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雑草の如くに日本畜産への希望の一石

在東京 たけだ生

 私がまだ大学の学生の頃,選択科目の圃場実習で,作物畑の草取りの時,作物の影薄きまで延び蔓びこった雑草に,ほとほと手を焼いた仲間の誰かが「雑草とは何ぞや?」と嘆息めいて叫んだ。すかさず声あり「許可なくして生える草を雑草と言う。」そこで一同どっと笑った。そしてこの定義の面白さに誘われた様に,一種の活力を呼びもどして,草取りを続けたことを覚えている。何故か何年経っても,この定義は私には忘れられず,折りにふれこれが私の口をついて出る事が屡々であった。許可なくして生えたこの草が,その1本1本自らが誰に気兼ねの風もなく恰も地球を己が力で抱き締めでもするかの様に大地に深く根を掘り下ししっかり吸い付いて逞ましく,自信と希望に充ちた生活力を撓まず発揮して行くのを見ると,何か1つの示唆と教訓,皮肉と羨望を感じないではいられないものがある。
 種子がいろいろと鑑の篩にかけられて厳選され,病害に抗して消毒を受け,宝の如くして蒔かれた上,その気に入る様に肥培管理されて育まれる諸々の作物の,何と人手を煩わすこと多くして,又何と人の期待をハラハラさせることの多いことよ。科学は人類のために有用なるものを指摘はした。然し過度に,又は不当に,科学を施すと,その有用なるものそれ自体の自生力がやがて絶えることがある。奨励行政にも,同様なことがある様な気がしてならないのである。
 ある業について,知性豊かな奨励行政が,程よく行われることの必要は,各時代通じて絶対であることに誰も異存はないけれども,それがその時代に応じ,事物の調和,調整を基調としてその業の振興道展を図るという当然なるべき適度を越えて,もしも規正や制約を伴い,又は本然の姿を損ねまじき投巧や膏薬貼りを事とするに陥いることあらば,その幣は正に角を矯めて牛を殺すの類と謂うの外はない
 茲で我国畜産について見た時はどうであろう。明治の初期以来,畜産は我国では一の新しい仕事として,又民生文明の目盛として,更に又特殊な使命をも認められて,それは弱小な業であったが,いや弱小な故にこそ一層手篤い保護と助成に浴して来ている。これに対する政策が,その時代,時代の国情,民心の中で必要な方向と度合いに応じ,方策の転変規模の大小はあったにもせよ,家畜の質,量共双方の向上発展に向って不断の寄与と関心を続けて来,ともかくこの面では相当の成果を挙げたことは,その限りでは,一応賞賛されていいし,これに寄与した先輩の方々には大いなる敬意を捧げなければなるまい。が然し,その政策は強く「家畜」に偏傾して「畜産」の全きに及び得ず家畜の改良と温育に過ぎて,畜産の発育を所謂お坊ちゃん的に不全にしたとの指摘と誹は逸れ得ないと思うのである。
 尤も長い経過中のことであるから,政策上でも,時には,頓服薬も,膏薬も必要なこともあったろうし,甘い陳情の上手な国柄だから多少の甘やかしや迎合的な方策もその時々には已むを得なかったに違いない。そして米,麦だけが農業だったこの国で珍らしがられるハイカラ家畜が離れ座敷で特別に育くまれたことは肯けなくはない。とは言え,あるヨーロッパ人さえ嘗って私に言った様に「ウイルトシヤフト」(業・経済)を忘れて「ウイツセンシヤフト」(学問・知識を重んじた余り畜産を蒲柳の質にした過去の斯業に対する政策に全き賞讃を今日からは送れないのである。
 ともかく日本の畜産行政は明治以来手篤い家畜政策の庇の下で,質量共に家畜を改良向上させ優れた飼育家と趣味家は,多くこれを造ったけれども,風波に強い真の畜産業者は,遂にこれを造り損ねたと言えそうである。手厚い保護助成に馴れた我国畜産は,経済的風波の激動に堪え抜く真の健康法が看過されて,血の出る様な苦労の体験も訓練も有たない所謂お坊ちゃんの状態で,過ぐる戦争を迎えたのだったと言えば叱られるのであろうか?
 あの戦争の中で,そして戦争が終って厳しい現実の展開の前に,我国畜産の従って我等畜産の味わった苦杯は,過去が過去であっただけに名伏し難いものであり,到底爾後忘れていい態の程度のものではなかった筈である。然るに,先般の全国的畜産指導者の会議では,戦中戦後に味わったあんな苦杯は,再びこれを味わないために必要な努力を図るというよりは寧ろその苦杯の残滓から早く逃れたいがために,何か他力を乞はうとする気持ちの方が,予想に反して多かったとか。国の助成金を只管希う空気が支配的だったとか言うことである。ある人は昭和8,9年頃の気分をこの会議で味って来たと皮肉り且ヒンシユクしていた。
 惟うのであるが,一体これが一応反省を覚えた筈の20世紀後半の日本に於ける畜産当業者の声を反映してのことなのであろうか。又は指導者並の本気の声なのであろうか?いや誰もこれでいいと思ってはいないのではなかろうか?にも拘らず尚且然るが如き風景を呈するのは,これはしも何故であろうか。これは只易きにつくと言う人情の自然にかりそめに,指導者も当業者も暫し押し流されている経過的姿でしかないのではないか。もしそうなら,それは分からないではないけれども,然し戦争の試練によって,反省と懐疑を一応覚えた筈の国民のために,これは賛成し兼ねることなのである。
 何かに支えられ,何かに助けられて,ヨチヨチ歩きをした畜産は,過ぐる戦争を契機として,折切られているべきだしそこで折切ってこそ,逞ましく大地に根ざした独り立ちの畜産に切換えた秀れたほんものの畜産家の多くを我々は既に確かに有するに至っているのだ。彼等は言うのである。
 「行政家達よ!根本の健康法を外れた当面糊塗の余計な施策は止めてくれ!指導者達よ!賢こげな旧い顔で我が目の前に立ちふさがらないで退いてくれ!我々は覚えのある自らの手で家畜を湧く様に醸し出し,そして地に満つる迄やりとげよう!
改めて行政家達よ!この事を期するの新しい策をこそ練ってくれ!
改めて指導者達よ!この事に処するの新しい胸をこそ磨いてくれ!
斯くして頼もしくも逞ましい畜産は伸びようとしているのだ。今や政府はあの膏薬の様な助成金政策は潔くやめて,その何分の1かの予算を転じて,夢に見ていたこの望ましい風潮の機を失うことなく,よき斯業の行政家と新しい指導者を豊富に用意しなければならない。
 今雄渾に活然と伸びようとする日本畜産に,小才の利いた為政的肥培管理は寧ろ禁物である。のびのびと大の字に背伸びをさせて,その自ずと蔓びこるに暫くは任せ,その大らかな,発展を期したいものである。官の畜産から民の畜産へ!そして許可と干渉の要らない畜産の新確立を,私は心から希って巳まない。私は叫ばないでは居られなくなった。

 「我が畜産よ,さあ伸びよ,考慮は要らない!そして繁れ,雑草の如くに楽々と!」(1951.6.20)