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種牡牛購買お供の記

加本技師

 5月31日岡山駅に出迎えた私はうっかりお客様を逃がしてしまった。と言うのも無理のないわけが2つあった。
 一つは到着電文の時刻が12時となっていた事で12時に入る下り普通列車と5分遅れて入る急行列車が相前後していたからである。まさか普通列車ではあるまいとは思っていたが一応フォームで客を物色している中3番フォームに急行が入るとスピーカーが伝えるのであたふたと許り場所を変えて探したが見当たらない。さては階段を別にして出口へ廻ったのかと右往左往してみたがどうしても見つからない。自動車を裏口へ廻してあるので裏へ出ようとしている瞬間肩をたたかれた。
 振り返るとかねて知らせを受けていた農林省の小林技官だ。改札の出口で黒岩技官が手を挙げてニヤニヤしている。御両人共普通列車で到着したとの由,これが一つの誘因と,もう一つは揃いも揃って御両人共標準を下廻る小柄である事である。と言っては言い訳にはならないがベッピンに見惚れていてボンヤリしてたんだろうと言われぬ前に先ずしかしかと申開きはかくの通りで御かんべん願う。
 さて早速県庁へ廻って明日よりの日程等を打合せ夕刻より後楽園のほとりで晩さんを共にして遠来の労をねぎらう。
 翌6月1日は早朝の出発………。
 先ず最初が西総社町である。新装改築された市場は先般開場式を終って間もない。
 名に負う育成地帯である当地は日紡工場の建設につれて各種の産業に一段と活気を呼び起しているがなかんずく畜産物供給の面でも有利な条件を具えて居りその将来性を見込まれている。
 ここに出ている種牡牛候補は何れも阿哲郡産である為資質体型等は阿哲とは大差はないとしても所謂粒が揃ってない事は止むを得ない。昼前になってスッタモンダ挙句2頭がきまった。
 当地に来る車中で長崎県庁の伊折技師や愛媛県庁の高木技師,神野技師等が同道された。正午過ぎ総社出発,高梁を経て成羽町へ向う。
 高梁で意外にも大河畜連会長が出迎えられ同道された。
 成羽町では後月郡,上房郡からも出場していた。川上郡は古来の産牛地であり会ってはその優秀な声価を挙げていた。又広島県と境を接しているので神石牛とも交流が少なくない。そうした故か幾分牛の型,資質が所謂古い型の傾向が無いでもなかったが最近漸やく熱心な育成家によって改良の実績が向上しつつある。
 やがては再び第一流の名牛の続出も遠くはないだろう。ここでは上房郡,川上郡育成のものが2頭購買された。
 夕方成羽より新見へ向った。
 遠来のお客様を遇するには余り無理な日程でもあったが平気な顔をして歩を運んでくれる黒岩さん,小林さん達一行であった。
 殊に小林さんは購買成立後面倒な書類作成を全部整理して頂いている。
 新見では更らに大阪府の川面技師等2名の方が加った。
 備中路の初夏の車窓に映るものは青葉のびょうぶと清流奇岩の連りである。
 世に言う阿哲峡の景勝は石灰岩によって作られカルシウムに富む清流に洗われた野草が茂っている。こうした天与の恵れた環境にめぐまれて育った牛も従って体の緊実なものに作られてくることは肯かれることである。
 新見町は立派な候補牛が22頭出場した。
 名にし負う名牛の産地でもあるので血統的にも優秀なものが多く又育成家も一流の腕利き揃いである。
 指導者としては数10年の体験と声望を集めている土屋さんが統率されている。
 牛と人が混然として一体となり天然の環境が加わってこそ阿哲郡の名声を天下に馳せているのがうかがえる。願わくはこの3要素の中で最も影響力をもつ人の素質を失わないで欲しいものである。
 なでたりさすったり厳選の末6頭の購買を決定した。
 更らに同日午後真庭の久世町へ向った。恰度麦刈りと田の代かきの真最中とで農家は人も牛もフル運転である。点々と田植えの姿も見える。車窓より田畑の作業に眼を奪われていると突然月田の駅附近の農家の火事を発見した。恰度2階の屋根から火が吹き出したところだ。人影は少い。2,3人の人があわてて走っている。勿論ポンプも見えない車中では火事にびっくりして大騒ぎをしているが何分進行中ではどうにもならない。
 恐らく子供の火遊び等が原因と思われるが全焼はまぬがれないだろう。野良から疲れて帰ってみれば自分の家が一物も残さずに灰になっているのを見た時どんなに驚くことだろうと胸が痛む。
 翌日久世町での購買は散々に待たされた挙句牛が集った。
 真庭も本県産牛地としては数,質共一流ではあるが種牡牛の育成は最近多少さびしくなっている。
 今一歩熱意と指導があれば立派な素地をもっている当地帯として再び昔日の面目を昂揚することは無理ではないと考えられる。
 ここではやっと1頭を定めて当日直ちに新見町へ送って貨車積みの手配をすませた。
 以上で予定の購買の全頭数を終わった。
 結局長崎県へ3頭(川上郡1,阿哲郡2),宮城県へ4頭(上房郡1,阿哲郡2,真庭郡1),愛媛県2頭(吉備郡1,都窪郡1),大阪府1(阿哲郡1),岡山県1(阿哲郡1)。計11頭が夫々むこ入りすることになった。
 如何に多くのめす牛に接するとしても馴れた飼主に日頃愛育されていたものが遠く気候も習慣も違う土地に行き餌や取扱いが変っても黙々として活躍する事を想うと些か不びんな気もする。
 夕方一切の整理を終って久世の横山さんの案内で湯原へ向った。
 バスは山峡を縫ってばく進する。誰かの随筆に瀬戸内海の船旅で島の多さを形容して………海尽きるかと思えば漠然として開け海果しないと想うや又怱然として島現わる………と言った風な形容があったのを想い出す。この山間のコースも視界は四面緑一色に加えて岩をかむ,水泡と空間のコバルト色の配合のみ。車の進むにつれて行手を一杯の山がさえぎるかと思うとポカリと空間が現われ,そこも過ぎれば又山のびょうぶに閉ざされる右に左に流れを逆行する一筋の道をたどって湯原に着く。
 山峡のいで湯は素朴な風情をただよわせて静かな落ちつきがある。殊に河鹿の声に包まれ川辺の野天風呂を楽しめば旅情を慰めることこの上もない。
 前日久世町で横山夫人に貰ったホタルを東京へ持ちかえるんだと喜んでた黒岩さんは熊々野天風呂まで持ちこんで河辺の岩山に明滅をして珍しがっている。数万匹の蛍を東京に運んでキャバレーか河に放ち美人と酒を酌めば都会の粋人を集めること請合いと言うことに衆議一決?一攫千金のはかなき夢を追う。
 前夜久世の旅館で隣室に盛大な懇談会があり,宴たけなわとなるや余興も佳境から大分脱線し俗に言う○○○学校の校長先生だと自称して「ヤレ検査をしてやる。こわれとれば俺が修繕してやる。まともなら実習してやる」のと女中さんたちをつかまえて大分校長先生の賑やかな御卓宣が我々を苦笑させたが本日は我々一行の校長先生なる尊称は横山さんと言うことになり,野天風呂では入湯中の御婦人連を賑わしたりした。したたる緑の香と野趣を満喫して翌朝湯原を去る。
 黒岩,小林両氏は新見を経て広島へ向われた。私は新見に集結しているむこ入り牛のいでたちを送ることにした。
 以上冗長な駄筆を振ったが最後にこの度の購買行脚中感づいた事を御参考迄に記しておく。
 他県へ行く種牡牛は良い加減なものでは将来の信用を失うことは分り切った事であるが体型資質は勿論のこと血統関係は余程しっかりした調査資料を準備しておいて貰いたい。或る場所ではろくに名簿さえ出来ていなかったところもある様では一度でお客を失う事を留意して欲しい。
 価格の問題だが此度は決して安くはない筈を矢鱈にぐずずかして一度定った値段を二度も三度もせびり直す様なことでは愛想を尽かされることと知っておいて貰いたい。
 購買牛を検査中意識的にアジル様な言動は慎まねばならない。自分に関係ある牛だからと言って之を買わねば目が利かぬと許りの態度は苦々しくて不体裁の極みである。
 買い上げられた牛の後始末である。岡山県の販売策として之を怱かにしたら将来は必ず販路を縮少する。遠方へ行く牛だからわらじを準備したり鼻木でも新しいのを入れかえたりする位の気持ちをおろそかにしては不可ない。売れたものは後は知らないと言う態度なら絶体に駄目だ。之が最も大切なサービスと言うもので此の点は鳥取,島根が一般に評判の良い所以でもある。酒肴を準備するのは末節のことであることを気付いておいて欲しい。
 今度の購買地の選定は県内の産地を考え一応全般的な考慮を払い頭数の振り当ても配意したが之は決して万べんなく牛の始末をつけると言う意味ではなく今後の育成牛について或る意味の指針をも考えているのであって団体自体が積極的な意図の許に誠心誠意事に当って貰いたい。
 要するに売る立場は買う立場に立って世話をみる事が肝心で遠来の買い手側の不自由のない様,行き先での不評をかう事のない様に推奨するとか細心の注意を払って喜んで持って行って貰う程の印象を与えねばならない事を特に記しておく。
 些さか苦言に過ぎるかも知れないが岡山県和牛界の将来の為に各位の今一歩反省を求めたい。

種牡牛買うなら岡山来られ
 いでゆ湯川でカジカが鳴くよ
露天風呂でのカジカでさえも
 恋をせかれりや鳴きたがる
ろは生