思いだした。
 何年か前のこと岡山から豚を20頭トラックに積んで船坂峠を越して神戸屠場に出荷したことがある。其の時屠場到着時の生体貫を記録して枝肉の歩留を知り又出荷者一人一人に目方と肉質と金高の上りを知らせようと,集荷時から毛を刈り,耳を切り,足に包帯を巻き又赤インキで目印を付けその上青インキと筆を用意してこれで大丈夫と安心していた。ところが朝到着してみると赤インクはボヤケてしまって豚全体が赤く,付けてない豚迄赤くなっているし,包帯は糞ダラケで書いてある字はわからず又朝到着して屠殺前に生体等測ること等は忙しくて出来るものでなく早速屠殺にかかった。屠殺された豚が熱湯に入り(関東は皮むぎであるから熱湯に入れない)毛を剃ってしまい頭を外したら付けた印は何も無くなってしまう。この時青いインキと筆を持って毛を剃った後に直ちに番号を書いてゆく,最初の1,2頭はどうにか着けられたが一度に5,6頭以上処理されたらもうどれがどれだかさっぱり解らなくなってしまい最初の計画は皆んなオジャンになってしまった。
 仕方なく生体の時の大きさを思い出して番号の豚の枝肉はこれだろうぐらいの見当で割当たら産地に帰って「ウチの豚は隣の豚より大きかったのに金高は少いがどうしたのか」と聞かれヒヤヒヤしながら何とかごまかしたつらい思出がある。
 芝浦屠場の設備は大阪の津守の屠場のより大きく又立派であるが現在の屠殺数(1日半切牛100頭豚500頭馬30頭)ではセマく又進駐軍から衛生設備をヤカマシク言われ東京都としても頭痛の種だそうである。何階建てか忘れたがたしか4階で100頭ばかりの屠殺直前の豚が遊んでいた上海のスマートなデカイビルディングに比べてみても東洋一の人口を有する大東京の屠場にしては少し淋しいだろう。
 牛の枝肉になったものは放熱場に入るがその入口に衡があり天井を走っているレールに乗ったままで目方は自動的に目盛を指している。この点大阪のサオ衡より間違いなく問題の起こることも少ないだろうとつまらぬ所に感心した。
 屠場通いは馴れているもののあまり気分の良い所でもないから此処も早々引上げて品川駅から東京駅に向う。ズボンの裾,靴の裏には,牛や豚の血がついているだろうがシャアシャアとして有楽町に下りる。さすが有楽の名にふさわしく映画館が並び赤,黄,青のスーツにリーゼントスタイルにハイヒールが目立つ。その中を横目でニランで縫う様に北に100m行くと農林省の本館がある。正面玄関からコンニチワしてエレベーターに乗り4階で下りる。
 岡山の農林代表島村政務次官に面会しようと次官室に入り受付の女の人に同郷の誼とばかりエラソウに「次官は居ますか」と聞いたらすぐ前の人にエシャクする。見ればたしかエラソウな人ではあるが島村次官では無い。オカシイと頭をかしげたら「政務次官ではありませんか」と助けてくれた。失礼しましたと赤い顔して飛出したのは勿論であるが此処で初めて次官は事務次官と政務次官の居ることに気付いた。平素のアワテ者を遺憾なく発揮して苦笑する。
 官僚華かなりし頃は次官に面会することは大変むずかしかったのであろうが今は誰でも面会出来る。政務次官室にノックもせず入り挨拶したが立ったままで忙しそうに書類に目を通している島村次官の姿を見て長居するのも迷惑と思い早々に出てしまった。
 1日も暮れて既に5時前,東京は5時以後何処の事務所に行っても人は居ない。仕方なく銀ブラでもと一応考えてはみるが大きなカバンを持って相手の居ない銀ブラも意味ないから止して又殺人電車に乗って下宿に向う。(筆者は岡山県畜連東京事務所駐在員)