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淡路酪農紀行

 山陽酪農では総勢20余名で酪農視察を9月24日出発2泊3日の予定で歌の国,夢の国今では乳牛の国淡路へ行く予定,主導者は原口工場長,氏は淡路の産,親の代からの酪農家,殊に笠岡へ赴任される前は淡路の明治工場の酪農主任として青年層の養成に努められた方である。所はよし人はよしこれは是非とも一行の驥尾に附して行かねばならぬと考え会長の許可を得てお供することとなった
 24日の朝岡山発7時26分京都行準急を和気駅で乗車,原口工場長と新山村の船橋様がわざわざホームへ降りて呼んで下さった車中にはお顔なじみの酪農家の方々が揃っている,視察団は総勢23名である。10時過ぎ明石へ着いて街を1瞥渡船場で待つこと暫し2百噸位の船で海上30分,待望の淡路島岩屋に上陸,それより州本市まで1時間半の予定で急行バスに乗ったが,途中風光明媚の海岸を疾走する途中何処も同じ幅の狭い道路を度々すれ違う自動車や馬車で左オーライ後一寸なんかときわどい運行を続け,終にはもう一寸で聾のおっさんをひき殺しそうになったり,とうとう2時間を要して洲本へ辛じて安着,予定の電車に乗り遅れた,ここまで明治淡路工場長中村様が出迎えて居られたのには恐縮であった。ここから広田駅まで25分今朝より怪しかった空から糸の様な雨がしとしとと降り出した,駅を出ると左の方にネッスルの工場右手に明治の工場,どちらからも景気よく煙突から煙を風のない雨空へ盛んに上げている。明治の工場の応接室で中村様と淡路酪農の功労者森崎,茂木氏(原口工場長の義兄)から淡路酪農の現況を聞く。島内の乳牛総頭数は約2,600頭内三原郡に90%,斯婆郡に10%飼養されている,その半分は登録牛でその2割260頭は高等登録牛である,酪農戸数は約1,600戸殊に八木村等は全農家に対する比率は38%に及び,30%以上の町村が相当にある由如何にその密度の高いかが判る,酪農家1戸当りの耕作面積は平均6反余乳牛飼養頭数は1.4頭となっている,その能力は搾乳牛の平均7升強戦後日量3斗2升を突破したもの3頭あり,戦前年検78石を記録した優秀なるものも居った,現在1日の産乳量は7石余,その40%が明治に50%がネッスルに集荷されている脂肪率は平均3.4%で上々の成績である,乳価は3.2%で42円それに奨励金3円ついて45円である,乳質検査は全て県営で行われて脂肪の小言は全然ないそうである,検査料は1s7銭で酪農家5.6銭工場1.4銭を負担している。組合は明治へ出荷する者もネッスルへ出荷するものも一丸となって三原郡酪農業協同組合を組織し組合員数1.300名組合長は田中万米氏で明治とネッスルの競争に2つに割れる恐れがあるとかで有識者は相当心配していられる由である。それより工場長森崎氏工場の酪農係佐藤氏等の御案内で県営牛乳検査所組合の人工授精所及附近の酪農家を10数軒視察した。三原郡酪農協人工授精所に下の種牡牛を繋養していて年間約千頭種付するそうで,その種付料は900円と麦3升である。

62テーレーカーサーオームスビーゲッチー 
 21.3.15生 米国産(高録)
 (22年夏ラ,物資で来たもの)
サーカーネーションアイドレーズオバナ
 19.10.4生 県種畜場産(高録)
カーネーションフエザンサーオームスビー
 19.2.1生 郡内産(高録)
キングテッチエフエザン
 23.3.2生 郡内産
フエザンサーボッシュフエン
 25.1.10生 郡内産

 広田村は立派に町で通る。家並の繁華街があってその中の丸百屋と言う田舎にしては大きな宿へついた,その夜は中村工場長森崎氏,広田村酪農組合長坂本氏他23氏を囲んで牛の話,飼養管理の話,将来の酪農についてなど12時過まで話がはずんだ。翌日は天気なれと祈ったにも甲斐もなく,どんより曇った空から風さえまじって雨がどんどん降っている一同がつかり,予定より1時間延して9時頃雨の中を傘をさして出発,雨天のため予定を縮めて倭文村の酪農家だけを訪問の予定である,又電車に乗って約30分神道駅下車,集乳所や3,4軒酪農家の牛や牛舎を見せて貰って民間の人工授精所前川様の家に行く,ここには矢張り組合有の種牡牛デモン・ピアレス・レコード(24.8.13生)と候補としてフェザの子とが繋養してあって前川様はオートバイで出張種付に努力していられる由それから淡路に酪農が初って以来の牛飼に大功労者である永田彌平氏の宅にお邪魔した,氏は40年程前十幾つかの時貯めた金70円で仔牛1頭を買って以来その牛の系統を絶やさず続けて飼養していられるがその牛が現在居る,1番古い者はグラッドソン・ガヴァナー・アーチス(19.2.1生)で高等登録77点5分の優秀牛,脂肪は3.5から3.95位で年50石余だそうでそれの子及姪が3頭飼養されていた,そこを辞し又2,3拝見しながら三原郡酪農協の理事近江鷹雄様のお宅に行く,ここには作秋倉吉の6県共進会に出品されたフィンランド・フェザン・スプリング・バンクが飼養されている。ここで,昼食した所附近の酪農家が続々と参集,当家お手作りの見事な梨を頂戴し乍ら一時酪農の話がはずんだ,それから今迄よい牛ばかり見せて貰ったので普通のものも拝見致したいと申出て,附近の牛を4,5軒見せて貰った幸い雨も上ったが皆の顔は相当疲れを見せて来たので視察はこれまでと言うことに話は一決又電車の御厄介になって宿へ帰った時は5時過ぎであった,この夜も又前夜の方達の他に永田様,近江様,前川様等のお顔が増へ又明治のお持なしの御馳走に一入酪農座談会の華が咲いた,その席上特筆大書すべきお話は永田氏の乳牛に軟水を飲すこと,金気のある水を飲すのと脂肪率に0.5%の差があると言うことで,あった。金気の水を濾過して給与する様,実験方を御願いする。私が淡路に参って特に感じた事は,牛が綺麗である,牛舎が清潔であることであった。即ち淡路の人達は牛を心から可愛がって居られる様に拝見した,人を恐れずどこをさわっても蹴る様な牛は居なかった,これが酪農を経営し成功する1つの大きな要素となるのではなかろうか,この阪神地方に近く,色々な物産にも恵まれた土地で草の資源は岡山の南部地帯とさして恵まれたとは思えないこの島にこれまで頭数が増え又改良がよく行われ,皆様が御熱心なのは何故であろうか,又1度入れた牛の系統はよく大切に保ち改良して行って居られる点,森崎様のお話の中に種牡牛に充分気をつけて改良を志して初めてレベルが保たれるのでなおざりにすると忽ち後退する良い牛の出来るのはよほど良い種牡牛に当らねば出来ないと言うことであった,これ等は何れも心に止め充分研究しなければならない点であろうと思う。翌朝この日も又雨であった,5時出発洲本港から今度は500噸位あろうと思われる船に乗って神戸へ向った海上4時間余で神戸着ここで視察団を無事解散した,一行は浅口10名,小田8名,後月2名と明治2名と協会より松田主事の計23名であった。