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これからの和牛は斯うありたい

覆面子

 一口に50年と言えば短いようであるが10年一昔であるとすれば五昔になるので古いものである。和牛が改良に乗り出されて以来50年というから考えて見ると永い歴史である。
 雑種交配の時代から改良和種時代とうつり,ついに固定種となった。この間の先覚者の努力には敬意を表するにやぶさかでない。先日畜産課の蔵知氏秘蔵の昔の共進会1等賞の和牛の写真を見たが誠にお粗末千万なものであるのに驚いた。過般実施の県共進会の1等2等と比較して隔世の感ありである。
 これも登録制の実施の結果であることはたれしも否定はし得ない処である。
 巷間登録審査に対して非難するものがある。言わく非科学的であり骨とう視されているとこれも一面うなずかれる処がないでもないが2に3を加えて5になる具合に行かぬ処にこの言もあるのであるが「よくなった」ということは認めぬわけに行かぬ不文律となっていることは否定出来ぬ事実である。
 当業者が心身を打ち込んで管理したものを勝手にやれ70点とか75点補助とか予備とか決めることそれ自体も考えて見ると厚かましい次第であるとし,それも一部所謂和牛の技術者に限られているので余り和牛にかんしんのないものはこうした見方をする。
 これは一般農事でもそうである。稲の得意のものもあれば特作に堪能なものもあると同様であるので畜産をやっているものの中に緬羊山羊の先生もあれば馬の技術者もあり和牛・乳牛により詳しい人もある,農産の人は平等に全部知っているわけでもない畜産をやっているからといってどれもこれも皆1等地をぬきんでているというわけには行かぬのである。私等も今迄和牛を手がけることが多かったので少しは他の家畜よりは和牛の方が得手であるという処である。共進会の審査等で1等−2等を決める場合等の人から見れば困難なようなことを自分では極めて自然に出来る,それを他の関係の人から見れば余りにも勝手なこととなるのである。永い間には所謂「感」というものが働く,それが大したあやまりがないのであるからおかしなものである。これは丁度米の収量の検見の際等その道の人は大体○石○斗と言えば大して差のないのと同様ではないだろうか。

 閑話休題
 和牛が固定種となった今日吾々はあくまでも先人の偉業をもりたてなくてはなるまい。現在のままののんびりした気持ではかえって退歩するのではないかと思っている。平素から考えていることを2,3率直に述べて参考にする。

一.和牛の普遍化

 岡山県の和牛を語るものは先ず阿哲産という和牛の産地は阿哲郡に限られているような錯覚にとらわれすぎている。先日も県中部の地区の畜産講演会での席上某氏の曰く「何んといっても和牛は阿哲である何んとなれば石灰岩地帯であるから和牛の生産にはもって来いの土地でこの辺ではとても良い牛は出来ませんと」こう言う事が一つの先入主となっているのではなかなか今以上産地を拡める事も出来ないのではないかと思った。私は席上次のように言っておいた。なるほど石灰岩地帯は土質が石灰質を含んでいるから自然草や其他植物もそれを含んでいるので骨もよくなりよい牛が出るだろうが石灰岩地帯が牛の生産を左右するものではない。お隣の鳥取県は石灰岩地帯ではないのに県下6郡一様に良牛の産地となっている。だから当地方でも生産させようと思えばいくらでも出来るのではないかといっておいた。一農家の人にまでこういうふうにいいふくめた指導が今日阿哲以外の土地を不振にさせた一つの原因となっているとすれば吾々はよほど今後考えなくてはならぬのではないか少なくとも川上,上房,真庭,苫田,久米,勝田,英田等の各郡は今度その施策よろしきを得たならば阿哲に負けない良い牛の産地となることが出来る素地はあるものと思っている。阿哲郡に限られた和牛であっては岡山の和牛が普遍化されたとは言えないと思うものである。

二.良牛は人がつくる。

 今日和牛は阿哲に限られたような錯覚をおこさした原因は色々あるであろうが阿哲を良牛の産地たらしめたのは自然立地も勿論であるが指導者にその人を得た処に大きな原因があると思う。何をいってもその中心は千屋であるが昔から数多くの熱心な人が排出して一般を指導すると共に今和牛の大御所である人々はこれ皆阿哲出身である。その人々が世々代々鋭々として阿哲のために努力し後輩を励まし当業者を指導した処に今日の阿哲を牛の産地たらしめた大きな原因があるのではないか。川上郡等一時阿哲と肩を並べた時代もあったがその後その影響次第にうすらいで来た感あるのは地の利を得ている郡として誠におしいと思うものである。又真庭,苫田等において人を得るならば龍が雲を得た如く勢のおもむく処阿哲郡を凌駕する日のないとだれが断言する者ぞといいたい。

三.種牡牛配置の適正化

 由来阿哲郡は種牡牛育成地としては全国的に其名を走せている私の前任地徳島県の和牛の改良は岡山の種牡牛に負う処極めて多い。私も10年在任中毎年購買に来たものである。これは徳島県丈ではない東北,北陸,九州の各県は挙って阿哲の牛の恩恵を被っているといってもよいのである。今後この種牡牛中優秀なものをどしどし苫田,真庭,其他の各郡の配置することである,従来は優秀牛はこれを地元に配置するので他郡は二流三流処に甘んじなくてはならぬ状態になっているのではないかこの際少なくともここ2,3年他県へ売却を中止して真庭,苫田等の各郡は優先的に配置することが他郡を普遍的良牛の生産地たらしめるためにとる1つの施策ではないかかくして1郡よりは2郡3郡と良牛生産を向上せしめることになると始めて岡山和牛資質の普遍化を来たさしめ受ける経済的恩恵も亦大となるのではないか。

四.登録審査の適正化

 従来の登録規程が固定種としての登録規程に改正された,よかれ悪かれ固定種となった以上改正は必然である,しかし大体75点級の牛が揃ったということそれ自体を余りに当然視される処に大きな審査上の安易感があるのではないか審査は厳正公平といい乍ら減点25%が普通の牛であるという気分…私はこの気分にとらわれすぎては和牛の資質は退歩するのではないかと心配している。普及事業の振興のため私はよく地区の共進会の審査に行くが厳正に審査すれば70点もないような牛が堂々と角に(ト)の印が押されている。あくまでも審査は現場審査である以上私心はどこまでも排げきしなくてはならぬ,登録牛の血統上の資格は揃っていても体格的に欠点があればどこまでも下の階級におとすべきであってそれが出来なくては技術の公正は期し難いのみならずヒーキの引き倒しに終る結果が将来招来するものであることをあくまでも銘記して1頭1頭の審査には厳正且つ公平無私全霊を打ち込んでこそ現状を守り将来の躍進が約束されると思うものである。
 以上私が平素普及事業に従事して見て感じたことの2,3を率直に書いたのでそこに育言もあり失言もあると思うが平にお許しを願い度い。