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明日は昨日より若く
─日本畜産への希望の一石─

在京 たけだ生

 我国の家畜統計は昭和24年2月1日現在に於て政府が行った「家畜センサス」を俟って漸く体系と信用を略整えたと見ていい様である。この統計のお陰で私共は我国家畜の品種別,性別,年令別に,又経営種類別,経営耕地面積広狭別に飼養者数と飼養頭羽数を知ることが出来る様になった。これは明かに戦後に於て私共の把み得た進歩的収穫の一つであると言い得るであろう。この統計を静かに読んで(別に数字を音読すると言うわけではありません。統計と言うものはその心だにあらば劇や小説と同じ様に一の筋の流れに沿って回顧と予想が交錯して現れ恰も歴史物語の様に意読して行けるものです)みると私共は幾つもの課題を発見し又その答案を教えられている様で浅からぬ感興を覚えないでは居られない。例えばこんなことを想うのである。
 過去特に今世紀以来我国畜産は各家畜毎に夫々の用途目的に応じて政府は幾度も増産計画と言うものを樹てては奨励し,改めては推進したことであったが,その結果はどうもこれを明かにしていない様に思う。その計画目標数への達,不達が畜産界や国民経済等の上にどんな意味と事態を齎したことであったかを一時一部の断片的な論評はあるにもせよ,これを充分な観察に基き分析綜合してこれを論述した人に,不幸私は未だめぐり合っていない所から見ても,そのことに関心や責任を感じている人と言うのは皆無でなくとも稀少なのではないだろうか。態々樹てた計画なるものの目標が仮りに不達に終ったと言う場合,その計画なるものが真に切実な必要に迫られてのものであったのなら必ずや何等か相当の齟齬や支障を国家国民は如実に蒙ることになる筈と思われるのに,それが大して判らないですましていられる態のものであるのなら,それは元々計画など大げさに呼ぶに値しない言わば目安位のものであったのだと言えそうである。?で和牛についてはどんなであるか一寸観て見ることにしよう。
 政府は今も役肉用牛について増殖計画と言うのを有ち,目標頭数を掲げているが,これは私が前の増殖基本計画と言うのに携った頃既に幾度も言ったことであるけれども,役肉用牛などについては,朝鮮牛の輸入をでもしようと言う場合ならともかくも,和牛の増加と言うことだけについてなら予想を樹てるだけで結構で,別に政府で計画など言う騒ぎはしないでも,将来の可能な増殖予想の目安位に解して,やるべきだと考える。尤も昨今有畜農業維持創設を立法化しようとしている由であるからこうなれば計画生産計画消流と言うことも考えられないことはないが,何と言っても業態自体,時の政府の目論見や掛声などにあまり支配されない(即ち仮りに所謂計画と言うものがありとはしても,卵の為の鶏とか,羊毛の為の緬羊とか牛乳の為の乳牛とか更に軍馬の為の馬産とか,飛行服の為の兎とかの場合とは大に趣,程度を異にしていて,それが達成されようがされまいが別に大局にこれぞと言う支障など直ぐ敏感には生じない)という所に本邦役肉用牛の特徴が伏在しているのであって,このことは言わば,それだけその存在が官的よりは民的なものであるのを示していると見るべきであろう。即ちその生産育成,流通,消費の各過程共、民の当業者の意志の自主性に委ねられていると言うことなのである。妙な言い方をする様であるが,統計は正直にこの性格を物語っているのである。だからこの役肉用牛なるものに関し特別な「行政」を強いて要請したり「助成」の申請に気負込んだりする様な事は土台,原則上,正しい了簡とは申し難いと言うことになろう。
 言うまでもなく,本邦役肉用牛の殆んど全部に近い和牛なるものが今日の姿を採るまでには幾多の「行政」が施され,その学問的研究や経済的助成も加えられ,保護と改善のために果した技術指導の成果は見のがしてはなるまい。然し乍ら,だからと言って今日の改良発展を見た和牛を,お上の仕事だけの所産と思いこんで官や官的な人達が,善意にもせよ,何時迄も自分のものの様に心得てどうこうしようとすることは以っての外のことである。
 和牛をめぐる一部官的な人達は丁度「先代以来信頼に馴れた盆栽庭師みたいだ」と言われる通り,馴れた信頼に思い上って,ひとの家の庭を公開して己が商売の無料広告場に用い兼ねない先生達もあると謂う。実際は話程ではないとしても和牛をめぐる所謂官的な人達は,和牛成生発展の沿革と己が地位に自ら酔って,得てして我説個説を主張して,譲ることを潔しとしない傾がある。この妙なる庭師式先生方は主人たる膺揚至極な当業者の心を自分の考え通りに出来るだけの素養と口前を有っていて,我説の執着から来る類なき迄の熱意で以って,主人から敬服を買うこともでき,時流を塀で遮って,庭木の鑑賞よろしく,主人につい経済を忘却させるわざもできおまけに一コン御馳走になって帰ると言う態なのである。
 対象が植木ならそれはそれでいいだろうが,相手が牛では,これでは困るのである。ところが,この官的な和牛の庭師方のいみじき素養と,我説に凝った熱心さに,善良至極なる業者はつい,つりこまれ,知らず識らず同調し,長い内には盲信,忘我,帰依諦観の境地に至り,己等がものなる和牛をば只管官的他意に委せてあやしまないと言う滑稽と言うにはいたましい風景を,寧ろ古来の有名地方に多く繰り展げて来たことは,言うに言葉もない珍劇であると思うのである。
 今日,和牛の造詣で碌を食もうが,或は和牛を研究してノーベル賞を望もうがそれはもとより自由であるし,寧ろ,そう言う人士もなくてはならないこと当然であろう。只私が言いたいのは,官とか官的和牛人やその流れが,自ら和牛の功労者や恩人振って,和牛をアレコレと我説で左右しようとし,或は和牛の為にと銘打って結局は己が名利と面子の故にのみ張切ると言う和牛を私するの毒風を排斥することだけなのである。
 和牛について,どこかで一度でも,虚心坦懐な論議が展開されたと言うことを,ついぞ聞けないのは,何時も所謂功労者や功臣たちが「ワシが………」「俺が……」で虚心を吹消し「若いくせに……」「昔を知らないくせに……」で坦懐を打壊し,最後は問答書用式になり「ワシにまかせろ」となって了うからなのであろう。
 これ等名庭師的官人功臣ののさばる間は,又和牛当業人がこの人達に当代的な批評眼を送ることにならない間は「和牛」は何時までも古風な一辺倒式砦の中に籠城しなければならないのであり,斯くては何時の日に輝かしい明日が訪れるのかを予想も予期も出来ないと思うのである。私共はいろんな意味で鎖国と言うものの馬鹿馬鹿しい憂鬱と退屈をいやと言う程味わった国民である筈である。せめてこれからは「和牛」を囲いものにはしたくないのである。私は思い切って言うことにしよう。所謂和牛の功臣顔の官的人達の現に振れ込んでいる造詣と言うものは,実は,当代離れのした老いぼれ造詣になっているものが多く,その信条は四半世紀以上も前に一度は識見であったにすぎない態のものが多い。彼等は時の流れと言うものには塀を立てめぐらしたその内で,和牛を孤高の視野におき開闢以来の農業耕地と一応結びつける程度のこと位を,僅かに経営的な新味と自負しつつ,只管技術の,経験の,と語ってひねもすお茶を呑むと言う風流調であったから,調子は毛味,角味,セン毛,毛色,白斑……等と所謂「何んとも言えない」趣味の三昧境に赴いて行き,体積,体重,骨量,乳房,歩様……等々と言った様な「何んとも言えないでは済まされない」経済要素から段々遠のいて行ったと言うのは争われない。然し自らの牛を持っているわけでない彼等としてはそれで何等不思議もなかったのである。斯くて形成された古い,風流な官的識見と信条とが今日時勢の激変下にあるわれ等民の和牛の上に,そのまま適用されるとしたら,そんなアホーみたいなことはありはしない。
 経済が王様である近代社会を否定しない限り経済の求めに沿わない様な産業は,実は既に産業ではなく,道楽の域に属するし,産業に役立たない技術は,実は既に技術ではなく,技芸とでも言うの外はない。技芸は技芸で技芸の館で伸びて行くのは一向妨げないけれども。私は,和牛の生産について,固有の用途目的の上に何か当代向な新識見の擡台や新天地の開拓は出来ないものかと考えている。
 例えば早く大きくなる牛はそれだけ徒食の日数が少いのだし最終の寄与物,牛肉は,目方で販売されているのだと言うことを,まさか皆様御存知ないのではありますまい。早熟,早肥,体積等への時代の眼と言うものは決して馬鹿にはできません。又例えば,新しい用途が拓け,仔牛の需要が増大したら,生産地はうんと増産すればいいのであって,売却後何年かの後に乳牛の種をつけられると知ってはこの際牝犢は御売不致候なんて頑迷なことを言う必要はないどころか,いくら増産しても高く売れればいいのではないか。牛などと言うものは人間の嫁入りとちがい一度手離したら,ヤイテ食おうと,ニテ食おうとお先の都合で仕方のないのが原則で,生産者は犢の行方の先々をひどく気にする必要はないのに,例の官的和牛人の御趣味と潔癖から結局犢生産の経済向上を抑制した結果になっているのは,時代錯誤の珍劇でしかない。
 一例の新乳牛騒ぎは正にこれだったのである。今のままでは,日本に於ける和牛の飽和点はどの位だか,試算してみたことがありますか。一口に和牛人とか言うけれども,この中には和牛当業者と,和牛関係者との2種があり,当業者と言う人々の方は手許の牛については当然深い経験知識を有してはいるが,和牛の一代記を一貫して知っていると言うわけではない。そこにもって来て,和牛関係者と言う人々の中,所謂従来の官的指導者流の人達は,得てして外界には御構いなしの一種の真空的場の中に,と言っては言い過ぎるとしても精々,視覚,触覚位の感度が積の山と言った場の中に,牛を画き,その生産育成の段階だけに比重をかけて,勿体ぶった講話や自慢話をするのがお得意と来るのだから,人で謂えば産婆さんか精々幼稚園の先生だけだと言うことになる。これに教育職業,処世一般,其の他一代に亘る人生問答を試みるのは土台無理なことが多いと同様,彼等を和牛一代を貫いての師として仰いだことは抑々妙な話だった訳である。牛の一代記を克く知るには,その生産,育成,調教,使役,取引等々各業態の当業各位が,夫々自らの発意によって,相互連絡調協を保ち牛が歩む流通の足どりを生きている経済構造の合い間を縫って自らの眼で追いつ,観つしてこれを探り知るより他はない。
 由来過去久しきに亘る畜産行政の中で和牛の国内所要量の見透しを,ともかく資料を整えて計算だけさえしたことの一度だにない様な官や官的和牛人に何で和牛の運命を委せておいてよいものか。和牛は今や完全に官的色彩から脱して民意の自主性に移らなければならない。20世紀後半の和牛は官臭紛々たる古ぼけた造詣はこれを昨日迄の古典として敬老し,その嘗ての功を称える必要があれば博物館に送り奉り,せめて今後にその罪の及ばざることを図り,今日鮮度装度の共に高い思考と配慮を運らして活々として若く且広い識見を着々貯えるに務め,以って明日の世情に即応,自在の姿勢のとれる人々の出現と活躍を期したいものである。
 最後になったが私の言いたいことは只一つである。
 日本畜産,特にその大宗たる和牛の世界に,長く貞節なりしと言う古い,盆栽家的造詣の士を今は敬遠して憚らず,日進月歩の文明に饗応しつつ斯業の上にいつも「明日は昨日より若く」の心を以って,研讃を重ねると言う新しい「知慧」の尊重せられる風潮が津々浦々におしよせることを希って待つばかりなのである。(1951.9.1)